その1で王子から石神井公園・三宝寺池までを歩いた。今回その2はさらに上流に遡って水の流れ始める地点をみつけたい。
その1のノートはこちら
その1ノートのはじめにも書いたが、石神井川でいつも水が流れているのは「河川上流端」と定義されている場所よりもかなり下流であるらしい。上流のほうは河床はあるものの通常は枯れ川のような状態になっている、という情報を得て、それでは水が流れ始める場所まで行ってみようという計画で歩き始めた。途中、石神井川の水の供給源となっている石神井公園と武蔵関公園の池にも寄って、それぞれ観察をしてみた。
最初に結果を言ってしまうと、川が流れ始める場所は確認できなかった。2016年9月は記録的な長雨と日照不足、一日のうちどこかで雨が降るような天気がずっと続いたせいか、地中に雨水が間断なく供給され、その結果普段なら川が流れていないはずのところにも水が溜まり、わずかな流れができていた。想定よりも上流まで歩いてみたものの、水が切れる気がせずこちらも根負けしてしまった。ということでこの川は端から端まで歩くということにはならなかったのだが。
駅前の商店街をバス通り沿いに石神井公園へ向かう。武蔵野台地上の川や池がある場所の法則どおり、坂道を下った一段低くなったところに石神井池とボートのりばが見えてくる。まず前回ゴール地点の三宝寺池を目指して公園の奥へ。しかし天気予報は晴れると言っていたのに暗い。
三宝寺池の池尻
三宝寺池の下側はこのように水草や葦に覆われたところが多い。
三宝寺池の葦原
この池にある浮島の植物群落は昭和10年(1935)に国の天然記念物に指定されているそうで、珍しい種類の植物がいくつかあったようだ。いまはだいぶ様相が変わってしまい、回復を図っている、とのこと。この池の下側の雰囲気は善福寺公園の下池と似ている。
池の上側にまわると水面が現れる。
この池の水は昔はすべて湧水だったが、湧水の枯渇や水量の減少のため、現在は地下水をくみ上げて池に供給している。武蔵野台地上の3つの池、井の頭池、善福寺池、三宝寺池、みんな同じ状況だ。
三宝寺池のまわりをぐるりと回って池尻側へ
三宝寺池から流れ出し石神井池へ注ぐ水の水路
2つの池の間に川(水路)があって上の池の水が下の池に供給されている。昭和初期までこの下側に石神井池は存在せず、三宝寺池から流れ出した水は三宝寺川とよばれた小川となって石神井川へ注いでいたそうだ。その川跡と周辺の田んぼがあったところに石神井池を人工的につくったとのこと。ちょうどその頃、いまの西武が鉄道を近くに通したこともあり、観光地化して人を呼び込む目論見もあったようだ。その後周辺は宅地化されて、いまや何だかわからないけど高級住宅地っぽい雰囲気もある石神井池北側周辺である。(個人の感想でござる)
石神井池中ほどから
歩道はここ何週間かの天気の悪さでぬかるんでいる。池は前回訪れたときと目立った変化はなし。水量などは人工的に調節されているので当然か。
石神井池の北側を望む
このあと池のいちばん下側のボート乗り場の近くまで行き、石神井公園記念庭園という小さな池のある場所を通って石神井川へ。前回歩いてきた「憩い橋」に出る。
憩い橋の上流側から
このあたりは河川改修工事が終わってからまだそれほど時間が経っていないようで、設備や護岸もまだきれいだ。川の水も澄んでいて豊富に流れている。公園から出たら日差しが出てきた。
睦橋から上流側
睦橋は憩い橋の2つ上流側の橋。このあたりも両岸に桜が植えられて並木道になっている。
憩い橋の周辺が改修工事直後ということはその近くで引き続き工事が行われているということになる。
この先工事中
都道444号にかかる蛍橋とその上流が工事中。この場所、工事は終盤というかんじだったが、この上流はまだ整備されていないところが残っている。一方整備が終わったところは川沿いの歩道も整備されている。ということでこの先は歩道があったりなかったりという状態。進む道路の選択が難しくなっていく。
小ヶ谷戸橋から上流、新青梅街道方向
向こう側が新青梅街道の扇橋。このあたりの護岸は新規整備前の状態。一世代前の護岸はこんな状態でここには川沿いの歩道もない。
関新橋から下流側
武蔵関駅に近づくあたり、商店なども増えてきてにぎやかになる。この先駅のホームをかすめて西武新宿線の下をトンネルでくぐり、線路の反対側に顔を出す。
西武新宿線をくぐるトンネルの入口
この先しばらく線路に沿って川が流れ、その流れが方向を変えるところに武蔵関公園の入口がある。
武蔵関公園入口
公園入口と線路の間に公園内の富士見池から流れ出す水の水門がある。
富士見池の水門
写真左側から流れてくる石神井川と正面から流れ出す池の水がここで合流する。川はここから上流側へ池を迂回するように公園の縁を回って流れている。公園内には富士見池がある。
富士見池、中ほどにある橋から
富士見池と池中にある島
池の水は石神井池などと比較して全体的に緑色が濃く、植物プランクトンが多いようだ。
この池は三宝寺池や井の頭池のように純粋に周辺の湧水だけでできたものではないようだ。Wikipediaをはじめいろいろな資料をみると湧水によりできた池であると書かれているが実際に歩いてみたかんじは微妙だった。この場所は池ができているので地形的には周辺も含めて窪地になっているものの窪みの深さがそれほどなく、多少の湧水はあったかもしれないが、水を貯めるほどの量は出ないように見えた。石神井川もすぐ近くを流れていて、湧水があったとしてもその水は川に注がれてすぐに流れて行ってしまう可能性が高い。せいぜい湿地として、雨が降った時に少し水がたまるくらいの場所として存在していたのではないのだろうか。そして明治時代から太平洋戦争前までの地図にはこの場所に池が書かれていない。池が出現するのは昭和20年(1945)頃の地図以降である。
ではなぜ今ここに池があるのかというと、いずれも推測だが、ひとつは石神井川の遊水地としての整備。池の上手に川のあふれ水を流入する堰があった。
石神井川からの水を流入させる堰
公園のすぐ脇を流れる石神井川の様子
上流側に流入口があって下流側に水門がある。大雨の時の水を一時的に貯める場所になっていることは確かだ。
それともうひとつの理由は公園整備に伴ってということだろう。昔は湿地であったと仮定して、水があったりなかったりの場所を常時水をたたえた池に整備したのではないだろうか。現在の公園の説明では、少なくなってしまったが湧水と地下水のポンプアップで池を維持しているとのこと。
池に水を供給している場所
写真手前右側と左上奥側配管の下(わかりにくい)の2か所から水が供給されていた。どちらかが湧水なのかもしれない。どちらもではないのは、ここのすぐ脇にポンプ施設があったのでそこから供給されている水があるはず。
富士見池を一周半して上流側出口から抜けると隣は早稲田大学の野球場。
溜渕橋から上流側
ここからは西東京市。左岸側はこの先早稲田大学東伏見キャンパスとなっている。野球場、サッカー場、なんかがたがたうるさい小屋があるなと思ったら、馬の厩舎があって中の馬がちょっと興奮していた。
このあたりから川の水量は目に見えて減るという情報があったのだが、この日は十分流量があった。上の写真参照。その写真にもひとつ写っているが川の右岸側にこの付近2,3か所大きな排水口がある。右岸側の崖の高さが結構あるし、ここは豊富な湧水があるのかもしれない。そうだとすると時によってはここの湧水が石神井川の源流になることもあるのかもしれない。推測ばかりだけど。そしてこの付近には下野谷遺跡がある。縄文時代の大集落(ってどんな規模?)ということなのでたくさんの人が生活していた、ということはこの地点での水の確保は大昔からオッケーだったはずで、ここは大昔から川があったといえる。
大学キャンパスに沿って歩道が整備されている場所をすすむと東伏見稲荷の近くに出てくる。
東伏見稲荷神社の東側から上流側
水の流れはまだ十分ある。ただし川底に生えている草は水草ではなく空き地などに普通に生える雑草の類いに見える。ということは水のある時よりもない時間のほうが優勢ということではないだろうか。
話逸れるけど、この神社は京都の伏見稲荷神社との関係はどうなっているのでしょうか?(未調査)
簡単に調べてみた。東伏見稲荷神社は昭和4年(1929)に京都の伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建された。ふむ、勧請って?:神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。わりと新しい神社なんだ。ちなみに東伏見にあるから神社をここへ持ってきたのかと思ったら、神社ができてから地名を東伏見にしたんだそうな。
この先伏見通りと青梅街道を渡り、西武柳沢駅南交差点付近の様子
武蔵関公園付近から川は両川岸間にH鋼を渡したこういうタイプになる。水は全体に流れているというより溜まっているが、ところどころに流れが見える。これがこの上流でずっと同じ感じで続く。
西武新宿線の線路わきにあった調整池
階段があって下には自由に下りられるようになっていたと思う。雨上がりでぬかるんでいるが水はたまっていない。市街地の便利そうな場所なのでそのうちこの上にたくさんの杭でも立てて大きなマンションとか上に建ってしまうのではと想像。このあたりから田無駅の南側に出てくる。以前からある住宅地の表札をみるとみんな「田無市」と書いてある。
西東京市向台町4丁目付近で
ほとんど水たまり状態だがかすかに流れがある。長雨の後だけになかなかしぶとい。このあたりではもう水がないと想定していたのだが。
そこからしばらく進んで
ともえ橋から 西東京市向台町6丁目
水もある、流れも認められる。さらに上流へ行ってみる。
多摩湖自転車道(狭山・境緑道)の馬の背と呼ばれるところまで来た。ここは以前に通った時に書いたが石神井川と上水道の水道管が立体交差している場所で、土手が築かれている。
馬の背の土手と歩道
土手の上から石神井川
写真では見えづらいがまだ水が流れているのが分かった。ここから河川の公式上流端まではすぐなのだが気力が萎えたのでこの先見送り決断。以前ここを通ったときに水のない川を見ていたので、それでよしとしてしまうことにした。
馬の背の上から上流側
写っていないが水は流れている。7月に通った時は水はなかった。そのときの写真は撮ってないのだが、記録のノートはこちら