この暗渠、2年前(2018年1月)にたどって歩いたことがありますが、最近、新宿区内の様子が変化したようです。ちょっと見てきました。
通称、神田川笹塚支流と呼ばれる、昭和30年代に暗渠となった川があります。(川の名称はWikipediaの項目になっているものを使いました。他に「和泉川」などとも呼ばれるようですが、名前ははっきり決まってないそうです。)
文字通り神田川の支流、源は杉並区和泉あたり、さらなる支流もいくつかあって、それらの水を集め、渋谷区北部の笹塚、幡ヶ谷、本町あたりを通過して新宿区西新宿5丁目で神田川本流に合流していました。
現在は下水道幹線として利用され、流れの暗渠上は道路や公園になっています。
2018年1月、ここを辿ったときのノートを置いておきます。
追記:2017年7月にもこの近くを通ってました。前回分とした笹塚支流の写真、17年夏の風景もまじってます。
新宿区内
西新宿5丁目あたり、同じ場所の風景を並べて比較です。
1.神田川本流合流点近くの歩道
この下が笹塚支流暗渠、前方柵の向こうが神田川本流、対岸から覗くと暗渠出口が大きく口をあけています。
道の上に置かれていた巨大な鉢植え?が撤去されています。
ここから上流側へさかのぼる形で。
2.通りひとつ分戻って”長者第一號橋”
その次の通り
3.”羽衣橋”親柱付近から
上の右の方、以前存在していたブタさんカバさんが行方不明となってしまいました。
4.はごろも児童遊園内
ある意味ここの暗渠の象徴?でもあったブタ、カバ、このほか亀なんかもいました。
この付近数ブロックは遊具も多く置かれていました。児童公園となってからも年月が経ち、古ぼけて汚れ、あまり利用されてはなさそうでしたが。
どれも撤去されて公園の面影はなくなり、歩行者と自転車の通路に変わっていました。
道はきれいになって通りやすくはなったけど…
5.柳橋跡
ここは車止めが替わった程度。向こうのお店も含め周辺はそれほど変化してません。
6.何気ない一角の変化
暗渠上に置かれていたものはどれもすべて撤去されました。そして以前は阻んでいた自転車の通行を可能にしたのですね。
7.西新宿五丁目駅近くの自転車置き場
ここも暗渠の上
ここは変化なさそうです。
以上、新宿区内の神田川笹塚支流暗渠の上でした。
渋谷区内
山手通りを渡った先は渋谷区となります。こちらは暗渠上の変化はほとんどないようです。渋谷区内は前回訪問時すでに「整備済み」のようです。
せっかく来たので、前回歩かなかった笹塚支流の”北側流”を歩いてみました。
渋谷区幡ヶ谷、笹塚付近でこの川は南北2本に分かれて並流していました。南側の流れがやや大きく、北側は細い流れだったようです。
これはすでに合流後1本の川となった部分。
二軒家橋跡
左側の歩道部分が川跡。
背後にさかのぼると橋の形がそのまま残る、
村木橋(跡)
少し先、本村橋付近(渋谷区本町4丁目)で南北2本の流れが合流していたと思われます。
北側の流路跡へ入り、しばらく細い道が続きます。
神田川笹塚支流南北並流部、北側の流れ跡
風景的にどこもあまり変化はありません
細い流れだったので何かが残っているとは思っていませんでしたが、橋跡がありました。
神橋跡(2枚)
北側の流れで唯一残っている橋跡。
幡ヶ谷3丁目あたりで一般道へ出てきます。
向こうが流れの下流方向
正面の家の右側に先ほどの細道がはじまります。
北側のながれ、これより上流側はこの道路に並行して流れていたと思われますが、現在は道と一体になってしばらく痕跡はなくなります。
杉並区内にはいると最上流部には再び痕跡が現れますが、そちらは前回訪れたので今回はここまでとしました。
数十メートル離れた南側の流れへ移動しました。
中野通り交差部(幡ヶ谷3丁目)の段差
ここにもかつては橋があったのでしょう。
壁際にポツンと1ヶ所だけ、橋の親柱かと
こちらは橋だったと分かります。
境橋跡(笹塚3丁目)
道路片側だけに中途半端に残る欄干健在、前と同じ状態で残っていました。橋の名標も側面に残っています。
最後は環七通りと京王線線路の交差地点付近に残る、
道を横断する暗渠蓋(世田谷区大原1丁目)
こちらは玉川上水から分けられた水の流路跡、笹塚支流の南側流に合流していたようです。
この蓋も健在を確認できました。
先の細道へ伝って入って行くと玉川上水流路跡にぶつかります。
現在は玉川上水緑道と水路跡の細道
今回も川跡はあまり丹念にたどってないですが、ここまで。
最後に今回歩いた足あと地図を置いておきます。