前回は馬堀海岸から観音崎を経て浦賀までを記しました。
続いて浦賀から久里浜を経由して三浦海岸まで。
現在位置は浦賀駅前交差点。
こちらは交差点やや手前の案内標識
交差点を左下に折れて三崎久里浜方面へ向かいます。
左折してすぐ
左は浦賀ドックのある浦賀船渠工場跡地(閉鎖時は住友重機械工業浦賀工場)。でも建物内部の照明はついてますね。
道を先に行ったところに工場正門、さらに行くと新旧の煉瓦塀
通用口?をはさんでこちらは古い煉瓦塀、向こうは化粧直しされてました。
塀の向こうには1899年建造の古いドックが残っています。
煉瓦の途切れたところから内部
現在内部は整備中です。
ここからドック自体は確認しづらいですが傍らのクレーン(小)が見えてます。時代がかった大きなクレーンがありましたが解体されてしまったようです。
工場敷地を過ぎると水辺に近づくことができます。
浦賀湾西側遊歩道から湾口方向
ちょうど浦賀の渡し船が湾中央を通過中です。そういえば西渡船場付近の記録、忘れたようです。
これも通りすがりの1枚になりました
西叶神社
『陸軍桟橋』から
この一帯は太平洋戦争終了後、引き揚げ者(約56万人!)が日本に上陸したところです。近くにはその記念碑もあります。
対岸に東叶神社の鳥居や本殿の屋根も見えるところです。〈右端に近いところ〉
浦賀湾口近くから東京湾
遠くには房総半島。
足元はそろそろ浦賀のはずれになります。
脇に規模の大きなマリーナを垣間見て、トンネルで丘をひとつ越えると久里浜です。
久里浜長瀬海岸
〈写真を整理して気づいたのですが〉波打ち際手前のほうに転がっているの、レンガのブロックですね。それもかなり時間が経ってます。〈謎〉
平作川・開国橋を渡ります
通りの愛称は「ペリー通り」、少し行くとペリー公園があります。
公園入口からペリー上陸記念碑
正面には「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」と記され、裏面には英文で碑の説明が刻まれています。
その先は久里浜港、東京湾フェリー乗り場があります
奥のほう2つの赤い煙突がフェリー船、久里浜と千葉金谷間をたしか40分で結びます。
久里浜海岸沿いは案外短くてフェリー乗り場の先はすぐ町のはずれ。〈久里浜市街地はもうちょっと内陸側になります〉
そちらに歩いていくと先ほどから海岸の向こうに見えていた火力発電所が近づいてきます。
〈たしかまだ稼働前の〉JERA横須賀火力発電所
元々ここには東京電力横須賀火力発電所がありました。石油とガスを利用した発電方式で初号機は1960年の運転開始でした。
2017年にいったん全機廃止となり、現在設備更新工事中(計画では新1号機が2023年6月運転開始予定)。
めでたいように見えますが非常に気に食わないことが、発電に使う燃料として環境負荷の大きい石炭を使った発電所がいまどき新設されるということです。〈これについては言いたいことが山ほどありますがここでは控えます〉
また丘の下を道路トンネルでくぐって、久里浜から野比へ移ります。
千駄ケ崎隧道、野比側から
すぐに野比海岸
海岸線は浸食が激しく道路崩落の跡などもあちこち残ります
沖には消波ブロックの離岸堤、砂浜も消滅しつつあります。
ひと嵐あると必ずといっていいほどこの海岸沿い道路は修復工事がはじまります。それでもこのところは通行止めもなく順調なようです。
道路歩道を歩きますが野比海岸公園からしばらく遊歩道。
遊歩道がはじまるところから来た方をふり返って
公園内
ここでもブロック崩れ?
久里浜では謎の古いレンガブロックが転がってましたがここのは何か見当つきます。
ここにも離岸堤
砂の流出を防ぐため一定の間隔でいくつもの離岸堤があります。砂浜などがやせ細っていくのを防ぐ対策を「養浜」と言うそうです。
〈湘南海岸などでも様々『養浜』されてるのを見ますが鎌倉稲村ヶ崎なんか砂なくなっちゃいました〉
少し間があいてこちらは
津久井浜あたり
海岸沿い道路、〈砂ではなく〉歩道がなくなっちゃった〈一応道路片側にあるにはある〉ので内陸側を少し迂回してここへ出てきました。
海の先にのびているのは三浦半島のいちばん南側部分で雨崎、剱崎方面。
横須賀市から三浦市へ
近くにパラグライダースクールがあるようです
三浦海岸
海水浴場として有名ですが、さすがにまだ海の家などは出てません。〈5月〉
海岸沿いの歩道はもう少し先まで続きますがここから駅も近いのでそちらへ。
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