平作川を歩く その1 本流を河口から源まで

横須賀市久里浜にやって来ました。
今回の川あるきは三浦半島の平作川(ひらさくがわ)です。

平作川は三浦半島最長の河川とWikipediaにあります。延長は7.07kmとあり、そんなに長くはありません。
平作川源流のひとつは大楠山〈これも三浦半島最高峰〉の東山麓、山林中にあり、また河川法上(?)の平作川本流源流は住宅地域の斜面からの湧水だったりします。ほかにもいくつか支流が集まって中流部からは衣笠、久里浜などの市街地、住宅地を通り久里浜開国橋で河口、東京湾浦賀水道に出ます。

 

河口の開国橋と標識

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「河口から0.0km」の標示。

 

開国橋上から東京湾浦賀水道

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霞んでいますが正面に房総半島、右側クレーン乱立なのは横須賀火力発電所です。

発電所は現在新1・2号機のリニューアル工事中、なんと置き換わる設備に燃料は石炭を使用するとのこと。石炭燃料は環境負荷が高く、もはや世界的に廃止の方向というのに信じられません。》

 

ふり返って海側から開国橋

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『開国橋』の名は江戸末期、ペリーらによる黒船来航時にこの付近で上陸したことに由来するそうです。

上流に向かって歩きます。

 

開国橋の次の人道橋から上流方向

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河口から400mほどさかのぼって

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対岸は陸上自衛隊久里浜駐屯地。前方錆びついて架け替え工事中ですが、駐屯地との連絡橋『御稜威橋』(御稜威とは天皇や神の威光とのこと。)

駐屯地のある場所は100年ほど前までは入り江で地元漁船の停泊場所などになっていました。関東大震災で地盤が隆起し湿地化したため、埋立と水路整備工事を行い平作川の現在の流路が決まったようです。そして1939(昭和14)年埋立地に海軍通信学校が開設され、その後現在に至る途中は《省略》

 

御稜威橋から遡ることおよそ500mで次の橋、夫婦橋(めおとばし)です。

夫婦橋付近から下流の漁船釣り船桟橋

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右に「横須賀風物百選 夫婦橋風景」の標柱が立ってますが、解説文等はありません。〈左の桟橋風景ではないと思いますけど〉

夫婦橋自体も現在はごく一般的な鉄筋コンクリート橋に過ぎませんが、かつては川に人工の中洲を設けて掛戸(かけど)という水門をつくり、海水が上流に造られた新田に入らないようにしてさらに中洲の両側に2つの橋を架けたそうです。
2つの橋であることから『夫婦橋』と名付けられました。
その橋は関東大震災で中洲もろとも壊れてしまったそうです。

 

現在の夫婦橋、下流側から

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ごく最近また架け替えられたようで新しい橋です。

 

夫婦橋に隣接する人道橋から上流方向

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この周辺は久里浜の市街地に近くわりと賑やかな場所です。

江戸時代には広く湿地帯で新田開発が行われ『内川新田』と呼ばれたところです。平作川の右側に小さな川(たぶん吉井川)が合流しています。この川は新田開発時に整備された水路のひとつではないかと思います。

 

次の橋は京急久里浜線、上流側から

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この背後はJR横須賀線久里浜駅です。

 

その次は平作川右岸を通っていた国道134号(久里浜街道)が左岸に移るための日ノ出橋、自分はそのまま右岸をさかのぼります。

日ノ出橋たもとから

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この先しばらく単調な風景が続きます。

こんなかんじで。(横須賀市内川)

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支流の佐原川(岩戸川)合流点(左下から)から上流方向

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真上にちょうど横浜横須賀道路の高架がまたがってます。
200mくらい上流では別の支流矢部川が合流してます(が判別不能かと)。

 

さらにさかのぼり
森崎人道橋上から上流方向(横須賀市森崎・根岸町境界)

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河口からは4㎞近くさかのぼって、もはや中流域です。水深も浅くなってこの時は人が直接川に入って作業をしていました。
京急線北久里浜駅の近くでもあります。

 

衣笠通り(神奈川県道27号)五郎橋手前

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橋手前は太い水管橋、向こう側隣接してJR横須賀線橋梁。
左端に河川標識が立ってます。それによれば河口から4.5㎞です。
淀むためか水が濁り、汚くみえます。

 

五郎橋を越えると公郷町あるいは小矢部といったところ。

川はサインカーブを描いて流れています。昭和初期に河川改修してこの形状になったようです。

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この先流れは衣笠駅周辺の市街地に入ります。

再び衣笠通りと横須賀線線路をくぐってそれらの北側に出てきました。
宇東川合流点

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右側段差を落ちてくるのが支流の宇東川。この先は昭和40年頃に埋められて暗渠となり上は緑道が続いています。

左の本流を行きます。

わりと古くから開けた町中を通りぬけていきますが時々古い水路が平然と合流していたり、驚きます。〈なんだこりゃとか驚くのは私くらいかと思いますが〉

本流の方はいたってのどかに流れています(横須賀市衣笠栄町)

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三たび衣笠通りと交差して横須賀線線路との間、流れの合流があります。

横須賀市衣笠栄町の合流点、この地点①とします。

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地図では右から来る流れが平作川本流ですが、左は平作川の源流とされる大楠山の麓からの流れです。この地点まではまったく別の流れですがどちらも平作川と呼ばれています。

(後で調べたところ一応地元では(?)、右が平作川本流、左は清水川(越水川)源流部は湯の沢川などと呼んでいるようです。)
このあとまず本流を追いますが、①地点に戻って左の流れを追いますのでとりあえずここを覚えておいてください。(最後に置いた流路地図に①いれました)

 

本流は少し線路と並行に流れた先、その下をくぐります。

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向こうが上流。段差があって上は幅をせばめてます。

 

細い川幅となってまた衣笠通り沿いに出てきます。
横須賀市金谷3丁目付近、衣笠通りから撮影

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衣笠通りに沿って300mほどさかのぼると流れは暗渠となり、かつ流れの方向を西から南へ変えます。〈上流に向かってなので水流でみれば北から東ですが〉

方向を変えた暗渠の上から

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ここは最近整備された(あるいは再整備?)ように見えます。

 

本流はこの道路沿いにまっすぐ先へ〈暗渠で〉進みますが、この50mほど先で別の支流が合流しています。

横須賀市平作8丁目、合流地点、この地点②とします。(ここも地図に②いれました)

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左へのびる道路下に本流、右(木の植わっている先)へも暗渠ですが上が緑道になっています。

 

②地点から支流側を1枚

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左下丸い穴は支流暗渠の流れ、その上に人工の流れを設けて〈草深い〉緑道となっています。
こちらも後でここに戻ります。

 

まず本流暗渠上を先に行きます。この先道路と一体化してしばらく痕跡がありません。
その区間はひとまず飛ばして

②から400mほどさかのぼって下流方向

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道路がカーブしてその先に②地点があります。

このあたりバス停『第一平作町内会館』の歩道下あたりを流れているようなのですが〈バス停名はヒントを与えてはくれませんでした〉

 

さらに400mくらいさかのぼり(横須賀市平作5丁目)

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中央の電柱あたり、右から小さな流れが道路の方へ流れ込んでいるのが見えました。たしかにこの下に流れがあります。

 

もう少しさかのぼったところ、交差点となり、その先で再び流れが顔を出しました。

向こう側が下流方向(横須賀市阿部倉)

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さらに上流へ

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また何事もなかったように水の流れが見えています。

 

再び流れは二又に分かれ

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向こうが下流。流路地図によれば左へさかのぼるのが本流。

 

このすぐ先で最近建設された大きな道路に突き当たり、その付近で流れを見失います。

県道久里浜田浦線、阿部倉トンネル南側出口近くの交差点にて

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向こうが下流方向、横断歩道の下あたりに流れがあると想像しますが、もはや流れは見えません。

その背後。

谷頭のようになってこのどこかに源があると想像されます。

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地理院地図もここまで細々とした水色線が確認できます。

本流はこれ以上追う事もできないのでここまでです。ほぼ源まで来られたのは間違いないのでオッケーとします。
資料では本流延長7.07kmでしたが、実際の距離はここまで9㎞以上ありました。

 

次はまず②地点へ戻り、名無しの支流を追いかけます。その源流部は上の写真の丘を越えたちょうど向こう側にありました。
そちらは次回その2で。

 

平作川流路地図 歩いた流れを太く表してます。①②はその合流ポイント