散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

大栗川を歩く 多摩川から上流端までと少しだけ絹の道

49番目の川歩きノートは多摩川支流の大栗川(おおぐりがわ)。
「おおくりがわ」という呼び方もあるようだけど、河川標識などは濁る「ぐり」を使っていたので、ここでは「おおぐりがわ」を採用。

大栗川は八王子市鑓水、御殿峠付近に源を発し、柚木街道、野猿街道沿いに流れる。途中、大田川を合わせて多摩市内に入り、さらに乞田川(こったがわ)を合わせ、多摩市、稲城市との境界付近で多摩川に合流する。全長は15.29km。
大栗川・行程は三沢川、乞田川と同じ地図を使用。
赤紫が大栗川行程

前回三沢川と同様、今回も多摩川合流点から源流を目指してさかのぼって歩いた。ポリシー的に「川はさかのぼる。用水は下る。」としているのだ。例外はあり、深い意味はないけれど。

アプローチは京王線聖蹟桜ヶ丘駅

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京王線で新宿の方から来ると聖蹟桜ヶ丘駅に着く直前に多摩川を渡る。駅を下りてまずその多摩川の堤防へ向かう。

多摩川京王線多摩川橋

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天気は良くない。それに何だ多摩川の水量の多さは。(台風で大雨が降った直後)

多摩川右岸を、途中関戸橋の下をくぐったりして下流に向かって歩いて行く。だんだん右側方向から大栗川がこちらに迫ってくる気配がして、1500mくらい先が合流地点。
大栗川多摩川合流地点から多摩川下流方向を望む

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左側が多摩川、右側から大栗川。正面に「大栗川左岸、多摩川から0K」のポストが立っている。
話逸れるがここ、バードウォッチングスポットでこの日も望遠レンズ装備したカメラを据えたおじさんたちが何人も。そこへ入り込んで先頭で川の合流点を撮影。邪魔者侵入の雰囲気を感じたけど、鳥なんかいないじゃないか。

気にせず、右側へ反転して大栗川遡上スタート。
下流

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多摩川に比べると川の濁りはあまりないが、水量は格段に多い。

左側の崖が何か所か崩れていて、警官が何人か見回っていた。(訳あって台風の状況をほとんど知らなかった。そんなにすごい台風だったのか。)
新鮮ながけ崩れ現場

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すぐ上流側は向ノ岡大橋

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乞田川(こったがわ)合流点

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向こうから流れてくるのが乞田川。架かる橋は向ノ岡橋(こちらは「大」がない)。大栗川はあまりよく見えてないが、右側から左へ流れている。

乞田川合流点近く、新大栗橋の下流側、
ここに1Kポストがあった

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これより上流側ではポストは見かけなかった。

大栗橋から上流側

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また聖蹟桜ヶ丘の街中近くへ戻ってきた。
右側堤防の川側に歩道が整備されている。ここを歩いて川をさかのぼる。

霞ヶ関橋(下流方向を向いて)

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この橋付近は某アニメに登場している場所らしい。

宝蔵橋から下流

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宝蔵橋を通るのは野猿街道(都道20号)。この道路と大栗川とはこの先ほぼ並行している。

倉沢川合流点

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大栗川には小さな川や沢が数多く合流している。この日はどこからも大量の水が流れ込んでいて合流箇所がよく目立つ。

野猿街道殿田橋付近から上流側

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右側から流れ込む川(大谷戸川か)あり。

宮田橋から多摩モノレールと堰場橋

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モノレール車両の右側は大塚・帝京大学駅。いつの間にか多摩市から八王子市に入っていた。

台風の影響

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河川工事現場が無残な状態。堀之内番場公園横で。

大田川合流点

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左が大田川、右が大栗川。大田川は大栗川の最大の支流。そちらへも緑道が伸びているが、八王子市南大沢付近から上流は暗渠となっているとのこと。
右の大栗川をさらにさかのぼる。

八王子市上柚木付近

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改修されてほとんど直線化された川がずっと続き、相変わらず合流してくる小さな川が至る所にある。並木の向こう側は野猿街道。合流しているのは岩入川か?、流入してくる川や沢が多く、名前の特定も難しい。

〆切橋から上流側

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この先には「協力橋」というのもある。どんな由来があるのか気になる。

さらにさかのぼると川は柚木街道の下を暗渠でくぐる。(野猿街道は由木という地域にはいって柚木街道となる)
トンネル出口側

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柚木街道を渡り、少し先にトンネル入口がある。
嫁入橋から暗渠入口

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嫁入橋から上流側

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先に見えているのが御殿橋。

御殿橋たもとに八王子道道

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道標裏にはめこまれていた解説から

この道標は、輸出品の花形であった生糸を横浜港へ運ぶ時の道しるべとして慶応元年(西暦1865年)に建てられました。
当時、この道すじには、家屋敷が立ち並び、外国人等も往来し大変なにぎわいをみせていました。生糸の仲買人として活躍したこの地の商人たちは、鑓水商人として、後世にその名を残しています。
なお、この道標は、御殿橋南側にあった旧鑓水公会堂横に建てられていましたが、大栗川の改修工事に伴い、昭和63年に現在の場所に移されました。 八王子市教育委員会、八王子市鑓水町会

御殿橋

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橋名とともに「絹の道」の銘版が取り付けられている。ここが八王子道の道筋だった。
大栗川はこの橋の下で3つに分かれる。本流のほか、子の神谷戸、厳耕地谷戸の名前が見られる。

まず本流をさらにさかのぼる。
本流の沢

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2つの支流合流後はかなりの水量があったが、本流はかなり水が少ない。

上流端付近

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大栗川上流端標識

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右側、緑色銀杏葉の標識に「一級河川大栗川 上流端」の文字。さらに上流側は暗渠となっていた。かつては柚木街道に沿ってさらに数百メートル先、大芦谷戸の中に小さな池(時に湿地) があった。そこが水源とされる。
現在は上流端標識のすぐ上は多摩美術大学のキャンパス、谷戸は埋められて住宅地などになっている。

多摩美大へ上がっていく途中から大栗川上流端標識付近

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ここの足元はすでに暗渠となっている。

数百メートルさかのぼって、かつて谷戸があったと思われる場所へ出てみた。
暗渠の上流側延長線上と思われる歩道

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これより上流側は痕跡を追うことはできなかった。

一度御殿橋まで戻り、支流の様子も少し追ってみた。

厳耕地谷戸の流れ

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子の神谷戸を少しさかのぼったところ

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支流2本の水量は本流に比べ格段に多かった。

また、子の神谷戸沿い、川の流れとは関係のないところから大量の湧水が流れ出していた。

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石垣の段差が滝のよう。

もう一方の支流、厳耕地谷戸は八王子道の道筋に沿ってしばらく流れ、谷戸の奥へ続いていた。途中ホタルの繁殖地で保護されており先へは追って行かなかったが、地図ではさらに西側御殿峠付近まで流れがあるようだ。

厳耕地谷戸のホタル繁殖地付近で

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この真下あたりを支流が流れている。八王子道の向こうに見える建物は絹の道資料館。

川の流れを追うのはここまでとして、旧八王子道である「絹の道」を少しだけ歩く。

絹の道入口

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庚申塔などがある。
近くにある解説板から

市指定史跡 絹の道
指定区間 御殿橋から大塚山公園(道了堂跡)まで
指定年月日 昭和四十七年十月二十六日
安政六年(一八五九)の横浜開港から明治はじめの鉄道の開通まで、八王子近郷はもとより長野・山梨・群馬方面からの輸出用の生糸が、この街道(浜街道)を横浜へと運ばれた。八王子の市(いち)にほど近い鑓水には生糸商人が多く輩出し、財力もあって地域的文化も盛んとなり、鑓水は「江戸鑓水」とも呼ばれた。なお、この「絹の道」という名称は、地域の研究者が昭和二十年代の末に名づけたものである。 八王子市教育委員会

現在の絹の道

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塚山公園、道了堂跡付近

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塚山公園から八王子市街地方面

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ここからは一般道を通り、JR横浜線八王子みなみ野駅へ。

本ノートを記すにあたって参考にさせていただいた、id:oikazewindさんの記事。

oikaze.hatenablog.jp

同じ道をたどっても視点が異なると、私の見た風景もまた新鮮にみえてきます。