3月上旬に多摩川右岸を歩いた続きです。
この日は小作(おざく)堰までをひとつの目標として歩きましたが少々距離的に物足りず、もう少し歩きたいのでした。
多摩川をこのままさかのぼるのがイージーですが以前歩いたし...
このあたりはほとんど土地勘ないのでまず足の向く方へ進んで徐々に行先を決めればよいかなと、Go
多摩川小作取水堰、取った水の沈砂池を前回の反対側(川の上流側)から
多摩川を渡る堰の管理橋を渡ってこちら岸へ、取水された水の沈砂池をまわってきたところです。
小作堰から離れるとまず多摩川がつくった扇状地であり武蔵野台地のはじまる西の端っことなる段丘の上へ向かいました。
段丘崖の坂道を上がってるところです。
住宅密集してますが低くなっている部分中央を多摩川が流れています。そこを一直線に横切るのは圏央道、やや右の方にトラス橋の多摩川橋、その手前に吉野街道多摩川橋のアーチ橋も頭を出してます。
その向こうは丘陵地帯、区分けが結構あいまいで名前で混乱しますが『長淵丘陵または草花丘陵』としておきます。一番奥は奥多摩の山々。
多摩川扇状地へあがると周辺一帯は起伏なく平坦です。
すぐJR青梅線の踏切にぶつかりました
線路右の方近くに小作駅が見えました。
左(西)へ2駅先の東青梅駅付近、青梅市役所もあるところですが、扇状地の扇の要にあたる部分(扇頂)です。そこから標高が低くなる東方向に向かって道路などもきれいな扇形に広がっていることが地図をみるとわかります。
踏切の位置からだと左が高く右が低くなっているはずですがさすがに目視では感知できないです。
このへんは羽村市北部で地名だと小作台、もう少し行くと青梅市新町へ入ります。一帯はそれほど古くない時期にひらけた住宅地域です。
まだ行き当たりばったりで歩いてます。
記録に残してませんが、新町1丁目大山公園脇を通ったとき丸い塚(稲荷塚)の上に「新町開村三百八十年記念 武蔵野台地西端の地」と刻まれた石碑を目にしました。
当時は不毛といわれた台地上、よくそんな昔に村をひらいたというのと、たしかにこの地であれば武蔵野台地上西端に間違いないなんてこと思いました。〈ちなみに塚は円墳の佇まいですが古墳ではないようです〉
交通量も23区内に比べて少ない印象の青梅街道を横断したりして、新町から北へ大門地区に入り
小さな茶畑を記録してました(青梅市大門2丁目)
このあと県境をこえて入間市内に入るのですが狭山茶産地の広大な茶畑を見逃していたことは後で気づくのでした。
多摩川沿いから小作台へ上がってからずっと平坦なところが続いてましたが突然下りが現れます。
下ると小さな川の流れがあります。
霞川(かすみがわ)
よく知らない土地はまず川沿いから歩く、みたいな勝手ルールがある?自分の散歩ですが、ここはもう少し先にある丘陵まで足を延ばすことを決めてました。〈そのあとこの川に戻って先へ進もうと〉
橋を渡ってまた北方向へ
とあるT字路から西のほうを見て
霞川が流れるちょっとした谷地へ下りてきましたが、このあたりって車がないとだいぶ不便なところじゃないのかなと思うのですが住宅地が途切れないんです。
少し不思議だったので後から調べてみると段丘(扇状地)上の台地面よりこちらのほうが古くから開けていたのですね。
昔、台地面は水が得られにくかったので農地がひらけず、川の流れる谷地に人が住んだというのは道理。こちらも例外じゃなかったです。
霞川以外にも小さな流れをいくつか見ました(青梅市谷野)
新しい住宅も増えてますが農家などの古い建物も残ってます。
ここからすぐ山根通りという道にぶつかり、その北側は傾斜地、道は今度上り勾配で横たわる丘陵部へあがっていきます。
山根通りまで出てきて進む方向を思案。
西のほうへ行くとこのあたりで有名らしい塩船観音というお寺がありますが、裏がゴルフ場なので奥へ行けず戻ってこないといけないかもしれません。
一方まっすぐ行くと丘陵の中になぜか意外に広そうな道が東のほうへ続いているようです。
この道が少し気になったので塩船観音には寄らずまっすぐ丘陵にあがってみることにしました。
少し上がっていくと真浄寺というお寺の前へ
境内はしだれ桜でしょうか。花にはまだ早いようです。
さらに坂道をあがると住宅地も途切れて森の中へ。
道が2つに分かれます
ここまで来てから左へ行けば塩船観音方面へとつながってることがわかりました。〈そちらをまわってここへ出てこれたのですね〉
『霞丘陵』と書かれた案内標もあった中、ここは分岐を右へ行きます。
青梅市から入間、飯能市にかけての霞川北側にのびる丘陵は一般に「加治丘陵」と呼ばれますが、そのうち青梅市域の一部を「霞丘陵」と呼んでいるようです。同じ音の「加住丘陵」が八王子市内などにあるのでちょっとややこしいです。
車止めの向こうへはいると山道?にしては妙に立派な道路です
右側看板にも書かれてますがここには立正佼成会の施設があり、そこへつながる道路となっているのでした。
歓迎されたような..
内部はまったく誰もいませんでした。でも周辺の林のなかも含めてよく手入れされてます。
北側ひらけたところ、下にはグラウンドや野球場などが見えます
こちらは青梅錬成道場といい、ほかにもいろいろな施設があるようです。
どうも裏口から入ったようで、通過すると表側へ出ました。
表門近くに咲いていた梅
門は頑丈な金属の扉が閉じてましたが脇の土手に「歩行者用階段」と記された標識があったので進入を拒んでいるのではなかったようです。
出てくると「笹仁田峠」と表示がありましたがあまり峠感はなく。
すぐまた霞川沿いの平坦地へ出ました。
青梅市藤橋付近から
前方長くのびるのが霞丘陵、途中ちょっと切れてるところが笹仁田峠でしょうか。
こちらにも梅の花
このあたりからは霞川沿いの歩道をずっと歩きました。ここからもっぱら川歩き。
霞川・天神橋上から下流方向(青梅市今井)
左側に天神社、浮島神社があります。
対岸から
霞川は荒川水系入間川の支流で青梅市内、わりと街中に近い場所に源があります。加治丘陵沿いにほぼ東へ入間市から狭山市へ流れ狭山市内で入間川に合流します。大昔の古多摩川流路を流れているといわれます。(大昔の多摩川は武蔵野台地北側の現入間川荒川方面へ流れていたときがありました。)
霞川の近くは古くからの集落に新しい戸建住宅が混じる住宅地がずっと続いています。
神社から少し下り『いっぽんばし』手前
渡って振り向くと支流が合流してました
霞丘陵内からの流れのひとつでしょうか。
そこからほどなく埼玉県入間市にはいります。
都県境にかかる金子橋付近
「埼玉県」「入間市」と「霞川」の標識、手前後ろ向きは当然「東京都」「青梅市」です。
渡る道路は豊岡街道、青梅市と入間市を結ぶ主要地方道です。
これは後から知ったのですが、豊岡街道沿いには1901(明治34)年から1917(大正6)年まで中武馬車鉄道が青梅ー入間川(現西武鉄道狭山市駅)間を通っていたそうです。この金子橋も通過していました。
金子橋から霞川下流方向(入間市木蓮寺)
300mほど下ったところで
また合流です。左(南)側の台地上から流れ落ちてくる水です。そちらの台地上は広大な茶畑が広がっているということを帰ってから知りました。〈先ほども書きましたね〉
さらに下ると鉄道橋梁(入間市南峯)
JR八高線橋梁。
このまま川を下って入間市中心部までは少し距離があるのでこのへんまでで切り上げることに決めました。
駅は幸い近くにあるのですが列車がすぐには来ません。
もう少しだけ下流へ歩きました。
川沿いに1本だけ咲いていた何サクラ?
崖の上へあがって霞川上流方向(入間市寺竹付近から)
奥には加治丘陵がのびてます。
八高線金子駅、無人駅でした。
とりとめなく書きましたが以上です。