散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 目白崖線・落合崖線の坂道(5) 中落合、中井の4坂

今回も落合崖線にかかる名前付きの坂道をたどります。
新宿区中落合から中井の、見晴坂、六天坂、振り子坂、山手坂、以上4つの坂道です。

 

◆見晴坂〈みはらしざか〉

昔は1本の細道が、現在の新目白通りと山手通りの中落合二丁目交差点位置を通って南にのび、150mほど行ったところが坂上、約100m下って坂下でした。
見晴坂の位置や長さは変わらないものの、大きな2本の通りの建設に伴い周辺の地形、道路の構成、形状も変わっており、中落合二丁目交差点付近から見晴坂の坂上に直接出る道は分断され、たどりにくくなった事は間違いありません。

新宿区中落合1丁目、分かりにくくて特徴のない場所に坂上、下って約100mで中井通りに出る細い道が見晴坂です。落合崖線の傾斜が急な部分に直接かかり、きつい坂道です。

坂上から

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道の右側にも「この先急坂あり注意」とあります。

名称は”見晴坂”ですが、現在は高い建物や樹木に覆われて見晴らしはほとんどききません。

 

少し下りてから坂上

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坂の途中に標柱があります

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見晴坂(みはらしざか)
昔、この坂上からの眺望は素晴らしく、特に富士山の雄大な姿は抜群であったという。また、坂下の水田地帯は古来より落合蛍の名所として知られた。坂名はこれらの風景に由来するものであろう。

この道は明治期迅速測図にも現れているので古くから存在するのでしょう。
道は坂上からはほぼ直線、坂下近くで左に曲がってから中井通りに突き当たり終わります。

 

曲がるあたりで坂上方向

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坂下よりも中間から坂上にかけてのほうが傾斜がよりきつく見えます。

 

坂下の中井通りから

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中井通りからすぐに坂が上がっています。坂下にも坂名標柱が立ってます。

この背後は50mほどで妙正寺川の流れになります。せまい谷間の、かつては水田地帯、蛍の名所だったそうですが、現在は住宅に埋め尽くされています。

また、坂下を通る”中井通り”は、目白、学習院下方面から落合崖線の崖下に沿って延びていた、”新井薬師道”と言っていた道と同じものだと思います。現在はところどころ道が分断され、場所により名前が変わっているのでしょう。

 

 

◆六天坂〈ろくてんざか〉

中井通り、見晴坂坂下から西へ100mほど行くと北側へ上がっていく道があり、これが六天坂です。
所在は中落合1丁目。

 

坂下の中井通りから六天坂

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坂下付近はゆるい傾斜ですが、のち急になります。

少し上って道が右に少し折れるところに”第六天”の祠があります。

 

祠の近くから

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第六天の祠は個人邸宅の門に隣接してあります。
ここから上へ道は一気に急坂に変わります。

 

祠の前あたりから中井通り方向

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急坂途中にも標柱があります

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六天坂(ろくてんざか)
大正時代に開かれた坂道である。坂上に第六天の祠が建っていたため、六天坂と名付けられたという(『落合新聞』)。

たしかに昭和初期の地図にはじめて六天坂の道が現れます。その道は坂上で折れ曲がって見晴坂の道と合流しています。
説明文では第六天の祠が”坂上”にあり、となってますが、現在は坂下近くにありますね。

 

もう少し上がって振り返り

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ほぼ坂上

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狭いながらも多少見通せて、西新宿あたりの高層ビルが見えてます。
坂上から背後へは山手・新目白通り中落合二丁目交差点へ直線で150mほどの距離です。

 

 

◆振り子坂〈ふりこざか〉

新目白・山手通り中落合二丁目交差点から山手通りを南西方向に150mほどのところ、振り子坂通りと山手坂通りが山手通りに出てきます。

突き当たる直前に通りの通称「振り子坂通り」と書かれた青い標柱が立っています。

山手通りを背にして振り子坂通りの標柱/右端

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標柱のある位置付近はほとんど傾斜はありません。坂がはじまるのはもう少し先です。
また、この左側からは山手坂通りが下っています。

 

坂下付近から山手通り方向

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坂半ばから上方向

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道は坂上で突き当たり、坂も終わります。坂上を横切る通りの名は”坂上通り”、まんまです。

 

坂上から振り返って

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実際の坂道部分の長さは120mほど、坂下まで直線、下りきってからわずかに折れて山手通りへ出ています。
路面は丸いくぼみのあるコンクリート舗装、いわゆる急坂仕様ですが、勾配はそれほどでもありません。

坂上あたりの一帯は目白第二文化村として1923(大正12)年に住宅分譲がはじまり、振り子坂の道もその頃ひらかれたものと推測されます。当時は山手通りは存在せず、その南側にも道がつながっていたようです。

名称の由来はいまひとつはっきりしません。
現在の”振り子坂通り”の名は2009年に新宿区が道路通称名を公募し、そのひとつとしてつけられたものです。

 

 

◆山手坂〈やまてざか〉

振り子坂通りと同じ位置で山手通りに出てくるのが山手坂通り、そこの坂が”山手坂”です。

坂下から

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通りの通称「山手坂通り」が書かれた青い標柱が立っています。この他に標識などはありません。
直線で短い坂道、坂上がすでに望めます。

 

坂半ばから下方向

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坂下の横断歩道は山手通りの歩道部分。

 

坂上から

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これと言って特徴のない坂道ではあります。

長さは60mほど、傾斜はやや急でしょうか。
坂下で交わる”振り子坂通り”と同時期(1923(大正12)年頃)に開かれた道と推測されます。

通りの名は2009年に新宿区内67の道路通称名を公募し、そのひとつとしてつけられたものです。
坂下で「山手通り」につながることが名称の由来になっているようです。

 

坂道地図、今回分は21~24番になります。

 

前回(4)

坂道探訪 目白崖線・落合崖線の坂道(4) 下落合、中落合の5坂 - 散歩の途中