散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 目白崖線・落合崖線の坂道(4) 下落合、中落合の5坂

前回に続き、落合崖線にかかる名前付きの坂道をたどります。
今回は新宿区下落合から中落合の久七坂、聖母坂、西坂、霞坂、市郎兵衛坂、以上5つの坂道です。

 

◆久七坂〈きゅうしちざか〉

新宿区下落合4丁目、新目白通り下落合駅前交差点から東へ100m、そこから北に細い道を入るとすぐ坂下です。

坂下から新目白通り方向

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前方を横切る新目白通り、足元はすでにコンクリート舗装の坂道領域。

 

背後の坂道

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坂は途中で左に折れ、そのあと右にカーブしています。

 

左に折れた瞬間、下を見て

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同じ位置から次、上を見て

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右カーブの先に坂上が見えてくるあたり

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ほぼ坂上から

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せまい視界の前方には都庁などの高層ビルがいくつか見えてました。

 

その後ろは坂名標柱

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解説文は電柱とのすき間に書かれていて、非常に見にくいです。

標柱の解説文

久七坂(きゅうしちざか)
豊多摩郡誌』には、もとは田んぼへ行き来するための道で、急な坂であったと記されている。坂名はゆかりのある村人の名にちなむものであろう。

以前の標柱の文言も別途拾えました。

久七坂(きゅうしちざか)
豊多摩郡誌』に「久七坂、村道元耕作道、字本村に属す、急坂なり」とある。
土地の人たちの話によれば、むかし、妙正寺川べりの田んぼは大半山上の農家のもので、久七坂も住家から田んぼへ下る野良道であったという。坂名はゆかりの人名にちなむものであろうか。
平成三年九月 東京都新宿区教育委員会

 

坂上、先から振り返り

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電柱のすぐ後ろに標柱あり〼。サンタクロースが出入りできそうな煙突もありますね。

この坂下あたりの谷間は神田川妙正寺川の合流点(現在は人為的に移動してますが)、川が落合うところで地名も落合。
その谷間には昔、水田が広がっており、坂を上がった台地上に農家の家屋があったのでしょう。

 

 

◆聖母坂〈せいぼざか〉

新宿区下落合4丁目と中落合2丁目境界、新目白通り下落合駅前交差点を北にほぼまっすぐ上がっていくのが聖母坂。久しぶりに広い道路の坂道です。
傾斜はゆるいですが坂の長さは400mほど、結構あります。
坂名の由来は通りの途中にある”聖母病院”から。2009年に新宿区が区内67の道路通称名を公募し、聖母坂通りもそのひとつとしてつけられました。

坂名標識、解説はなく、「聖母坂通り」と通り名を記した標柱が坂下にあります。

下落合駅前交差点歩道から聖母坂坂下

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道路左端に紺色の標柱があります。

 

通りを渡って交差点側を振り返り

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標柱は右端に。道は交差点前方で妙正寺川を渡り、西武新宿線下落合駅前の踏切へ。

 

聖母坂を上がっていきます

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上に向かってわずかに左へカーブしてます。傾斜のほうは一本調子、だらだら上がるという感じです。

 

聖母病院建物横から坂下方向

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反対の歩道から坂上方向

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ほぼ坂上からその先

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正面信号機のある交差点付近が坂上、左には病院正面玄関、車寄せなどがあります。信号を直進すると聖母坂通りは200m弱で目白通りに突き当たります。

聖母坂通りは落合崖線にまっすぐ切れ込んだ谷間を通す形で道が付けられました。そのため台地上に至るまでの距離はあるものの傾斜のゆるい坂となっています。
この通りの開通は比較的新しいようで、今昔マップを見ると昭和22年発行の地図にはじめて現れます。

 

 

◆西坂〈にしざか〉

新目白通りと聖母坂通りが交わる下落合駅前交差点に戻ります。その交差点から10時の方向に分岐する道、そちらに入って50mほどで西坂の坂下です。所在は中落合2丁目になります。

坂の手前で道がまた二手に分かれ一方が西坂、そこに坂名標柱があります。
西坂の坂下

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標柱の解説文

西坂(にしざか)
西坂の名は、江戸時代後期の絵図に認められる(堀江家文書「下落合村絵図」)。
豊多摩郡誌』には「西坂、新宿道、字本村と字不動谷との間にあり」とある。
かつて坂上にあった徳川男爵邸の牡丹園は、盛時に一般公開され、落合の名所の一つになっていた。

以前の標柱の文言も別途拾えました。

西坂(にしざか)
豊多摩郡誌』に「西坂 新宿道、字本村と字不動谷との間にあり」とある。
坂名の由来は、この坂が字本村の西に位置するからだという。
かつて坂上にあった徳川男爵邸の庭園は牡丹や菊の時期に一般公開され、この坂あたりも賑わったという。
平成三年九月 東京都新宿区教育委員会

江戸時代後期には存在していた坂道、坂上には徳川男爵邸(徳川家の男爵ってたくさんいたと思いますが…)なるものがあったようです。

 

坂道は細く、上に向かってはじめ右にカーブ、のち左にカーブして坂上に至ります。傾斜は特に中ほどから上がきつい印象でしたが、全体的に急坂です。

上り始めて坂下を振り返り

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坂の中ほど

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左右とも建物入口、右は徳川女子会館とありました。すでにこの上は邸の一部だったのでしょう。

 

坂道より立派な擁壁に目がいきます

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坂上方向

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正面建物の手前からは平坦になります。

 

坂上建物前から振り返り

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道路右側電柱前に坂上の標柱がありました。(記された内容は坂下と同じ)

左側は区立中落合第二保育園、その手前には区立西坂公園が続きます。いずれも徳川邸跡が区の施設になったのかと想像。

 

 

◆霞坂〈かすみざか〉

西坂から霞坂へは、坂下からでは新目白通り下落合駅前交差点から西に300mほど行きますが、坂上の住宅地を伝うと半分ほどの距離です。

西坂上を直進、最初の角を左折すると霞坂坂上の標柱に出会います。

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まだこの辺は平坦、少し先から下りはじめます。

標柱の解説文

霞(かすみ)坂
明治時代末に開かれた坂で、『豊多摩郡誌』には「大字下落合里俗中井より小学校前へ開穿(かいせん)したる新坂なり」とある。
この坂下は一面の水田だったので、春がすみの立つ、のどかな田園風景が美しかったのだという。

以前の標柱文言

霞坂(かすみざか)
豊多摩郡誌』に「霞坂 大字下落合より小学校前へ開穿したる新坂なり」とある。
むかし、この坂下は一面の水田だったので、春がすみの立つ、のどかな田園風景が美しかったという。
平成三年九月 東京都新宿区教育委員会

豊多摩郡誌にある「小学校」とは現在も霞坂上付近にある、落合第一小学校のことと思われます。

 

下りはじめの緩い坂から急坂に変わるところ

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最初の数十メートルは緩い坂ですが、左に折れると一気に急勾配に。
さらにその先、道も細かくジグザグに折れ曲がってます。

 

急な坂の半ばから上

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もうちょっと下るとまた標柱がたってます。

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坂の途中ですが霞坂の標識。まだこの下へ急坂が続いてます。
左へ行く道はあまり勾配はないようです。

 

その標柱を右にみて坂下方向

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さらに下って振り返り

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この背後に道がカーブして勾配は緩くなり、すぐ坂下、新目白通りにぶつかります。

坂道としては短いのですが、その分勾配がきついです。
道が通された時には崖の上下をつなぐ単なる生活用通路といった位置づけだったのでしょうか。

 

 

◆市郎兵衛坂〈いちろべえさか〉

新目白通りと山手通りの中落合二丁目交差点、そのすぐ東側にあります。
珍しい形の坂道で、新目白通りから分岐した道は先で再び同じ道に合流します。坂の途中まで上り、真ん中あたりは平坦、最後は下り坂、普通なら2つの坂道と見なされると思いますが、これでひとつ(単一)の坂名となっています。

山手通りから離れたほうの坂下から見ていきます。

新目白通りとの分岐点から

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右正面、市郎兵衛坂はどちら側の末端も緩い傾斜、なかほどは平坦、道は左右にうねって全体の長さは140m程度です。
新目白通り開通前の地図では、市郎兵衛坂の道が新目白通りをはさんだ反対側から続いていて、そちらの方へも坂道だったように見えます。道路の開通で坂は分断され、短くなったようです。
左に写っているのが新目白通り、山手通りとの交差点方向を見ています。こちらも向こうへ緩い上りになっています。

分岐に標柱があります。

市郎兵衛坂(いちろべえさか)
豊多摩郡誌』によれば「市郎兵衛坂 中井道、字不動谷と前谷戸との間にあり」と書かれている。坂名の由来についてははっきりしない。この坂にゆかりのある人名をとったものと思われる。

古い標柱もほぼ同文でした。

 

ちょっと先へ入って

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道はごくゆるく上がります。左は新目白通り

 

右折した先

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さらに先を左に曲がると坂道の頂点に。

頂点付近から来た方を振り返って

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向こう側の電柱の左から下る、急で細い坂道があります。そこは俗にいうスリバチ地形、谷があって底には暗渠も。そちらの坂にも名前があってよいような気がしました。

 

上とほぼ同位置から坂の先を

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次に道はわずかに下りとなり、再び新目白通りに合流、中落合二丁目交差点付近に出ます。

 

交差点側へ出て振り返り

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右が新目白通り、左から下って市郎兵衛坂。

新目白通りは軽く切通しになってます。推測するに、この中落合二丁目交差点付近は道路を設けるにあたって土地を掘り下げたと思います。それで市郎兵衛坂に下り(最初の上り?)の部分が生まれ、現在の姿になったのかと。

現在は妙な形状の市郎兵衛坂も新目白通り工事前はきっと普通の坂道、そしてもう少し距離が長かったはずです。
ちなみにこの近辺、新目白通りの開通は1969年3月です。

 

目白・落合崖線坂道4回目は以上です。

地図、今回分は16~20番になります。