前回「空堀川を歩く」で源流のある武蔵村山市の野山北公園まで来ました。そのあと同じ日に歩いたところを、ついでと言ってはなんですがまとめてみました。
狭山丘陵南側、野山北公園内の空堀川源流の池から
正面の小さな橋から向こうへ水が流れ出していて、橋のたもとに空堀川源流の表示がありました。
実際は池よりやや奥(写真後ろ側)にある沢の湧水が源になっています。
空堀川からはここで離れ、正面を通る道に出ます。
東京都道・埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線〈名前が長い〉に出て
前方、雑木林の中を先へ進みます。まず狭山丘陵の中央部、尾根筋に沿う道路の上を。
500mほど先の様子
道路両側に歩道があるので歩くのに支障はありません。もう少し行くとサイクリングロードと合流します。車の交通量は結構多くて走行音が絶え間ありません。
道路の外側は雑木林、貯水池。水道用地でセキュリティが厳しいため立入りできないところが多いです。左側のようにフェンスの仕切りが立ってます。
サイクリングロードと合流して
右側山口貯水池(狭山湖)、左側村山貯水池(多摩湖)の間を通っているのですが眺望は良くないので湖の姿はほとんど見えません。
こちらの道路を歩き始めて約2.5㎞、ずっと林間地帯でしたが次第に人工物が現れ始めます。
道路わきに玉湖神社の鳥居
『玉湖』は〈たまのうみ〉と読むそうです。
貯水池として整備された多摩湖、狭山湖の水神を祀る神社として1934(昭和9)年、当時の東京府水道局によって建てられましたが、戦後、政教分離の原則から都が神社を管轄することができなくなり、現在は神様のいない神社だそうです。
さらに拝殿は2011年の東日本大震災で被災して解体され、神殿のみが残っています。
さらに200mほどで金乗院(こんじょういん)
こちらは裏手の門、および五重塔(千躰観音堂)
山口観音の呼び方が一般的でしょうか。
古くからある寺で、空海によって(9世紀前半)開かれた、新田義貞の鎌倉攻めの時祈願に訪れたなどの言い伝えがあるようです。
こちらに隣接するのが狭山不動尊〈私、この間柳瀬川を遡ったあとに訪ねました〉です。
山口観音の先へ進むと、村山上貯水池・下貯水池を隔てる堰堤に出ます。
その近くにかかる『多摩湖橋』
橋は湖ではなく道路を跨いでます。人道橋です。
多摩湖橋の上から望む村山上貯水池、堰堤
ダム天提を道路が通っていますが狭く歩道はありません。車の通行量が多いので堤の上から湖をじっくり眺めることはできません。
ここは左へ、多摩湖橋を渡って村山下貯水池の方へ進みます。
すぐに巨大な構造物が2つ現れます。
もちろん屋内人工スキー場、写っているのはゲレンデの一番高い部分だけ、左へ向かって下ってます。
その隣りは西武ドーム
寄って
前々回くらいのノート、柳瀬川を遡った最後に見たのがここですがその時はドーム正面、この反対側から見ました。
こちら側球場内は内野席バックネット裏のほうではなかったかと。
ドームの先からは西武山口線も並走
かわいい車両が通ります
現在はレオライナーの愛称、結構歴史は古くて1950年開通、ユネスコ村*1行き『おとぎ列車』だったそうです。
このあたりは周辺の木の密度も小さく、時々南側に多摩湖の水面が見えます。
西武ゆうえんちに近づいてきて
うっすら富士山も〈見えますか~〉
やけに寂しい遊園地入口、と思ったら
メインエントランスはあちら、の表示。ここは近くの駅との連絡口、繁忙期のみ使用の雰囲気です。
ここからは多摩湖(村山下貯水池)の堰堤上を通るととても良い眺めですが、通ったことのない道を選択。
住宅地真ん中を貫く緑道(廻田緑道)へ
坂を下りてまた丘陵へ上がってふり返り
前方に近くを通って来た西武園ゆうえんちの観覧車などが見えます。そちらから足元へまっすぐ伸びる緑道、左向こうには多摩湖の堰堤がそびえてます。
少し角度を変えて堰堤方向
丘を越えるとまた住宅地内、この直線道路↓は先ほどの廻田緑道が一般道に変わって続いてるものです。
この手の長い直線(道路)は下に何かが通っている事が多いですが、ここは水道、山口貯水池(狭山湖)から東村山浄水場への送水管を埋設してあるようです。
その東村山浄水場近くで再び空堀川を渡り、さらに南の方向へしばらく歩いて到達したのは野火止用水。
「野火止用水清流の復活」碑と水路遊歩道(東大和市向原4丁目)
その水路沿いを久しぶりに歩きました。
同じ遊歩道から(小平市栄町付近)
最後は青梅街道が野火止用水を渡る青梅橋へ、その目前にある西武拝島線東大和市駅まででこの日の散策は終了としました。
青梅橋交差点信号と駅設備など
ここまで。
*1:1951年開園した遊園地