散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

芝川を歩く その3 大宮台地へ上り桶川市内の源流まで

前回の続きです。

芝川は見沼代用水西縁との伏越から上流すぐのところで中島都市下水路と合流しています。(下水路といっても現在は公共下水道の整備が進んでおり、未処理の排水がそのまま流れ落ちてるわけではありません。)水路の工事中だったので接近できずこの部分端折ってしまいました。

中島都市下水路合流地点から400m上流、名称不明橋の上から芝川上流方向

f:id:miwa3k:20210517154305j:plain

地点はさいたま市北区今羽町・見沼区東大宮3丁目境界。
周辺、中世以前は芝川が見沼へ注ぎ込む入口にあたり、湿地、葭原などが広がっていたのではないかと推測します。
現在は住宅と農地(畑)が混在しています。

事前に航空写真で確認し、フェンス沿いに歩ける予定でいましたが無理でした。草の生長が案外速い。
一般道を迂回しつつ先へ。

 

次の『船橋』から上流方向

f:id:miwa3k:20210517154315j:plain

前方は東北・上越新幹線高架橋、その手前で川を横切る国道16号東大宮バイパス野原橋。このへんは芝川がさいたま市北区上尾市境界。

 

国道と新幹線の下を〈一般道迂回して〉くぐり、その次の橋

吉野橋上から上流方向

f:id:miwa3k:20210517154326j:plain

吉野橋は最近架けられた新しい橋でした。
川の様子は最初の写真から似たり寄ったり。今回スタート地点より上流しばらく変化はありません。

 

無名橋上から(上尾市日の出4丁目)

f:id:miwa3k:20210517154335j:plain

上尾市に入ってさいたま水上公園付近、スポーツ施設が集中してます。左側建物は埼玉県立武道館。
1967年の国民体育大会会場が埼玉県、上尾市の競技場が使用されたようです。それに関連して周辺道路等整備され、芝川の次に架かる橋は『国体橋』、そこを通る道路は『運動公園通り』だそうです。

 

国体橋の次は
鎌倉橋

f:id:miwa3k:20210517154345j:plain

『鎌倉橋』といえば昔、鎌倉街道が通っていたというのが相場で、ここも多分に洩れずそのように伝えられています。〈ただし詳しいことは不明〉

 

鎌倉橋上から芝川上流方向

f:id:miwa3k:20210517154354j:plain

だんだん住宅などの密度が高くなってきます。

 

上尾市文化センター付近(上尾市本町2丁目、二ツ宮境界)

f:id:miwa3k:20210517154405j:plain

こちら側は団地、建物が川沿いにいくつも建ってます。このあたり芝川が上尾市街地に一番近づくところです。

 

そこから遡ること900m、
一本杉橋上から上流方向(上尾市本町6丁目)

f:id:miwa3k:20210517154415j:plain

小さな流れが右奥から手前へ合流します。3㎞ほど先、桶川市小針領家付近へ辿れるこの流れも芝川の源流のひとつとされているようです。

今回は左へカーブしていく流れを追います。

 

一本杉橋から約400m上流、尾平橋下流側から

f:id:miwa3k:20210517154425j:plain

 

近くから

f:id:miwa3k:20210517154435j:plain

橋の下はゴム製?の幕が下がって奥が見えません。流れはここから先しばらく暗渠となります。
橋脚、水出口側に溝が切ってあり、かつては水門があったのかもしれません。

 

暗渠にされた流れの上は広い道路になってました

f:id:miwa3k:20210517154445j:plain

 

芝川小学校付近の暗渠の上道路

f:id:miwa3k:20210517154455j:plain

左の白フェンス内側は雨水調整池、雨水を一時的に溜めてから川に流すことで溢水を防ぐ設備ですが、この道路沿いに何か所か見られました。確かにこの下に川が流れている証拠です。

 

暗渠になって1㎞ほど先、広い道路を横切ります。

芝川・坊ノ下橋親柱

f:id:miwa3k:20210517154504j:plain

かつてここに架かっていた橋の親柱だけが残されています。
大量の車止めが連なる歩道?の下が芝川暗渠です。

この先も横切る道路に橋が架かっていたところ、川名と橋名の銘版の入った親柱だけが律義に残されてます。

 

前方の団地建物手前を横切る道路には
氷川橋親柱

f:id:miwa3k:20210517154515j:plain

親柱4本とも残されています。(写っているのは3本)

ちなみにこちらの『しらこばと団地』は1967年に開催された埼玉国体の選手村だったそうです。〈国体で選手村を設営するとは当時はずいぶん力が入ってたんですね。〉

 

団地内の歩道は暗渠化された川の跡

f:id:miwa3k:20210517154527j:plain

団地建設後かなり経ってから流れが暗渠化され、歩道となったようです。

同団地内にはもうひとつ『中橋』の親柱も。〈これは省略〉

 

団地北端には『堤橋』

f:id:miwa3k:20210517154537j:plain

道路向こうは再び流れがみえます。なので向こう側は欄干のある橋、手前側は残された古い親柱だけという取り合わせとなってます。

 

さらに上流へ。

流れの様子(末広橋付近)

f:id:miwa3k:20210517154546j:plain

すでに最上流部の芝川、人工的に改変された水路と化しています。水路敷の草の倒れ方で向こうが下流と分かります。

 

このあたりに架かる橋、意匠が特徴的なのでそればかり並べてみます。

再掲ですが、『堤橋』

f:id:miwa3k:20210517154555j:plain

 

次に架かる『長浪橋』

f:id:miwa3k:20210517154605j:plain

 

欄干にチューリップ?『末広橋』

f:id:miwa3k:20210517154614j:plain

 

一本橋』、一本杉?〈焼き鳥串に見えなくもない〉

f:id:miwa3k:20210517154623j:plain

 

四つ葉のクローバーは『しあわせ橋』

f:id:miwa3k:20210517154637j:plain

 

扇の『扇橋』

f:id:miwa3k:20210517154647j:plain

 

『まなび橋』は鉛筆と本

f:id:miwa3k:20210517154711j:plain

500mくらい離れたところに小学校、中学校があります。

 

まなび橋から再び暗渠になります。で、流れが2本に分かれます。

まなび橋の反対側

f:id:miwa3k:20210517154722j:plain

いずれもコンクリート蓋の暗渠になってますが、右奥はここまでの流れの延長線上、それに左側から来る流れが合流しています。

左側からの流れの方が暗きょ蓋の幅が広いのですが、あらかじめ仕込んでおいたWikipediaの芝川源流《桶川市末広2丁目》の情報につられ、右奥へ進みました。

 

入っていくと

f:id:miwa3k:20210517154730j:plain

先で行き止まりのように見えますが、右へ直角に折れて

 

見事なつつじに思わず1枚

f:id:miwa3k:20210517154741j:plain

 

畑に出て

f:id:miwa3k:20210517154751j:plain

 

正面、道路に出るところで暗渠途切れます

f:id:miwa3k:20210517154802j:plain

再度暗渠になってからここまで《末広3丁目》でうぃきぺ情報とちょっと違いますが、《ここが芝川源流です。》

ただ、地理院地図を見るとここの先に小さく水路、川を示す水色のラインがあるので《ここが芝川源流》の証明のため、そちらも確認してきました。
位置としては国道17号と県道12号の坂田交差点から北へ150mほどの場所、芝川の流れとは逆方向に水が流れていました。つまり(周辺全くの平地ですが)分水嶺を越え別水系に属することを現地確認(後追いで地形図等も確認)したので、先の道路突き当りが源流間違いないです。

 

もう一方、まなび橋地点から分かれる暗渠ですが
一応分岐部からの絵

f:id:miwa3k:20210517154812j:plain

前方すぐ国道17号でそこを渡っています。実際に辿ってはいないのですが、GoogleMap&StreetViewでの追跡が可能でした。
国道17号を越えて北西へ次に南西に折れて進み、まなび橋から約900m、旧中山道にあるドラッグストアの桶川西店前《桶川市西2丁目》まで暗渠が続くことが確認できました。距離的に最初に辿った暗渠より長いです。

源流付近にはほかにも暗渠道が何本か見つかります。流れが集まって水量を増やし、しだいに芝川が形成されていくのだということがよく実感できる川でした。

 

おまけ・桶川駅ホームから

f:id:miwa3k:20210517154823j:plain

 

芝川おしまい。

芝川流路地図 今回分は芝川(3)

 

 

過去分

miwa3k.hatenablog.jp