新河岸川を上流から歩いて志木市に架かるいろは橋まで来ました。ここではすぐ隣りを柳瀬川が流れ、合流します。
新河岸川(右)と柳瀬川(左)合流点を下流の富士下橋から
新河岸川がいろは橋、柳瀬川やや奥に栄橋。中央で工事中は志木市役所といろは親水公園。
かつては合流点の柳瀬川寄りに引又河岸、新河岸川寄りに宗岡河岸があり、特に引又河岸は所沢方面からの街道を介して多くの物資が運ばれ、大きな河岸場でした。
また、2つの川を跨いで野火止用水を右側の宗岡地区に送水する木製の『いろは樋』がかかっていました。(いろは樋は1775(安永4)年完成、長さ260m、いろは48の樋を繋ぎ合わせて造られたのでこの名があります。)
いろは樋のジオラマ
これは野火止用水を歩いたときに撮りました。栄橋の左方、市場坂上交差点近くに展示されています。
そしてこちら富士下橋
いろは親水公園内の人道橋。
右側はそれほど高低差はありませんが、段丘になって崖が続きます。
段丘の崖は時にこのように利用されています
やや戻って宮戸橋付近
宮戸橋手前を赤い塗装の水管橋が渡っています〈水管橋しか写ってないやん〉。埼玉県用水道用水の送水管のようです。
この付近、現在の新河岸川流路は改修され直線ですが、かつては大きな蛇行を繰り返していました。志木市と朝霞市はその流路を境界に定めたため、現在もこのあたり川を挟んで境界線が両側を行ったり来たりしています。
1つ下流の新宮戸橋との間にはかつて宮戸河岸が存在しました。
新宮戸橋を越えてしばらく行くとJR武蔵野線橋梁があります。
その付近から下流方向
左端、白いかまぼこ型の建物は河川改修工事中発見、回収された産業廃棄物の仮置き場。
1970年頃不法投棄された廃棄物はPCB、重金属、揮発性有機化合物などの有害物質を含み、周辺土壌、水の汚染が判明しているものの、確認から30年以上経った現在もほとんどの廃棄物が埋設されたままだとか。
リンク張っておきます
同位置から上流方向
右端護岸の鋼矢板は地中の有害物質が流れ出ないよう打ち込まれたものです。
武蔵野線橋梁から600mほど下って
新盛(しんせい)橋、下流側から
「大正十四年六月竣功」と書かれた旧橋の親柱が近くの広場に残されていました。その頃はこの新盛橋が新河岸川もっとも下流の橋だったようです。(当時の新河岸川は和光市付近で荒川に合流)
この周辺も改修前は至る所で流れは大きく蛇行していました。
その旧流路跡に沿ってここは大きな釣り堀池になっています。
右へカーブした先も池がいくつか続いていました。朝霞ガーデンという釣り堀です。
旧流路はここで現河道の反対側へ突き抜けてましたが、そちらは現在朝霞調整池(増水した川の水を一時的に溜めておく)に変わっています。
現流路を400mほど下ると黒目川との合流点に達します。
合流手前の新河岸川、田島緑地から
合流点から2つの川を
(広角で)上流側
右が新河岸川、左が黒目川です。
手前から下流方向
左が新河岸川、向こうには朝霞大橋(国道254号和光富士見バイパス)、その先朝霞水門や幸魂大橋も頭を出しています。
いったん黒目川を迂回して右側堤防部分に上がります。
実は黒目川を歩いたとき、新河岸川を都県境の笹目橋からここ合流点まで歩いてます。今回は逆方向に下っていきます。
途中河川敷内の湧き水
後ろは堤防でその向こうも平らな土地ですが、水量はわりと豊富でした。
右岸側堤防から合流点と「新河岸川終点」の標柱
合流点ではありますが、なぜここに終点の標柱が立っているのかは不明です。
かつての新河岸川は現在の朝霞水門付近で荒川に合流していましたが、まさかここより下流は荒川に含めていたとか合流して黒目川だったとか?
朝霞大橋をくぐると内間木橋と朝霞水門
手前の内間木橋のところで流路は2つに分かれています。
別の場所から
右の前へ下っていくのが現新河岸川、もう一方の分水路は朝霞水門を通して荒川へ放流するため水門建設時に設けられました。(普段朝霞水門は閉められ、新河岸川増水時のみ荒川放流)
現新河岸川の流路も大正から昭和の荒川との分離工事により設けられた新しい河道ではあります。
ところで朝霞水門手前の内間木橋ですが
「通行止 この先の内間木橋は、廃止に向けて令和2年7月1日より通行止めになりました」
知りませんでした。正直なところ、この橋がないとこの付近の新河岸川を忠実に辿るのはとても厄介なのです。
今回はそれほど難なく朝霞水門前に到達しましたwww
朝霞水門完成は1995年、昭和初期に分離された2つの川が増水時のみとはいえここで再びつながりました。
水門近くの荒川土手から新河岸川上流方向
内間木橋(廃橋!)と奥は朝霞大橋。新河岸川本流は左の林向こう側へ流れて行きます。
荒川の河川敷方向
朝霞水門を通った水が荒川へ流れ込む放水路。ふだんは水門が閉まっているので見えているのは荒川の水です。
ここからしばらく荒川の右岸堤防(荒川と新河岸川の間にある)の上を進みます。
堤防上から下流方向
左は荒川、右が見にくいけど新河岸川、正面は東京外環自動車道・幸魂大橋。
この付近から新河岸川流れは和光市に入ります。河川改修前は和光市新倉で荒川に合流していたとのことなので、ちょうどこの足元あたりが合流地点でした。とはいえ当時は荒川も新河岸川も大きく蛇行し、どのように合流していたのか。
幸魂大橋の下あたりから下流方向
繰り返しになりますが、朝霞水門付近から下流の新河岸川は大正から昭和初期にかけて開かれた新しい水路です。荒川に沿って南側を流れ、東京北区岩淵水門付近で隅田川に合流します。
少し先からふり返り
対岸は新河岸川水循環センター。いわゆる下水の処理施設ですが、最近の設備はすごいことになってるんですね。
もう少し下ったところから新倉橋
新河岸川だけを渡る人道橋です。次の芝宮橋も同じ。
芝宮橋は架け替え工事中でした。
まだ仮橋使用中
遠くに富士山が見えます。
白子川合流点付近が埼玉県と東京都の境界、例によって境界線は昔の荒川と白子川の流路に沿ってひかれているのでかなり複雑ですが、ここで和光市から板橋区に入ります。
いったんここまでとします。
都内の新河岸川を引き続き下って隅田川合流点まで歩きましたのでそちらを次回まとめます。
新河岸川の流路地図。今回その4は紫色のライン部分
続きはこちらからも
前回その3