散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

津久井半日散策 その2 青野原《相模原市緑区》

かつての神奈川県津久井町(現相模原市緑区の一部)を散策中
前半(その1)鳥屋に続いて、後半(その2)は青野原(あおのはら)

地図で示すとこのあたりです。


鳥屋の北隣りに位置しています。

ここには1955年3月まで『青野原村』が存在しました。
1955年4月に周辺の鳥屋村も含めた村々と合併して津久井町となり、2006年には津久井町が相模原市に編入されてます。

青野原も範囲は広いですが今回徘徊したのは国道413号(道志みち)とその旧道が通る集落近辺のみです。

 

鳥屋から青野原へ県道64号を歩いている途中
『クマ出没注意』の貼り紙があった小さな峠を越えたところから。
峠を越えて下り坂が続きます


鳥屋の道路分岐点から約2.5㎞で国道413号にぶつかります。
国道413号このあたりの通称は『道志みち』

左折して道志みちにはいります。

近くにあった案内地図を抜粋

『現在地』から西(左)へまず道志みち旧道(青の破線)に入って辿り、次は国道でまたここへ戻ってくるという歩き方をしています。

 

梶野交差点から道志みち旧道へ入ったところ

国道413号は青野原地区内バイパス的な新道ができてこちらは旧道、路線バスは今も旧道を経由しています。〈便は1日数本だけ〉
切通しの階段上に小さな祠。

新道は青野原大橋で一気に谷を渡りますが、こちらは下りてあがって
谷底には沢(寺入沢)の流れ

右には道路の古い擁壁でしょうか、崩れながらもかろうじて残ってます。

谷から上がる途中、道路脇に石碑
「青野原 関所跡」

左に解説が写っているので〈Googleレンズで読ませて人力補正/レンズ誤字多し〉

青野原関所跡
この青野原関所の設置年代は明らかではないが、寛永八(一六三一) 年には置かれていた。
徳川時代における関所の本旨は、諸大名より人質とせる妻室の脱出を警戒し、また鉄砲の関内搬入を取り締ることにあった。
本関所は、由来小佛関所と、箱根関所との脇関を兼ね、甲州街道、 および東海道の本道を通行せざる者を勘過したものであり、小田原または高座郡辺より甲州郡内への通路の要衝にあたり、間道として郡内谷村地方に通ずるに最も近路であったので、往時は交通繁く特に富士登山者によって賑ったといわれる。
一名口留番所と呼ばれ、津久井の米穀を他へ搬出することを防ぐ使命を帯びており、関番は、昼は二人、夜は四人の村民が、代る代るこれに当り、近郷の樵夫、草刈、耕作人の外は往来を許さなかった。
延享二乙丑(一七四五)年十二月の本関所に関する覚え書に
 相模国津久井県
  一 鼠坂関
  一 青野原関
 右貳ヶ所之分他所の女は一切不相通、津久井領之女は親類縁者有之見知候もの有之は相通申候
とある。 
斯くて其の掟は江戸時代を通じて励行されたが、王政維新に次の達により明治二年に至って撤去されたのである。
 今般大政更始四海一家之御宏護被為立候ニ付箱根始メ諸道関門廃被仰出候事
  明治二年正月二十日

昭和五十年六月一日
津久井町教育委員会

 

関所跡碑の前を通過するとすぐに集落内にはいります。
ここ青野原では町の様子、古い建物などを見ながらその雰囲気に浸ってきました。

旧道の坂を上がっていくところ

永井家住宅

ここにある梨の巨木が『かながわの名木100選』のひとつとのこと。中に見える背の高い木のようです。
建物などは建て替えられたようでわりと新しいです。
〈まったく推測ですが、道路に面して左右2つある建物、以前はひとつの長屋門だったのでは?〉

道の向かいには庚申塔、廿三夜塔など


もう少しで道志みち旧道の坂を上がりきるところ

江戸時代や明治とは言いませんが地区内には古い建物もまだたくさん残ってました。

こちら1階は食料品店、2階は大衆割烹(宴会場的な)だったのですね

この2階など以前は地元の人々の冠婚葬祭の宴会などにも使われていたのかななどとふと思いました。

その先道は平坦に
左には大きな石塔

何と書いてあるのかほとんどわからなかったけど『南無阿弥陀佛』のような気がしました〈しただけ〉

こちらも補修はされてますが古い建物

2階右の戸袋に「いすみや」の文字がありました。郵便ポストもあるので昔は商店だったのでしょうか。

 

かつて商店などが集まっていたと思われるところをぬけて少し行くと
今度は小中学校、保育園、駐在所、かつての村役場跡などが並んでいました。

道路反対側はJA、右側にちょっとだけ見えている大きめの建物が学校

学校名は相模原市立『青和学園』、青野原小学校と青野原中学校が最近ひとつに統合されたようです。

 

さらに先へ行くと次の集落との間、田園地帯に出ます。
青野原診療所前バス停付近から北側

畑の向こうは国道、その先谷間を道志川、小高い山々と並んでます。

 

道志みち旧道から少しの間離れて集落の細道へ


谷間に下ります

こちらも狭い谷底に小さな沢があり。なので名前は『小沢(こさわ)』。
写真いちばん奥に見えるのは焼山(1059m)。

谷をわたって上がってくるとちょっとした集落の中に
諏訪神社

杉の木と銀杏、道路に面していちばんでかいのは廿三夜塔、左に半鐘。

ひとまわりしてまたここに戻ってきます、というよりこれよりあまり先へは行ってません。

細い道をちょっと進んで
また焼山の見えるところ

左の道が焼山の登山道につながっているようです。

道志みち旧道との分岐点に出てくると道標があって

右向きの指導標に「焼山(0.5㎞先、林道から登山道へ上がる)」と記されてます。
左道路の先に見える杉の木はさきほどの諏訪神社。

途中の建物も古そう、ということで

〈ポスターにはぼかしをいれました〉

 

諏訪神社の木立ちメインで


神社のお隣は「旅館」とあります

関所跡の解説に「...往時は交通繁く特に富士登山者によって賑ったといわれる」とあり、ここは宿場としての機能もあったのでしょう。〈その当時からあった旅館かははっきりしませんが〉
でもとりあえず、〈車はべつとして〉このあたりが交通便利でないのは今もです。

神社正面には商店が1軒
その蔵をアップで

 

このへんで道を引き返すことにしました。
青野原ももう少し奥まで集落があり、道志みちその先には山梨県との境界付近に青根、さらに道志村といったところがあって富士山麓の山中湖へ道が続いていますが、これから歩いていくには時間が足りません。

正面に少しだけ頭を出している橋のアーチは国道413号にかかる西沢大橋です。

帰りは国道沿いに歩きました。
青野原グラウンド近く、若宮橋から道志山中湖方向


山中湖42㎞、道志24㎞


反対方向も

こちら国道の道志みち、2021オリンピックで自転車ロードレースに使われた道路です。

右の山は『三角山(515m)』、その左奥のピークは『仙洞寺山(583m)』

 

逆光になるのであまり撮らなかった南側の風景

光線は相変わらず。
このへん丹沢山地の主峰あたりが見えるのかと思いましたがそうでもなさそう。

それと、この周辺はちょっとした山間部に思いますが平らな面が広く続いてます。
道路北側には道志川が深い谷をつくってますがその河岸段丘上は案外広くて平らでした。

もう少し行くと『青野原大橋』


橋上から道志川の谷間

青野原をぐるりと歩いてはじめて見えた川面でした。〈歩く途中で見えたのはすべて支流の沢、この橋の直下も支流の寺入沢〉

逆光側からもいちおう


青野原大橋を渡るとほどなく牧馬峠を越えて相模湖方面への道が分岐し、次はここへ鳥屋から来るとき使った道路(県道64号)との交差点まで戻ってきます。
帰途は道志みち国道を直進してもう少し交通便利なところまで出ます。

その途中
こちらも道志みち旧道、新道を下に見て

まだ青野原、前戸というあたり。
このへんまで。

 

この日の前半

miwa3k.hatenablog.jp