かつての神奈川県津久井町(現相模原市緑区の一部)を散策してきました。
今回その1は鳥屋(とや)地区やその周辺、あまり山奥なんかには入り込んでません。
『鳥屋』はこのあたりです。
ここは1955年3月まで『鳥屋村』が存在しました。
かなり広い範囲ですが大半は山地でおもな集落があるのは北東(右上)の一部です。また地区に隣接して宮ケ瀬湖(宮ケ瀬ダムのダム湖)があります。
今回は鳥屋地区内を流れる串川のやや下流側、かつての隣村にあたる串川、長竹地区(旧神奈川県津久井郡串川村)から歩きはじめました。
最初は串川の河岸近くから(相模原市緑区長竹)
さすがに紅葉ももう終わりですね。
天気は良いのですがこの時期太陽が高く上がらないせいもあって川面はまだ日が射しこんでません〈そんな早朝でもないのですが〉。
串川をさかのぼるように歩きます。
長竹橋から上流方向
串川沿いの集落から
左端と道路向こうに2つの蔵が見えます。かつてはそれぞれ大きな屋敷があったのかなと思いました。〈奥は現在も塀がめぐらされてます〉
その後ろ木々が密集しているところは段丘崖です。
その上へのぼって県道(513号)を山の方向へすすみます。
県道から見下ろす串川〈やや右下、ちと目立たない〉
途中、ユニークな建物のスパゲティ屋さん
1階出窓にクリスマスツリーも
もう少し先で串川地区をぬけて鳥屋地区にはいります。
鳥屋にはいってすぐのところ、Googlemapを見ると『地震峠』というピンが立ちます。
名称が気になっていたので立ち寄りました。
道路わきの少し高くなったところに解説板、その奥に碑などがありました。
解説板をはっておきます。
鳥屋・地震峠
大正十二年九月一日午前十一時五十八分、突如として関東地方を襲ったいわゆる関東大震災。この地震は横浜で震度六の烈震で、当時県内では横浜気象台しか観測していなかった。この日の東京横浜地方は、南西の風が強く、雨は昼前ごろにあがり、気温三十度前後と、かなり蒸し暑い日であった。
楽しい昼食のひとときが始まろうとしていた時に、災害史上空前の大惨事、関東大震災が発生したのである。本県はこの大地震により最も著しい被害を受けた。すなわち烈震による建築物の倒壊とこれによる圧死、負傷、更にはそれらを遥かに凌ぐ大火災による多数の焼死者、加うるに地震津波による相模湾周辺の被害もあって三万三千人の死者・行方不明者、六万六千人の負傷者と十二万人を超す全壊焼失家屋が記録された。
当津久井郡内では、死者三十三名、負傷者十六名、全壊棟数百二十戸、半壊棟数四百二戸となっているが、この内ここ馬石では、死者十六名、埋没棟数九戸で、死体が確認されたのは八人のみ、ある家では六人家族全員が埋没死したのである。
当時の串川は現在の県道よりもずっと南側を流れていたが、山津波のために串川がせき止められ、上流五百メートル位まで湖のようになってしまったという。
この奥に埋没した方々の慰霊碑が建てられている。どうか心ある方は一度参詣し、不幸にして亡くなられた方の霊を慰めていただきたい。この看板は、昭和六十一年当時に、津久井町が設置した看板を復元したもので、令和三年度に国土地理院の「自然災害伝承碑」に登録されたことを契機に製作しました。
令和四年九月一日製作 自然災害伝承碑「地震峠」を守る会
協力 相模原市緑区役所 津久井まちづくりセンター
〈以下は省略〉
語り調であった..関東大震災によりこの付近で山崩れ・土石流〈山津波〉が発生し埋もれて亡くなった方があったのですね。
奥にあった3つの慰霊碑には花や水などが備えられ、周囲はきれいに掃き清められていました。
『地震峠』先の県道から
そろそろ鳥屋の集落にはいっていくところ
町のほうは後回しにして坂道を上がります。
坂を上がりきったところは〈ちょっと変わった〉分譲住宅地?
そんなところを先へ行くと宮ケ瀬湖の見える「鳥居原園地」に着きます。
宮ケ瀬湖を見下ろして
湖畔園地や「鳥居原ふれあいの館(いえ)」など
〈冬の逆光となる時刻でもあり画があまり冴えません..〉
湖の反対側、鳥屋の町(集落)側へ下ります。
とある庭先...魔除けですか?
〈などとボケてみる。こういうのはくわしくないもので(笑)〉でも何だかすごいな
12月です冬の風景になりました
先ほどまで歩いていた県道にもどってきました
この一帯、地名はいわゆる大字で鳥屋ですが、小字もあってここは「道場」というようです。
この地区唯一?のコンビニ前の駐車場
この道、バイクや自転車で通る人がとても多いです。店の前にたくさんの自転車スタンドがあります〈暇にしてるのが多いですが〉。休憩スペースもありますね
地区中心部に近づいて「学園」の下あたり
左側擁壁の上「相模原市立鳥屋学園←」とサイン出てます。
以前は鳥屋小学校、鳥屋中学校でしたが最近まとめられたみたいです。
ほどなく区役所出張所前に
相模原市緑区役所鳥屋出張所
ここはかつて鳥屋村だったころの村役場があった場所です。
区役所出張所の脇
道しるべ、案内が出てます。〈左の獅子頭は見切れて口と鼻の穴だけ..〉
このあと正面に写る道にはいり、鳥屋地区をぬけます。
道標左矢印奥相模湖14㎞方面へ。
〈上矢印の津久井湖相模湖方面はさっきまで歩いてきた道を引き返す形になります〉
そちらへ道を折れるとすぐ串川
何を撮ったかまったくはっきりしない画ですが..
宮下橋から串川下流方向
道をこの前方へ進みます
この先風景がちょっと変でした。
土台だけになっている住居跡があちこちに。立入禁止杭とロープもいたるところ張り巡らされてました
奥の家屋はまさに解体作業中
ここは鳥屋の「谷戸」という地区。
ここには大規模な施設ができる予定
地質調査看板に「中央新幹線建設に係る..」とありますが、具体的にはここにリニア中央新幹線の車両基地が建設されるようです。
その工事と準備がはじまっているのでした。
まだ残っている建物も取り壊されてしまうのでしょう...
広大な工事予定地内をしばらく先に進むと道はしだいに上りに
森の中へ入っていき小さな峠を越えます。
峠の直前
「クマ出没注意」の貼り紙も〈今シーズン貼り出されたものではなさそうですが〉
とりあえずこの峠あたりが鳥屋と隣りの青野原の境界、ここでいったん休憩します〈クマ来るなよ〉。
クマにも襲われず、元気に次を