散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

八王子通り大山道を歩く その2 八王子から愛川・中津

その1で入間から八王子まで歩いてきた八王子通り大山道、大山に向かって続きを歩きます。

八王子通り大山道 その2足あと《八王子~愛川町中津》

前回から日を改めて八王子へ向かい、甲州街道との分岐点、八日町交差点へ。

駅から商店街の歩道を10分ほどで八日町に出ます。
八王子八日町交差点付近

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甲州街道国道20号)が右手前から向こうへ。ここで左に折れて行くのが”八王子通り大山道”ですが、その道は浜街道八王子街道(往還)、絹の道などと呼ばれる、横浜と八王子を結ぶ街道でもあります。この先片倉までは道が重複しています。

私は2018年9月に浜街道を歩いてここ八日町交差点まで来ました。 

miwa3k.hatenablog.jp

今回は以前来た道を戻る形で歩き始めます。

大山道で浜街道国道16号も重複しています。
国道16号JR中央線の踏切

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2桁国道とJRメジャー路線が市街地でいまだ踏切とは珍しいと、以前も書いたのですが、国道16号はバイパスが市街地の東側を通っているのでここはそれほど交通量は多くないのですね。

万町(よろずちょう)交差点の南側から坂を上がります。そこに少しだけ旧道が残ります。
わずかに残る旧道

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左端には現在の国道が写ってます。なお右側の壁は八王子医療刑務所のものです。
背後ですぐに国道に合流します。

子安町交差点からまた下り坂、京王高尾線片倉駅を過ぎ、北野街道と交差してから湯殿川を渡るといったん国道から離れます。

湯殿川・住吉橋上から来た方を振り返って

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国道から進行方向右に折れると室町時代に築城されたとされる片倉城跡ですが、街道は左に折れます。
JR片倉駅北側の住宅地に入りますが、旧道の道すじははっきり残っていません。

JR横浜線の高架をくぐって南側へ出ると兵衛川に出ます。
兵衛川左岸から

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昔はちょうどこのあたりに橋があったようです。対岸が大山道と浜街道の分岐点、右へ入っていくのが大山道です。
正面の古い大きな家の右側に道があり、そこから旧道がしばらく続いています。

家の間を入ったところから

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細い道が日本文化大学キャンパスの西側へ続きます。

そのまま道なりに行けばよさそうに思うのですが、旧道は小川が見えると右に折れ、橋を渡って国道16号に出てしまいます。
ここは国道を新設したときに土を盛って土手にしたらしく、旧道には階段が取り付けられていました。

国道へ出ると反対側に旧道の続きがわずかな区間ありますが、道路を渡れないので断念しました。

国道に出て振り返り八王子方向

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道路左側ガードレールの切れ目から下へくだる旧道の名残り、100mほど残っています。

ここからしばらく長く緩い上り坂、御殿峠(旧名は杉山峠)まで国道16号を歩きます。途中東京工科大学キャンパスがよく見えます。

御殿峠

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国道は峠を削った切通しを通っています。この付近の旧道ははっきり残っていませんが、国道より高い場所を通過していたはずです。

峠の南側で旧道の名残りに出られる場所があります。

御殿峠南交差点から西側へ入る道があります。
交差点横が八王子日本閣です

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この左側へ進むとまた山を切通して開いた道、北側は日本閣敷地ですが、南側の崖へ上がれる微かな踏み分けがある、という情報がありました。

あった!

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事前にストリートビューで確認してもわからなかったので、ダメもとで行ってみると、ありました。

見えないかもしれませんが、ロープが1本下がって、これを頼りに崖を上がりました。
上がると山道ですが、もう少ししっかりした道が続いています。
おそらくここは崖下の道を切通しでつくるとき、上にあった古道が分断されたのでしょう。ロープ付き連絡道は誰が開いたのか?…

崖を上がったところから続く山道

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ここが古道そのままなのかはわかりませんが、現在でも歩くには支障のない道でした。

驚いたのは、一般道の出口近くまで行くとすぐ横にもう1本並行して、掘割のように少し窪んだ状態で続く道の跡が残っていたことです。(写真がない!)

それは私が以前、鎌倉街道を歩いていた時に見たことのある道路跡(”鎌倉古道跡”として保存されている遺構)とそっくりでした。(ネットではここも鎌倉時代からある道の遺構だという方もいます。)
並行する道の”遺構”は現在、道として使われていないので歩くことは難しい状態です。

旧道が一般道になって林の中から出てくるとすぐに国道16号八王子バイパスの上を陸橋で渡ります。
陸橋上から南側、橋本方面

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ここも下のバイパスは丘を削って通したのでしょう。そして分断された古い道跡が橋になっています。

陸橋の先にて

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西側の風景、たぶん遠くは津久井方面です。

この日は時間が経つとしだいに雲が広がってしまいました。八王子を出発した時は良い天気だったのに…

急な坂道を下ると国道16号旧道に合流し、町田街道が横切る相原交差点に出てきます。
町田市、相原交差点

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正面へ行くとすぐに境川を渡ります。

境川というくらいで武蔵国相模国の境界、橋名も両国橋といいます。
両国橋上から

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橋を渡ると現在は神奈川県相模原市緑区橋本、かつての橋本宿に差し掛かります。

板塀の古い屋敷

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橋本宿の規模は大きくなく、現在宿場としての面影はありません。
道路をはさんで2軒、古い屋敷が残っていました。写真はその1軒です。歩道の白いフェンスは板塀を護るために立てているようですがちょっとうるさいです。

宿内、香福寺横の道沿いには”秋葉大権現”と刻まれた大きな石塔があり、そのほかにもいくつかの石仏、灯籠などが並んでいました。

ここで国道16号から一本脇の道に逸れると、1キロ以上まっすぐに伸びる道が旧道です。
途中JR横浜線の踏切にぶつかります。

踏切左側フェンスの後ろに”大山街道踏切”

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この街道、あまり道標となるものが残っていないので、代わりにこういうもので確認、実感します。

線路左方は橋本駅です。
大山道とは関係ないですが、橋本にはリニア新幹線の駅ができるのですね。
まっすぐの道を先へ進むと神奈川県立相原高校の横を通ります。この高校の敷地は新幹線の駅や施設建設のため2018年度末で学校は移転、すでに校内の一部は取り壊し準備が進んでいました。

さらに先へ進み、突き当りまで来ると
棒杭(ぼうぐい)の標柱

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左面の解説

このあたりを「棒杭」といいます。この近くにある石仏がそのように呼ばれているためですが、大山参りの人々が利用した「大山道」はここで田名方面と当麻方面に分かれており、この石仏はその道しるべでもありました。

現在は区画整理で突き当りのT字路になってますが、かつてはY字の追分になっていたようです。上部に不動明王を刻んだ石仏が大山道の道標としてここにありました。
その古い道標、今もこの付近にあるようですが、先を急ぎすぎて確認しないまま通り過ぎてしまいました。

道標の高さは151センチメートル、幅35センチメートルで、安政2(1855)年に建てられました。正面に「右大山みち」、右側に「北八王子道」、左側に「南あつぎ道」とあります。
相模原市のページから引用)

今回はこの先”田名方面”へ向かう道をたどります。ここで分かれる道は先で再び合流します。

国道16号を渡り、神奈川県道63号(相模原大磯線)に入ります。入間から長々と付き合って来た国道16号とはここで分かれます。(かわってずっと県道63号を行くのですが)

中ノ原交差点先の県道63号(相模原市緑区下九沢)、神明坂

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相模原台地相模野台地)上段面(相模原面)から中段面(田名原面)に下りる坂道です。この付近は相模川がつくった3段の河岸段丘に分かれていて、これからそこを順に下りて行きます。段丘崖近くは前方に向かって土地が低くなるので眺めが良いです。

中段面に下りて
九沢橋交差点(2018/09撮影)

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交差点道路脇に古い庚申塔など

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庚申塔は1775(安永4)年のものだそうです。
付近にはもっと石仏などがあった記憶があるのですが、位置が確認できませんでした。

交差点南側で九沢橋(鳩川)を渡ると中央区田名に入ります。

県道63号に沿ってずっと先へ進みますが、単調で変化に乏しい道です。昔は原野や雑木林などがずっと続いていたようです。

田名バスターミナルなどがある上田名近くを過ぎると、水郷田名と呼ばれる場所へ、また段丘崖を下ります。

段丘上から水郷田名、相模川対岸中津台地方面

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ここは相模川と同じ高さの水郷田名まで一気に下ります。

歩道になっている古い坂道は「しろ坂」と呼ばれていたそうです。
しろ坂

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歩道のポールには「走るな!」と書いてあります。階段にしてもよいくらいの傾斜です。

急坂を下り切ると水郷田名、かつては久所(ぐぞ)と呼ばれた地域で、相模川対岸の小沢(こさわ)(愛川町)との間に久所の渡しがあり、宿場のような場所でもあったようです。
また明治から昭和初期にかけては鮎漁や鵜飼いなどで観光地としても賑わったのだそうです。

現在の水郷田名

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相模川と高田橋

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久所の渡しがあったあたりです。近くにその標柱と”鮎供養塔”があります。相模川の鮎釣りは現在も盛んです。

標柱の解説

このあたりに対岸の小沢とを結ぶ渡し場がありました。おもに大山参りの人々がよく利用したため、久所はその宿場としてにぎわいました。

高田橋を渡り切るあたりから振り返って田名方面

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相模川を渡ると愛川町に入り、すぐに中津台地へ上ります。

アプローチ

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ここも旧道のようです。

すぐ先で道は右に曲がって小沢坂という急坂になります。
小沢坂

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このあたり、台地の突端には室町時代初期に築かれたという山城、小沢城があったそうです。

旧道は坂の上で県道と合流しますが、次の交差点の先から再び復活します。

その交差点先に”大山道”の道標がありました。

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向こう側黒っぽい石は古い道標で、「ひがしゑち(み)ち/みなみ大山道/にしみませ道/き(た)八王子みち」の文字があるそうです。自分は判読できませんでした。( ゑち=依知・厚木市、みませ=三増・愛川町

前の細い道を入っていくと

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古道の雰囲気があります。

先の新興住宅地でいったん旧道は消滅しますが、その先また復活し、県道63号線一本松交差点へ続きます。

一本松交差点手前で(愛川町中津)

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旧道はこのまままっすぐ、県道を斜めに横切って先へのびています。

その先はまた日を改めることとして、この日のウォークはここまでとしました。

 

八王子通り大山道 その1 

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