散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

横浜鶴見から川崎大師へ歩く

きょうは鶴見川からスタート。雲が低い、気温も低め、これなら歩きやすそうだ。

ここは河口近く、右岸から

前方は首都高速や産業道路などの橋梁。鶴見川は河口がだいたいこのへんに設定されてますがまだ先には埋立地があり、運河となって東京湾まで続いています。

 

上流方向

岸辺に小さな人工の干潟を設けたようですが水の力に負けて荒れてしまいました。

川の右岸から50mほどのところを旧東海道が通ります。生麦事件の名で知られる『生麦』も近く、というか足元も生麦でした。

 

臨港鶴見川橋上から

左が鶴見駅にも近い繁華街、今は右に向かって橋を渡っています。

そちら側は古くから潮田(うしおだ)と呼ばれる地域。古くからの住宅地、いわゆる下町の雰囲気がところどころに残っています。

 

仲通り商店街〈「仲通り勉強会」と書かれてますが〉から

潮田マーケットと記された建物

 

近づいてみると現在は南米料理のお店でした

ブラジル、ペルーあとなぜかフィリピンの品を扱っているとのこと。

このあたりは南米タウンと呼ばれ、レストランや食品日用品を扱うマーケットなどがあります。最近は南米の人が少なくなってしまいお店の数も減少しているようではあります。

 

同じ商店街に残る古くからのお店

偶然どちらもたばこ店でした。

 

下のたばこ屋の前は沖縄そばの店

開店前でした。

沖縄もこの商店街のなかに入り混じってます。

おきなわ物産センター

 

建物奥にも店舗があります

有名ですねここ。〈よく見たら『石敢當』がある〉

物産センターの中には買い物の人がたくさんいました。

 

鶴見沖縄県人会・おきつる青少年育成会会館という建物に入ってます。

NHKの朝ドラでも舞台になったところらしいです。〈番組まったく見たことないので何とも〉

 

次は川崎運河跡を歩きました。

首都高高架下、産業道路わき歩道にひっそり残る入船橋の名標

入船橋はここにあり、川崎運河にかかっていた橋。川崎運河は大正8年~11年(1919~22)にかけて、当時の海岸から内陸側へ開削された運河です。延長は2.4㎞あり、当時の工業用地造成事業のなかで京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)によって開かれました。〈なぜに鉄道会社が運河を〉

ところが工場の進出はもくろみ通りにいかず、運河としての利用実績も少なかったようで戦後に再び埋立てられ、跡地は現在緑道緑地となっています。

 

入船橋跡から100mほどさかのぼった運河跡地は日東浜公園

 

公園内から

これだけ川幅があったとすればかなり大きな運河ですが、その先緑道はもっとコンパクトです。

途中から緑道が横浜市川崎市境界になります。当時の田島村(現川崎市)と町田村(現横浜市)の境目に運河を開削した名残りです。

 

これはだいぶ先のほう

緑道は川崎市の排水ポンプ場手前で終わりますが運河はもっと先まで続いていました。市境界は運河跡いちばん先まで忠実にトレースしています。

さすがに運河の痕跡は見つかりませんでした。

 

少し戻って工業地帯との境目付近まで。雰囲気変わります。

使われなくなった古い貨物線の高架など

 

こちらはJR鶴見線浜川崎駅ホーム〈現役です〉

 

左上に先ほどの廃高架線、貨物引込線が通る踏切

これも浜川崎駅近く。
古い高架、線路が通っていたところに木が生えてます。だいぶ年月たってますね。

 

少し中抜きで大師公園まで進みます。

川崎大師近くにある公園、その中に瀋秀園という庭園があります。

入口は垂花門

 

門の右にある解説

瀋秀園(しんしゅうえん)
この庭園は中国の瀋陽市から友好都市提携5周年を記念して寄贈されたもので悠久な歴史と伝統にはぐくまれた中国庭園技術の奥義をきわめた瀋陽市のすばらしい庭園という意味で「瀋秀園」と名付けました。
庭園面積は約4300平方メートルで太湖石を主景とした閉鎖的な空間と、池(秀湖)を中心とした明るい開放的な空間からなり、滝、石、築山、樹木など四季の色彩の変化に富む景色を楽しみながら橋と園路により庭園内を回遊できるようになっております。
建築物につきましては、風雅な古典庭園建築様式が採用されており、門は垂花門(すいかもん)、四阿は知春亭(ちしゅんてい)、藕香謝(ぐうこうしゃ)、攬翠亭(らんすいてい)、回廊は環碧廊(かんぺきろう)、橋は柳蔭橋(りゅういんきょう)、臥波橋(がはきょう)、知魚橋(ちぎょきょう)となっております。
特に明代、清代の皇帝や勅建の寺廟、親王邸などに用いられた瑠璃瓦は、端正で美しい線形が特徴となっております。
この庭園には中国でも大変貴重な石とされております太湖石をはじめ、瑠璃瓦や木組、獅子像につきましては、瀋陽市から贈られたものです。
滝部分などの石組や、建築物の色彩絵柄などについては瀋陽市の庭園技術指導団のご指導と、ご協力により完成したものです。
1987年 9月29日 川崎市

 

垂花門を入ったところに太湖石

特徴的な穴だらけの奇岩、瀋陽近くの太湖湖底にある石灰岩が水の浸食をうけてこのようになりました。

後方は四阿の知春亭。

その下

あとはまとめて〈手抜き御免〉

 

大師公園と隣接しているのが川崎大師平間寺。

全国的にも有名だと思いますが、いまさらながらごく簡単に。〈自分用備忘メモです〉
創建は1128(大治3)年、真言宗智山派大本山。正式名称は金剛山金乗院平間寺。

こちらは川崎大師仲見世通り

風鈴市が開かれ至る所から音色が耳にはいります。

 

川崎大師大山門

 

大本堂を前に

 

中興塔 八角五重塔

 

不動門前から奥に不動堂

こちらは一代前の山門。現在の大山門建立により不動門として移設されたそうです。

このほかにもインド風の大きな堂宇、薬師殿が目立ちますが、今回は写真も多くなったのでいずれまた。

 

 

最初の投稿でトラブったようで、1回削除して再投稿しました。