相模国分寺跡に立ち寄った先を続けます。
500mほど北にはそちらも国史跡である国分尼寺跡がありますが、伽藍のあった一部が広場になっているだけのようで今回未訪です。
国分尼寺跡の土地は明治以降畑や住宅に変わってしまい、発掘調査などはされてますが保存は難しいようです。
前方に見える座間丘陵へ再びあがります(海老名市国分南1丁目)
線路は相鉄線、前の踏切をわたってまっすぐ進めば国分尼寺跡までは250mほど〈なので寄ってっても良かったなとか..〉
でも右に折れて坂道をのぼりました。
尾根まであがって少し行くと清水寺(せいすいじ)公園の立札があり
公園斜面にはなが~いすべり台
長さは75mあるそうで、ここに写っているのは一部だけ
まわりに人の気配なかったし、すべってみようかとも思ったけど..少し勇気足りなかった
清水寺公園に隣接してお寺がありました
龍峰寺
あれ?『清水寺』ではないですね。気になったので調べました。
龍峰寺は現在の海老名中学校敷地内に室町時代初期に建立されましたがのちに火災にあい、1929(昭和4)年こちらに移転しました。かつてここには清水寺がありましたが明治の廃仏毀釈の対象となって使われてなかったようです。現在はあわせて龍峰寺に管理が委ねられているそうです。(清水寺本尊だった木造「千手観音菩薩立像」などなど)
現在清水寺公園となっている場所はかつての清水寺境内だったのかもしれません。
山門の正面、観音堂「水堂」その横に本堂
源頼朝とも縁が深かったそうで「源頼朝公」と刻まれた碑
横面に「天明四年」とあるので江戸時代に立てたのでしょうか。
同じ碑がこちらへ上がってくる坂道の途中にもあったような気がします。
山門から外側
周囲あちこち梅が咲いていました
こちらは座間丘陵の尾根から南東側、谷間には目久尻川が流れてその向こうに見えているのは相模野台地になります。
これは西、相模川や丹沢方面の風景
龍峰寺北側のせまい尾根の道から
道の両側すぐに低くなっているのがわかります。
前方、北へ進むと途中国道246号大和厚木バイパスが横切ってその先上今泉というところへ出ます。
また丘陵尾根から東の方向
目久尻川の谷と相模野台地など
このあたり丘陵の頭が少し高く(標高70~80m程度)なり、その頂上付近には秋葉山古墳群があります。
史跡秋葉山古墳群入口
この日2ヶ所めの古墳となりました。先に訪ねた瓢箪塚古墳(上浜田古墳群)とこちらはつながりがあるとも言われます。
すぐ後ろに墳丘が見えます。
案内解説板を見ると5つの古墳が紹介されていました。
左側を人力文字起こし〈もっぱら自分が内容を把握するために〉します。
国指定史跡 秋葉山古墳群 平成17年7月14日指定
秋葉山古墳群は、座間丘陵の頂部に立地し、海老名市内で最も標高の高い場所(標高75~80m)にあります。北から第4号墳・第5号墳・第3号墳・第2号墳・第1号墳と5基の墳墓が地形に沿って連なっています。
古墳群から西を望むと、現在「海老名耕地」と呼ばれる水田と南北に流れる相模川が一望に見渡せます。また相模川の向こうには、丹沢山塊や大山を望むことができます。
このような景勝地であり、交通の要衝であったことから、この辺りを治めていた首長は、この地に歴代の墳墓を築いたと考えられます。
昭和63年(1988)から平成15年(2003)までの発掘調査によって、3世紀後半から4世紀にかけて継続的に造られたことがわかりました。年代が古い順に第3号墳第4号墳→第2号墳→第5号墳・第1号墳となり、不整形で低い墳墓から徐々に整った前方後円墳へと変遷していく様子をとらえることができます。中でも、第3・4号墳は弥生時代から古墳時代の移行期に造られたと考えられ、東日本では数少ない貴重な遺跡です。
これらのことから、南関東における出現期古墳のあり方およびその時期の社会を考えるうえで重要と評価され、平成17年(2005)7月14日に国指定史跡となりました。
最初に書いておきますが、現在地から奥へ向かって各古墳の位置並びを頭に入れたつもりで歩きだしましたが、右側図が時間軸ということをきちんと把握しておらず、途中で混乱しました。〈はじめに撮った案内図写真をよく見ながら歩けばよかったのにね..〉
最初は番号札もかかってたのですが見当たらないものもあって
1号墳(山王山古墳)・前方後円墳
前方部の裾付近から後円部方向。
後円部から前方部
同じく後円部から外側を見て
東側の谷間が見えてます。1~3号墳は特に小高く造られている印象があったので谷間からもぽっこりとした墳丘がよく見えたと思います。〈現在は木があって見えにくいかと〉
2号墳(秋葉山古墳)・前方後円墳
前方部の裾あたりです
墳長50.5m、長さより高さが印象的でした。
前方部から上がって後円部へさらに上がるところ
墳頂には大きな碑
木の葉に隠れてよく見えないですが『憲政碑』とありました。
ここは海老名市内でいちばん標高が高く84.6m。この2号墳が『秋葉山』と呼ばれ、秋葉山古墳群の名の由来になったそう。
墳頂には秋葉社が祀られているとのことですが、右下陰になってる小さな祠でしょうか?
後円部憲政碑への階段
50段くらいあります。墳丘、大変よく盛りましたね。
2号墳の隣りに3号墳
後円部を横から。3号墳は3世紀後半築造、ごく初期の古墳ということです。
こちらも前方後円墳とのことですが、前方部は削平されてなくなってます。
なくなった前方部と残った後円部の間あたり
左のほうへ前方部が続いていたようです。削られた部分が直線の面になっているので現地では方墳かと勘違いしました。
墳丘にあがって削平されたあたり
フェンスの向こうは西側低地と大山など。あちら側からもここがよく見えたと思います。
墳頂にあったこれは何でしょう?
3号墳の先はいったん道路に出てから隣りの公園敷地内に5号墳、4号墳。
ところが5号墳、見逃したと言っていいでしょう。〈言い訳するならこれまでの3つに比べ小規模で、ちょうど人が佇んでいて近寄るのがためらわれ、墳丘であることをきちんと確認できなかった〉
また今度ということで
4号墳・前方後方墳
前方部から後方部を見ています。
こちらも3世紀後半の築造で初期の古墳、1~3号墳より少し小さめです。
これは前方部へあがる階段
4号墳東側は住宅が迫っていて一部は削られていると思われます。
前方後方という形状は自分には確かめられませんでした。雨風などで形の変化はかなりあると思います。
秋葉山古墳群として区切られた敷地内には以上5つの古墳が存在しますが、その近辺にももう少し古墳らしき塚が存在します。
座間丘陵の尾根伝いなので通り道、道すがら確認できたら見ていくことにしたら、2つ見つけました。
古墳群の北側、上今泉秋葉台自然緑地から
遊歩道の左側にちょっとした土の高まりがあるのに気づきました👇
まわり込んで見ると
秋葉山古墳群6号墳とされる墳丘でした。海老名市のサイトによれば墳形不明、未調査のため詳細不明..
6号墳の北側はすぐ座間市です。緑地からの道を先へ進むと西側は住宅地、東側は雑木林ですがその林のなかに塚を見つけることができました。
個人の家の墓地の奥に小高い塚があります。〈墓石、文字がなるべく見えないよう加工したため分かりにくくなりました〉
『野際塚』といい古墳かどうかは未確認なようです。
その先切通しから東側を見て
これより先は住宅地が広がっています。
座間丘陵から西側低地に落ち込むあたり、あちこち谷が切れ込んでいて道路は上がったり下がったりを繰り返すように
〈だからこのあたりの地名『入谷』というのね〉
地図上は一直線だけどこんな凸凹の道を進んで行くと座間谷戸山公園につきあたります。
ずっと丘陵の高いところを歩いてきましたが、ここは大きな谷戸があって土地が落ち窪んでいます。
座間谷戸山公園をぬけて一転、東の方へ方向をかえました。
小池大橋上から目久尻川の遊水池を見下ろして
座間丘陵の東側を流れて谷間を形成していた川の上流部、最近できた巨大な遊水池です。
目久尻川は右端陰になっているところを流れてます。
ここはすでに相模野台地、座間丘陵には戻らないのでここまでで終わりにします。
前回分