散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

逗子・鎌倉を歩き港南台へ その1 逗子から由比ガ浜手前まで

逗子から歩きはじめて小坪へ、鎌倉にはいって材木座、由比ガ浜、長谷、佐助、梶原、中央公園をぬけて山崎から大船、岩瀬と進み、横浜市内にはみ出して最後は港南台というコースで歩いてきました。

スタートはJR逗子駅改札口から


最初は「なぎさ通り」商店街、タイミング悪かったのか人と車で密。そっと通り抜け、住宅地の細道へ紛れ込んでから

小坪へぬける道に出ます

と言ってもすぐ前方はもう地名では小坪、小坪なわりに広いのです。
左側に見えるのは披露山、丘の上は高級住宅地ですね。

この日は間の切通しから先へぬけて歩きます。逗子と鎌倉の間を歩くには勾配少なめで国道県道ほど車通行量がないここを通るのが楽で安心かなと

間の谷間に入り
ここは小坪1丁目1番地(右電柱表示によれば)


谷間を通過する道は狭く大型車やバスも通り、歩道の余地がないところも
それでひねり出されたのでしょうか

右に入っていく歩道はこのあたりに流れがはじまる沢を利用しています。ところどころ流れの上にデッキを張り出したりして通路を確保してます。〈暗渠にはしなかったのですね〉
左はバス通り。

少し先で
紡ぎ出した歩道⁇


1キロちょっとで谷間をぬけ、海岸沿いに出てきます。
小坪港前交差点

電線電柱ないともう少し良い風景なんですけど

左のほうに漁港があります


パームツリーの並木、逗子マリーナを通って


あちらはヨットハーバー


後ろに富士山いれたつもりだった気もしますが...ダメダメじゃん

〈そのわりにボツにしてない〉

あらためて富士を中央に

富士の左は箱根、手前に江の島などなど

海岸沿いの細道で鎌倉材木座、和賀江島(わかえのしま・わかえじま)へ
もう一度海側

左側石のまとまりが島の跡でしょうか。〈そういえば今まで意識して眺めたことなかったかも〉

和賀江島の石碑の後ろから

裏側なのでなんにも書いてありません。こちら波打ち際にも玉石がたくさん見えます。
向こうの砂浜は材木座海岸。

そちらに移動


階段をあがったところで正面から再び石碑を
と言いたいところですが完全に陰になりました


碑文は不明、代わりに鎌倉市教育委員会の解説を抜粋で

国指定史跡 和賀江嶋(わかえのしま)
和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡です。
このあたりは、遠浅で荷の上げおろしが難しく、大風や波浪で難破する船が多くあったことから、貞永元年(1232)に勧進僧の往阿弥陀仏が港を造ることを幕府に求め、第3代執権北条泰時の援助を受けて完成したことが『吾妻鏡』に記されています。
その際、石材は相模川や酒匂川、伊豆半島海岸など遠くから運ばれてきたと考えられています。この付近は和賀江津と呼ばれ、中世都市鎌倉の海の玄関口として、海上交通や物流の拠点となっていました。
江戸時代までは修復されながら利用されていましたが、潮の流れや災害などで石が散乱しており、築造時の姿はわかっていません。現在も普段は海没していますが、干潮時には正面に島状の石積みが姿を現します。

隣りにある文化庁の和賀江島解説から「材木座」の部分を抜粋

…付近の陸地は鎌倉市材木座にあたる。これは鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)のうち、材木を扱う座がこの土地にあったことから名前が付いた。

〈勘違い気味な自分のために補足〉「座」というのは商人や職人の同業組合のこと。材木は材木座から陸揚げしたとかではありません。

 

このあと同じ材木座にある「光明寺」に立ち寄ったところ本堂が改修中だったことなど。

浄土宗大本山 天照山蓮華院 光明寺が正式名称の寺院です。
境内手前の総門


こちらは山門、くぐりぬけた後ろ側から

「鎌倉最大級の山門」とのことで、たしかに大きいです。

山門をくぐって正面は大殿(本堂)ですが
このとおりでした

こちらも寺院本堂として鎌倉最大級、ですが工事中で大きさ把握できませんね。
2019年から保存修理工事(令和大修理)中、2029年まで続くということです。

〈追加〉解説文やっぱりいれておきます 文字起こししてませんが

 

光明寺から出て先へ、小町大路につきあたったところから海岸方面

右には石造りの蔵があります。

再び材木座海岸へ

手前は国道134号。
しばらく国道と海岸のあいだを歩きます。

少し砂浜にもおりて

向こうは先ほど通ってきた逗子マリーナから和賀江島のあたり

こちらは反対の稲村ケ崎方面を見て


滑川河口

この川が材木座海岸と由比ガ浜海岸の境界ということでよいのかな。

とりあえずここで一度休憩します。

 

その後の消息

miwa3k.hatenablog.jp