散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

逗子・鎌倉を歩き港南台へ その2 由比ガ浜から港南台

由比ガ浜から前回の続きです。


長谷へ向かう途中
江ノ電のせまい踏切をわたります


長谷寺(長谷観音)、大仏殿などへ続く道に出て
古い商店建物が並びます

このあたりは観光客もたくさん

長谷観音前交差点手前の路地にはいります


鎌倉大仏高徳院の横を通って長谷大谷戸へ

途中高徳院の塀越しに大仏様の御顔がちらりとみえます。〈この少し先ですが記録わすれました〉

 

先に進むと鎌倉駅方面からの道と交差、右折して新佐助隧道をくぐり、次は左折して佐助へ
佐助稲荷神社と銭洗弁天方面の分岐

左へはいると佐助稲荷、右へ進めば銭洗弁天、前2つの石標にもそう記されてます。

佐助稲荷には寄らず右の先へ。

 

少し歩いて銭洗弁天入口は坂道をあがる途中、こちらは鳥居が道のすぐわきにあります

〈地図をみながら大長考中、待ちましたが御免なさいスナップに入っていただきます〉

案内板を

銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん) 宇賀福神社(うがふくじんじゃ)
●祭神 本宮 市杵島姫命  奥宮 弁財天
●創建 文治元年(1185)
巳の年の文治元年(一一八五)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神のお告げがありました。「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」
お告げの通りにこの地に湧き水があったので、さっそく宇賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれています。
この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると信じられています。鎌倉五名水の一つです。

以前来たこともあるし、などと理由をつけて結局ここも鳥居はくぐらなかった...〈普通の観光地巡りはもう少し年齢を重ねてから、でしょうか〉

 

坂道をあがって源氏山公園周辺へ

公園の木々を見上げて


北東方向のながめ


葛原岡神社の鳥居を先に


神社後ろへまわって尾根の細道からみえた富士山


このあたりからは北鎌倉方面へ下るのが普通のルートかと思いますが、逆方向丘の上を梶原のほうへ。

ちょっと高級そうなフレンチ屋さん入口を見つつ下り坂


住宅地に紛れ、「山の上ロータリー」に出て右折
鎌倉中央公園にはいりました


実はこの時まだ10月で
ハロウィンのちょっと前


園内の坂道をくだって

北側の山崎口から外に出ました。

 

しばらくどのように道を進んだかよく覚えてないのですが
とりあえずここは神明神社下(鎌倉市台4丁目)

左の道を下ってきました。

このあと小袋谷交差点で古い鎌倉街道〈このへんどの道も鎌倉道のような気がしますが〉と横須賀線線路を渡り大船へ。

 

北鎌倉円覚寺裏の六国見山尾根沿いに高野の切通し(または大船の切通し)がありますが
その下を通る素掘りのトンネル入口がこちら

トンネルは路面こそ舗装されてますがそのほかはほんとに掘ったまんま、調べてみたら掘られたのは昭和初期ごろのようです。

それまでは上を通る切通し道がメインストリートだったのですね。
ちなみに切通しへ出るには写真右の階段ではなく左電柱のうしろから入ってまわり込むのだそうです。その古道は六国見山などを通って鎌倉市中へ入る道だったとされています。〈そのうちたずねてみたい〉

素掘りトンネルの先にはもうひとつトンネルがありました

こちらはより時代がくだってから造られたようですが中は狭く、車は間隔をおいた片側通行(トンネル出入口の信号機で制御)となっていました。

 

小さなトンネル2つを抜けて坂道をくだると今泉から岩瀬、現在は鎌倉市内ですが古い鎌倉の市中からはぬけた隣村となります。
落ち着いた住宅地ですがそのなかにも大きなお寺があり

大長寺山門

山門の先に広い石段があって上がった奥に中庭と本堂があります。
戦国時代に創建され、北条氏、徳川氏に縁のある寺院とのことです。
本堂後ろには広い竹林や杉山もあります。このあたりまで来ると鎌倉観光の人もおらず、落ち着いた雰囲気で良いところだと思いました。〈ここらでひと休みしたかったという本音もありまして..〉

 

さてここからは横浜市に移って交通量の多い道路やずっと続く住宅地を歩きました。

大きな県道に出て鎌倉女子大前を右折し
少し先で鎌倉市横浜市境界


騒々しさが気になったらだいたい川沿いに逃げることが多いです。

いたち川の支流、遊歩道上から(横浜市栄区柏陽)


支流側の遊歩道は長く続かないのですが、そのまま川沿いに歩くと
馬頭観音の石塔があって「横浜道の道標」の案内

ここが追分になっていたのでしょうか。
案内を読むと

横浜道の道標
中野町にあるこの馬頭観世音塔は、横浜への道しるべを兼ねたもので、市域内では数少ない横浜道の道標。いたち川沿いの古道分岐点にあったもの。
横浜道は明治になり民間の手でつくられた。  栄区役所

左の小さな流れをさかのぼって歩きましたが、川はいつの間にか離れていきました。

元大橋という場所から丘にあがり、尾根をこえると港南区にはいってすぐに港南台です。
その周辺はわりとありふれた住宅地、何も記録残してません。

最後の最後で港南台の駅前広場


この日はここまでです。

 

その1

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