散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

馬堀海岸から観音崎、浦賀を歩く

三浦半島横須賀市東京湾側、馬堀海岸から観音崎公園をたずね、そのまま海岸沿いをトレースしながら浦賀までを歩いた。公園内を除き一般道を歩くことも多いが、馬堀海岸には遊歩道が、観音崎京急ホテルの周辺はボードウォークが整備されていて絶好の散歩道になっている。

三浦半島三部作 その2

京急大津駅

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スタートの馬堀海岸に出るためのアプローチは京急大津駅。隣が馬堀海岸駅なのだが、岸壁の遊歩道を端から歩くため、その端っこに近いこの駅で下車。歩いて5分ほどで国道16号線の大津漁港前交差点に出る。その先はすぐに海岸で、約1マイルの遊歩道の起点でもある。
遊歩道歩き始め

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左側、奥に延びるほぼ直線の歩道を歩く。防潮堤のうえに広い歩道が設けられ、ヤシの並木や白い建物が多い住宅地と、風景は悪くない。反対側は東京湾の内湾、横須賀の中心部や猿島、横浜、東京の湾岸、スカイツリーも見えた。さらに房総半島、正面には君津あたりの工場の設備なども望める。
このあたり昔は砂浜がずっと続いていて海水浴場もあったらしいが、背後に住宅地がつくられ、その後岸壁が整備されていまのようになったとのこと。いまは砂浜はここにない。
遊歩道から猿島など

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iPhoneのカメラで撮っているため確認はむずかしいのだけれど、目視では横浜、東京方面がずっと見えていた。
房総半島方面

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左側が通りすがりの貨物船、真ん中は第二海堡の島影、その右が君津、富津などの工場地帯、だと思う。
遊歩道の反対側の端まで歩き、そこからは国道16号線の歩道を歩く。すぐに走水の海水浴場と水源地になる。海水浴場はシーズンでなかったので人はいなかったが、水源地には水をくめる蛇口が開放されていて、大きなタンク持参で水くみに来ている人が複数いた。ここの水源は横須賀水道発祥の地でもあるとのことで、水質も含め横須賀市いちおしの水らしい。地下水由来の水は夏に冷たく、冬あたたかいのでそれだけでもありがたい。
水源地から国道わきの細い道を少し進み、坂を上がって
釣り用の岸壁?と橋

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振り返って走水海水浴場方向。釣り船のようなものもたくさん見えるが、釣りには疎いので何を釣っているのかわからない。奥のほうは横須賀市中心部方向になるが、そちらの方が望めるのもこのあたりまで。
国道が大きく右にカーブして下り勾配になり、下り切ったところ。
走水の漁港

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漁港の陸側からみて左側が旗山崎、右側が伊勢山崎、その間がこの小さな湾になる。右側のこんもりした丘の左側が伊勢山崎。
こちらは旗山崎の方

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漁港の裏手というか山側には走水神社という、古事記日本書紀にも記述があるという由緒ある神社があり、そこをながめつつ伊勢山崎側へまわると防衛大学校走水海上訓練場というところ。
防衛大の訓練所から

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ヨット、機動艇と呼ばれる小型船舶が写っているが、このほかにカッター船などもみられた。敷地の脇に入り込んで写真など撮っていると、こらこらとか声をかけられやしないかちょっと緊張したり。
海上訓練場のすぐ裏手は防衛大の宿舎に取り囲まれて観音崎京急ホテルになる。ここからボードウォークが整備されている。
ボードウォークの入口

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ボードウォークとは板のうえを歩く。(まんま)
こんな歩道がホテルのまわりの波打ち際に整備されている。

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途中にはベンチなども

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通ってきた方を振り返って、左側からヤシの木、ホテルの建物、防衛大宿舎、伊勢山崎、旗山崎

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もうしばらく続く、これも振り返って

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ボードウォークの終点付近から

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向こう側は観音崎公園、右端のほうは観音崎海水浴場。上に見えるのは東京湾海上交通センターの航行管制用の施設、船の管制塔。
海水浴場を通って観音崎公園にはいる。すぐに遊歩道になって、そのまま海岸沿いをすすむと観音埼灯台が見えてくる。
海岸沿いの遊歩道と灯台

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ここを上がると灯台への近道

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ここは上らず、海岸線をさらにすすんで小さなトンネルを通る。通った先には海上自衛隊観音埼警備所なんていうものもある。有刺鉄線を張り巡らしたものものしいゲートが立ちふさがっていた。
この公園内には明治時代につくられた複数の砲台跡が残されている。人は通れるが車が通るにはせますぎるサイズのトンネルも何か所かにあり、公開はされていないが敵の攻撃から物資や人を守るための壕(掩体壕)も残っているとのことである。この公園とその周辺は、明治時代から太平洋戦争まで日本軍の要塞施設であり、最近になって公園になった。周囲に防衛省関連の施設が存在するのもその名残りだ。そもそも明治時代にこの場所に要塞が築かれたのは、東京が海から攻撃されるのを防ぐため。当時は航空機はまだ発達していなかったので船、他国の艦隊による攻撃に備えてである。で、その備えが大砲であり、それを設置した場所が砲台、大砲の玉や火薬そのほかの物資を備蓄したり、非常時に人が詰めたりしたところが掩体壕、物資を迅速に輸送するために多くのトンネルが掘られたのだろう。明治時代にはここ以外にも東京湾周辺に、東京湾海堡や、猿島などの砲台、要塞などが数多くつくられたとのこと。
現代の平和な海の風景に、いまや場違いとなってしまった軍事設備の跡が共存するこの公園のアンバランスを釣り合わせられないままに自衛隊の有刺鉄線柵に背を向けて、反対側の坂道を上り、灯台を目指した。この途中にもうす暗く湿っぽい林のなかに砲台の跡が残されている。
坂道を登り切ったところで灯台が間近に姿を現す。

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方向として逆側から上ってきたようなので、正面というか入口のほうへまわると全景が見えた。
観音埼灯台

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別の日に訪問した剱埼灯台には人っ子一人いなかったが、こちらは大きな公園のなかに灯台があるせいか、灯台にのぼることができるからか、人はそこそこいる。
展望台的になっている丘のピークから海をながめた。

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周囲の木が邪魔であまり眺望はきかなかった。右側は久里浜の火力発電所
公園の丘のうえから下ってきたところ
観音崎公園展望園地から東京湾

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房総半島はわりと近くにみえる。そりゃそうだ、このあたりが東京湾の幅がいちばんせまい。(正確には観音崎から富津岬の間)
多々良浜

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展望園地、ビジターセンター、博物館などの先に小さな砂浜、多々良浜がある。
観音崎公園を過ぎてこの先はまた一般道をあるく。鴨居港の信号を左折して海岸沿いをすすむとかもめ団地に着く。かもめ団地のすぐ先は防波堤ですぐに海。岸壁沿いに歩道があるのでそこを行く。
歩道向こうの消波ブロックごしに房総半島方面

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反対側、浦賀湾口ごしに西浦賀方面

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この団地のまわりにそれほど長い距離ではないが、歩道が整備されていた。
歩道の先には廃校になってしまった学校があった。釣り船の港、ヨットハーバー、東叶神社などを見ながら、なるべく海岸に近い道を選びつつ進むと奥深い入り江になった浦賀湾にはいる。

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湾に沿って奥へすすむとその途中に「浦賀の渡し」渡し舟の東側の船着き場がある。
渡し舟のりば

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渡し舟の船着き場と船

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湾のちょうど反対側が西側の船着き場になっているようだ。ここに海の渡し舟が存在することはつい最近まで知らなかった。駅から近いわけでもなく、湾のどちら側へ行くにもバスの便もあるだろうという半端な場所にある渡しだけれど、地元の人らしきお客さんが何人か乗っていた。昔は浦賀湾のいちばん奥に大きな造船所(浦賀ドック)があってそのせいで橋を架けられなかったのでは、というのは推測。
渡し舟の先はまた県道に出て細い歩道を浦賀駅方向へ。途中に丘を飲み込むようなどでかいマンションがあって、なぜか上から目線という言葉を思い出した。浦賀ドックはすでに(2003年)閉鎖されているが、ずっとコンクリートの塀がめぐらされていて中がどのようになっているのかを伺うことはできない。100年以上も前につくられた由緒ある設備だったので保存するなりして観光の目玉にすればよいのにと思った。浦賀って名前、歴史的にも有名だけど行くことってないものね。
なんて思ってたら浦賀駅前に着いてしまった。

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この日は12.7km歩いた。

三浦半島三部作 その1

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