48番目の川歩きノートは多摩川支流の三沢川(みさわがわ)。
三沢川の源流は川崎市麻生区黒川と東京都町田市小野路町の境界付近にあって、川崎市麻生区、東京都稲城市、川崎市多摩区を経て川崎市多摩区布田で多摩川の二ヶ領用水上河原堰の下流に合流する、流路延長9.9kmの河川である。
今回は多摩川合流点からさかのぼって歩いた。
地図は三沢川、大栗川、乞田川兼用。三沢川行程は深緑色のライン
タイトルにも入れたが、三沢川は古くから人の手によってその流路が様々変化している。
最下流となる多摩川との合流点からして、昭和20年代に新たな水路が設けられ現在の場所(川崎市多摩区布田)で合流することになった。それまでは現在旧三沢川と呼ばれている流路を経て二ヶ領用水と合流していた。
また二ヶ領用水にしても江戸時代に開削された人工の用水路であり、合流点付近は元々の三沢川流路を利用したと推測できる。
踏切を渡って歩いて行くと10分くらいで多摩川堤防、三沢川合流点に着く。
三沢川合流点と多摩川、二ヶ領用水上河原堰(にかりょうようすいかみかわらぜき)
左側の大きく見える建物は三沢川合流点にあるゲート。向こう側多摩川のなかへ長く伸びているのが二ヶ領用水上河原堰。三沢川の上流側で多摩川の水の一部を取水し二ヶ領用水へ流している。
流れ込んでくる三沢川、多摩川堤防上から
横切るのは多摩沿線道路。
三沢川合流点のゲート(水門)、多摩川堤防側を向いて
ここへ三沢川の水が流れてくるのは昭和20年代以降のこと。
後ろ側、上流に向かってスタートすると200mも行かないうちに、二ヶ領用水との川の立体交差地点にさしかかる。昔は二ヶ領用水へ合流させていた三沢川を分離し、用水の取水口より下流で多摩川へ合流させたのだからどこかで交差が生じるのは避けられない。(Ⅵ型の流路→Ⅺ型へ変更。Iは多摩川、Vが合流、Xは交差している2つの川のイメージ)
三沢川と二ヶ領用水の交差地点付近
向こうに見える橋あたり、地下を二ヶ領用水の水が伏越(サイフォンの原理を利用した水路)で三沢川の下を通り抜けている。
川に勢いよく注ぎ込んでいるのはおそらく二ヶ領用水の余水。
二ヶ領用水側から見ると(別の日に撮影)
上流側
ゲートの先で水が地下の導水管へ落とし込まれる。
下流側、上流方向を見る
三沢川の下をくぐり、サイフォンの原理でまた元の水面の高さまで水が吹き上げられ、何事もなかったかのように流れ出すところ。
同じ地点で三沢川をいれて
右が三沢川、左のフェンス内が二ヶ領用水で水が地下へ落とし込まれる部分。
二ヶ領用水沿いに歩いた時
水の立体交差点から少しさかのぼると、JR南武線の線路をくぐる。
南武線線路近くで
手前に水の流れ込む口が開いている。これも二ヶ領用水の余剰水を三沢川へ返すための水路。このとき用水側に余り水はなかったようで水は流れていない、っていうかこの水路使われているのか?
南武線を越えて2~300mほどさかのぼったところ
この付近は、昭和に入って三沢川の流路となる前は別の用水路の流路だった。そこを拡張して現在三沢川が流れている。
しばらく行くと府中街道の下をJR稲田堤駅入口交差点近くでくぐる。
その先新指月橋(しんしげつばし)近く
向こう側から水が勢いよく流れ込んでいる。ここが三沢川流路となる前に通っていた用水路からの水で、現在も用水はここで川に合流している。
旧三沢川分岐
なんだか映えない景色なのだが…。向こう岸の水門が分岐点。昔は水門もなく、川の水は向こう左側へ全量流れ、しばらく先で二ヶ領用水に合流していた。
ここから手前、下流側が昭和に入って開削された現在の本流「新」三沢川となる。
現在、旧三沢川への流入口は新三沢川水面よりも高く、水門もあるため、通常時は三沢川からの水の流入はない。残っている旧三沢川流路は周辺の湧水などが集まって小さな流れをつくり、現在も二ヶ領用水へ流れ込んでいる。
そのすぐ上流、
大丸用水大堀の合流
トラックの停まっている左側が三沢川。多摩川大丸堰(稲城市大丸にある)で取水された農業用水(大丸用水)の末端の1本がここへ流れ込んでいる。
この先、川は京王相模原線の線路とほぼ並行している。
川崎市から都県境を越えて稲城市に入り、また大丸用水の堀のひとつが三沢川に合流する。
大丸用水合流点の水門と三沢川
その付近の周囲の様子
右側は京王相模原線。左側は小高い丘になっていて上には古い城跡(小沢城址)があるが、現代は読売ジャイアンツ球場や巨人軍練習場などで有名な場所である。球場の向こうはよみうりランド。三沢川はその丘の北端の際を流れる。
京王よみうりランド駅近くを通過し、もう少し行くと稲城市役所というあたり。
西の橋から上流側(稲城市矢野口)
かつてこの付近の流れはあちこちへ蛇行していた。河川改修工事で流路は直線化されているが、現在の流路が定まったのは平成に入ってからになる。
京王線稲城駅付近からは丘陵地帯に入っていく。
稲城駅西方、砂場の橋付近から上流側
扇橋(稲城市坂浜)
橋の向こうに「三沢川分水路」と写っているが、ここに川の分水路がある。
三沢川分水路流入口
流入口は普段の水面より高く、増水時のみ溢れた水が分水路へ入る。手前のパイプ群が気になるが、水が流れているわけではなさそう。流木などの浸入を防ぐため?
流入口の奥側
先はずっとトンネルで多摩川へつながっている。出口は大丸堰のすぐ下流、武蔵野貨物線橋梁との間にある。トンネルの長さは2700mだったかな。
ここより上流、多摩ニュータウンの宅地造成にあたって、雨水排出量の増大による三沢川下流の氾濫、洪水の懸念があったことから、中流部に分水路を設けて排出可能量を増大させる対応を行ったということである。分水路の完成は1984(昭和59)年。
分水路も川の流路変遷として大きなイベントである。
分水路から200mも行かないところに新きさらぎ橋があり、河岸が整備されて歩道が続くのはここまでである。
新きさらぎ橋から上流側
この先は近くを並行する鶴川街道を歩き、交差してくる道路へ入って橋の上から様子を観察する。
鶴川街道坂浜交差点近く、中橋から
新きさらぎ橋から神奈川県境までは河川未整備区間で、川の蛇行もたくさん残っている。
しばらく進むと再び神奈川県に入る。
京王線若葉台駅付近、高架下から下流側
神奈川県(川崎市麻生区)にはいると管理が変わるので整備状況も変わるが、所々雑多ではある。
小田急多摩線を越えた少し先で並行している鶴川街道と分かれると一挙に様子が変わる。
谷戸に入っていく三沢川
すぐに用水路レベルの広さに変わる
川は丘陵との際を流れるようになり、そこから多くの湧水が流れ込んでいる。ここの脇から流れ込んでいる水も湧水。
周囲は田んぼと畑
左側フェンスの向こうを川が流れる。正面奥は明治大学の農場で、源流近くは一帯が大学の用地になっているようだった。
源流に近づく
前方奥の方で田んぼも途切れて深い草むらになっている。
入って行けた一番奥
地図上はまさに源流地点だが、もう少し上がありそう。これより上流へは入って行けなかった。草むらごしにはコンクリートの護岸壁のようなものが垣間見え、遊水地のようになっている可能性がある。そのあたりに湧水が多くあり、そこからこちらへ流れができているようだ。そのまた向こうは国士舘大学のグラウンドとなっているのでそちらへ入れればもう少し情報が得られるかもしれない。大学グラウンドはまた東京都に入って町田市、行政的にも管理が複雑になる一帯ではある。
源流付近の田んぼ(下流を向いて)
川は田んぼの向こう、右側の崖の縁を流れている。
三沢川探訪はここまで。
そういえば谷戸の途中で変な構築物を見たので写真を撮っていた。発電所とのこと。見にくいが…
柿生発電所
ウィキペでは、川崎市水道局第一導水隧道(川崎一号水道)の途中にあり1962年に黒川発電所として運転を開始した。約12mの落差を利用した水力発電所、最大発電能力680キロワット。