散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

川崎・多摩丘陵と下末吉台地の崖線に沿って歩く その2 久地円筒分水から都県境・三沢川

二ヶ領用水と平瀬川が交わり、久地円筒分水のある川崎市高津区久地から、前回の続きを歩きます。〈以下全部川崎市内なので市名は省略〉

 

二ヶ領用水余水と平瀬川の交点から台地の崖方向

前方段丘の崖が続いています。左の方宅地開発中なのか更地もみえます。

右の二ヶ領用水本川の上流方向へ向かいます。
100mほど先

崖ぎわ下は二ヶ領用水本川。

1㎞弱先、なだらかな場所へ(高津区下作延)

丘と丘の間、谷間のようになったところです。
このあたりは傾斜がゆるく前方踏切の南武線線路もその谷間をぬけるように通されています。
それでも踏切を渡る道路は前方で坂道となり、丘陵上へあがっていきます。

踏切を渡りすぐ右へ折れ、丘をまわり込んで再び崖下へ出ます。
多摩区宿河原6丁目付近


すぐに東名高速の高架をくぐります。
橋脚の下

東名路面は丘陵へさしかかると切通しになってます。

このあたりで低地と段丘上の比高は35mほどあります。〈写真からはそれほどあるように見えないですが〉

 

東名を越え、多摩区長尾4丁目付近

どちらかというと手前の畑(市民菜園的なものでしょうね)が気になって撮りました。

 

藤子不二雄ミュージアム前

ミュージアム背後が丘陵の崖となり、手前は二ヶ領用水の流れです。
下側の写真で右側は向ヶ丘遊園地入口にあった大階段跡(一応再開発中ですが現在は廃墟にみえる)です。遊園地施設は丘陵の上、入口は崖下にありました。

1枚おまけで追加

営業していたのは2002年までだったようです。〈階段中央で止まったままの大時計がなんだかせつない…〉

 

向ヶ丘遊園跡に続く崖ぎわ

ここから斜面というぎりぎりのところ、竹や木が密集して様子はよくわかりません。一応左側が高くなってます。

 

小田急線線路にぶつかって府中街道の高架橋を渡ります。
線路上から南側、枡形山方向を望む

展望台建物が頭を出してます。
枡形山は標高84m、鎌倉時代初期に稲毛三郎重成が築いたと伝わる枡形城址でもあります。
現在周囲は生田緑地、岡本太郎美術館や日本民家園などもある広い公園。ただし起伏が多いです。

線路のあるこの低地の標高は25mほど、枡形山との差は60m近く、海からしだいに離れて比高差も大きくなっていきます。ちなみにこのあたりの丘陵はすでに下末吉台地とは呼ばれず、多摩丘陵でよいはずです。
そしてこの付近、多摩丘陵内から流れてくる五反田川が低地に出るところ。小田急線線路は五反田川の削った谷沿いに丘陵奥へ入ります。

五反田川はこの付近で二ヶ領用水水路と直接合流しています。二ヶ領用水は基本、人の手で掘られた水路ですが自然河川をいくつか取り込んでます。水路もあちこちで元々の河川流路を利用していたりするのかと思います。

 

五反田川出口の谷間を横切って隣りの丘陵下へ移ります。

小田急線、五反田川と並行する津久井道(都内では世田谷通り)

丘陵の奥方向を見ています。
現在丘陵間の谷間にいて、道路正面大きな建物がのっているところは枡形山に続く丘、右側木々が家の上に頭を出しているのはこの先進む方向にある丘。(多摩区枡形3丁目)

そこから少し(多摩区枡形2丁目)

上の高台は東生田緑地(日向山)、北側多摩川方向にひらけ、5基の古墳からなる根岸古墳群もあります。

こちらは隣り村?となる多摩区生田3丁目あたり

地図を見ると生田住宅と出ますが、建て替え中なのか一部更地です。

 

以下、旧三沢川の記述に間違いがありましたので訂正します。(23.01.29)

左が段丘崖(人為的にだいぶ改変されてますが)、中央を流れるのは二ヶ領用水ではなく旧三沢川山下川
このあたり丘陵内や崖線などからの湧水が多いようで、それらを受けるために旧流路が残されているようです。水量を見るとれっきとした川の流れです。

ここからは丘陵の崖に沿って流れる旧三沢川山下川沿いを進みます。

川崎市生田浄水場脇

右のフェンス内が浄水場、道路はさんで旧三沢川山下川、奥にあるのは土渕不動院とありました。その後ろ一帯が丘陵部です。

まだ広い浄水場沿いですが丘陵の高まりが大きくみえるところも

崖の近くは木が茂って丘陵全体が森のように思えますが、地図をみると上の方はほぼ開発しつくされて住宅地になってます。1960年代頃から宅地開発がはじまったようです。

開発直前の地図を見たらこちら北側へ開いた小さな谷戸に『寒谷(さぶやと)』と名称があるのがみえました。冬は暗い日影だったのでしょう。

 

やや広い谷戸が丘陵奥にのびる場所はたいてい丘の向こう側から広めの道路が通されてます。
多摩区菅馬場2丁目付近の交差点にて

谷戸奥方向を見てます。この道路を先へ行くと小田急線読売ランド前方面へ。

 

崖に沿って400mほど先
法泉寺、福昌寺とあるいずれも天台宗寺院の前から

周辺の傾斜地にはいくつかのお寺と墓地、神社などがかたまっているようです。

すぐ足元は旧三沢川(ここからは旧三沢川で正しい)、お寺をちょっとはずれると

旧三沢川は古い三沢川の流路。現在は途中で新たな流路が開削され、そちらが三沢川本流になっています。

その先崖地に迫る住宅

 

新旧流路が分かれてすぐの旧三沢川

旧流路へ現流路から水は導かれてなく、枯れ川状態。

下流のほうで流れていたのは途中で集まってきた小沢や湧水などの水ということがわかります。(山下川という別河川を見ていたのでここは削除します。)旧三沢川はこの先で三沢川本流に再合流しますが、今回途中の状態は未確認のため記述なしとします。

ここでまた訂正。『旧三沢川は三沢川本流でなく、二ヶ領用水に合流しています。』

 

ふりむくと分流点の水門ゲートなど

ここも結構高い崖が片側に、それに沿って現・三沢川が向こうからこちらへ来て旧流路水門ゲート前を右へと流れていきます。

旧三沢川へ導水されてないので水門は閉まっているということがわかります。

川の片側は丘陵の崖ですがもう一方は平地(低地)が広がって昔はこのあたり稲田という地名があるくらいの米どころでした。周辺は水田に供給するための用水路(多摩川で取水される大丸用水など)が張り巡らされています。

こちらはその余水などを川に落とす排水口(多摩区菅城下)

周辺は現在ほぼ住宅地に変化し、季節的にも用水消費量はあまりないでしょう。大量の水が流れ出してます。

 

絶壁のような崖を下から

見た目ほど高い崖じゃないようですが、丘の上にかけての地名は菅仙谷(すげせんごく)。上から見たらすごい谷があるような名前です。

先からふり返り

三沢川の下流方向

 

そして川の反対側、対岸に標識

書かれている文字は「河川管理境界 三沢川」とあり、その下左矢印のほうは「東京都南多摩東部建設事務所」、右矢印「神奈川県横浜川崎治水事務所川崎治水センター」、それぞれ管轄管理事務所名が書かれ、要するにここは東京神奈川の都県境です。

標識なんか立ってなくてもその証拠に、フェンスの構造も護岸の石の模様も植栽の有無も何もかもが違ってます。

とりあえず都県境5㎝手前まで行き、Uターン。この日は神奈川県から出ません。

 

歩いたのはここまでですが多摩丘陵の崖はこのあと東京都稲城市に入っても同じように続いてます。そしてそのうちに多摩川のほとりに出ていきます。
その後多摩川沿いに西の方へのびてますがその直下は道が〈はっきりし〉ないです。(現在その周辺で多摩川護岸改修かなにか大規模に工事やってますのでそのうち歩道もできないか期待してます。できたら早速歩くつもり)

 

前回分

miwa3k.hatenablog.jp

 

今回歩いた部分の起伏図つき地図

茶色いラインが足跡 右の久地円筒分水から左の都県境まで

地理院タイルに経路を追記して掲載(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html