ブルゴーニュ・コート=ドール ボーヌの街散策 2025年フランス旅行記 その6

リヨン(Lyon)から北へ約150㎞、ブルゴーニュ地方のボーヌ(Beaune)にやってきました。

ボーヌはブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート=ドール県の郡庁所在地のひとつ(県庁所在地はディジョン)。
ブドウ畑が続く丘陵地帯にある人口2万人ほどの小さな街です。〈ちなみにコート=ドール(Côte-d'Or)は黄金の丘という意味です〉

街はローマ軍の要塞が紀元前1世紀ころに建設されたことにはじまり、13世紀ころには周辺一帯がワイン産地として発展していきます。

中世の一時期にはブルゴーニュ公国の首都であり、その頃街の防御のため周囲に城壁が建設されました。

ボーヌの街を取り囲む城壁の一部現在城壁は断片的にしか残っていません。
この部分は16世紀初頭に建てられた4つの塔のひとつだそうです。(近くにあった解説より)

 

いちおう地図を差し込んでおきます。

 

ボーヌの街の見どころは城壁に囲まれた旧市街に多くあります。

中でも"Hôtel-Dieu (Hospices de Beaune)"(オテル・デュー (オスピス・ドゥ・ボーヌ))は最大の見どころです。

「オテル・デュー」とは直訳すると「神の館」ですがヨーロッパの国々で中世に創設された「施療院」を意味し、次に出てくる「オスピス(ホスピス)」と同意です。
「オスピス・ドゥ・ボーヌ」は「ボーヌのホスピス(施療院)」となります。
病人、貧困者、孤児、巡礼者を受け入れ、特に貧困者への医療救済を目的としてブルゴーニュ公国の宰相Nicolas Rolin(二コラ・ロラン)が1443年建てたもので、1971年まで実際に病院として使われていました。

現在オスピス・ドゥ・ボーヌは世界遺産に登録されています。

外壁と塔塔の直下、人が集まっているところが入口

 

中へ入ります。

中庭からオスピスの建物カラフルなモザイク模様に飾られた瓦屋根が圧倒的に目をひきます。
屋根の張り方はベルギー(フランドル地方)から伝わったもの、そこにフランスの建築様式が融合した豪華なつくりになっています。

当時のブルゴーニュ公国がフランドル地方にも勢力を伸ばして密接な関係があったことが要因なのでしょう。

 

奥へ進んで


中庭奥側からふり返る形で塔のある建物の屋根は落ち着いていますが気品が感じられます。
左手前は井戸

 

オスピスの建物内部は現在博物館美術館になっていて当時の施療院の様子をうかがうことができ、絵画、フレスコ画、タペストリーなどの展示もあります。

まず〈落ち着いた屋根の〉建物の中にはいり
大病室(『貧者の部屋』と呼ばれる)の中央から両サイドにベッドが並んでいます。

天井方向梁の彩色、天井の装飾なども豪華です。

ベッドサイド近づいて当時としては珍しく患者ひとりが1つのベッドを使用していたそうです。(「2人の患者を収容できるサイズになっている」との記述もありましたが)

 

貧者の部屋奥のチャペルステンドグラス下に飾られている絵画は二コラ・ロランがフランドルの巨匠ファン・デル・ウェイデン(Rogier van der Weyden)に注文した「最後の審判」(1445~1448)。中央にイエス・キリスト、その下に天秤を持って使者の行く先を天国と地獄に分ける聖ミカエルの姿が書かれています。〈ただしここにあるのは複製で本物は別の部屋に展示されています〉

 

モザイク模様の屋根の建物に移って

別の部屋から


こちらは厨房です


薬局にあたる部屋多くの薬剤が保管されてます。
薬品の調合台や薬を煎じるための蒸気釜などもありました。

 

別の中庭には創始者二コラ・ロランとパートナーのギゴーヌ・ド・サランの像


そちらの中庭から見たモザイク模様の屋根


もう一度最初の中庭にもどって

 

そのあといくつかの古いタペストリーや絵画などを見て
最後に置かれていたのはワイン樽この施療院は開設当初からブドウ畑を所有していました。裕福な患者や寛大な後援者によって様々な寄付が行われ、そのなかにブドウ畑とその栽培、管理、ワインの醸造といった形での寄進もありました。
なので古くから施療院はワインの売上げで資金を調達できたようです(順調ではない時期もあったようですが)

現在「オスピス・ドゥ・ボーヌ(Hospices de Beaune)」の名を冠するドメーヌは約60ヘクタールのブドウ畑を所有し1級や特級格付けのワインもつくられています。
最近は毎年11月にワインオークションがひらかれ、調達した資金で周辺も含めた歴史的建造物の保存や現在別の場所で行われている病院の治療設備の向上などにあてられているということです。
こちらの建物の地下にもワインがたくさん貯蔵されているとのこと〈公開されてないようですが〉

こちらは展示してあったオスピス・ドゥ・ボーヌのワインと古いラベルなど


ところでこの建物の外壁、日が暮れるとプロジェクションマッピング、きれいな動画が投影されてました。

こちら静止画ですが少しだけ

しばし見とれて

また日中にもどります。
オスピス・ドゥ・ボーヌに隣接した広場にて謎のパンダ。作者名忘れましたが現代アート作家の作品だそうです


旧市街の通り両側は商店やレストランなどが続いています。

 

旧市街の外側へ出てすぐのところ
ちょっと寄ってみたのは
FALLOT(ファロ)というMoutarderie(マスタード店)

ブルゴーニュ産のマスタードシードとワインヴィネガーを使用した『ブルゴーニュ・マスタード(Moutarde de Bourgogne)』がこちらの店にありました。
ほかにもいろいろな種類を販売していてハチミツやカシスと混ぜたものや「柚子マスタード」なんてものも

さすが名産だけあって?
勝手にマスタードの試食ができるカウンターがありました。
マスタードをアイスクリームのスプーンみたいなのにとって試食できますやりかたはいちばん右に腕だけ写っている人がすべて物語ってます。

いろんな種類のマスタードを試食できますが、辛いので限度があります。
カウンターの隅に水飲み場と紙コップが用意されているのは正解でした。

 

また旧市街にもどります。

やってきたのは旧市街のどまん中にある
ノートルダム教会(Basilique collégiale Notre-Dame de Beaune)12世紀はじめに建てられ、のちの拡張工事によりロマネスク様式(風)の教会となりました。
手前に2つある三角のピラミッド風の塔は鐘楼とのことですが未完成なのだとか

ファサード手前につくられたポーチ部分から正面の扉は閉じられていましたが脇の入口から中へ入ることができました。

そちらの扉がまた渋いすり減っていて間違って蹴飛ばしでもしたら抜けてしまいそうな木製の扉、何年使われているのでしょうか

内部身廊から右に説教壇

祭壇の周辺


後方に置かれたパイプオルガンその背後にファサードのバラ窓があるようですがよく見えません

 

外へ出て教会建物背後からアプス(後陣)部分を外から見ています。ロマネスクとゴシックの建築様式が重なる形になっています。
鐘楼の頂にあるドームは建築当時ゴシックの尖塔でしたが1575年の火事の後に現在のものに建て替えられたとのことです。

 

そのまま旧市街をまわります。

尖塔上部の装飾が特徴的な建物が見えました13~14世紀に建てられた鐘楼でしたがのちに時計が掲げられて名称も「時計塔」になっているようです。
残念なことに時計は向こう側に取り付けられているようです。〈通り過ぎたのにふり返らず気づかなかった〉

 

その近くにまた塔がありましたまわりの建物も古そうで何だかいい風景になってます。

こちらの塔を持つ建物は"Hospice de la Charité de Beaune"(オスピス・ドゥラ・シャリテ・ドゥ・ボーヌ)という名称の1645年に建てられた病院だそうです。

右がそのファサード


通りその先にはボーヌの役所建物


さらに少し先へ歩くと見えてくるのが
サン・二コラ門(Porte Saint-Nicolas)

行きすぎてふり返り旧市街地区北側、古い城壁に沿った街の入口

ボーヌに町の北側から入るにはこの門を通る必要がありました。
1770年の完成時、門は木製の門扉があり左右は城壁とつながっており跳ね橋を備えていたそうです。

 

Uターンして夕方の旧市街を歩き


こちらはボーヌ生まれの数学者ガスパール・モンジュ(1746-1818)の像


そろそろ日暮れでおなかもすいてきたのでこのへんで
旧市街のワインバーでボーヌの赤

 

ここまで