平瀬川は川崎市宮前区水沢付近に本川の源があり、麻生区東百合丘付近に源がある平瀬川支川(しせん)と宮前区初山付近で合流し、ずっと川崎市内を流れ、高津区久地で多摩川の右岸に合流する。長さは本川が7.5km、支川分を加えても11.3kmほどである。
現在は多摩川に合流しているが、昭和初期までは途中で二ヶ領用水の用水路と合流してそのまま現在の川崎市南部へ流れ下っていた。流路が付け替えられて高津区津田山付近の通称七面山に平瀬川トンネルが掘られ、現在平瀬川の水はこのトンネルを通って多摩川へ流れている。
今回は多摩川の合流部からさかのぼり、本川の源流をまず目指し、続いて支川との合流点から支川を源流までさかのぼって歩いた。
平瀬川・行程
対岸、兵庫島近くで気球をふくらませていたけど、上へあげる気配はなさそうだった。次週末のイベント用かな。
多摩川を上流に向かって歩き、新二子橋の下をくぐった先が平瀬川の合流点。
多摩川合流地点
多摩川河川敷歩道にかかる橋の上から多摩川方向を見たもの。真下は平瀬川の流れで向こう側が多摩川、右向こうにかかるのは国道246号新二子橋。
同じ場所から反対側
正面の橋は多摩沿線道路東久地橋。平瀬川が流れ込む部分は多摩川の堤防が切られている。橋の下をくぐって遡上開始。
平瀬川下流の様子
高津区久地2丁目付近。最下流部は普通の都市型河川。道路と川の間に高さ1.5mくらいのコンクリート堤防があり、その上に金網フェンスが張られている。ここに川が導かれたのは1941(昭和16)年頃。
新久地橋付近(上流方向)
向こう側、林になった小高い丘の下を平瀬川トンネルが貫いている。
トンネルの出口すぐの場所に二ヶ領用水本川との交差部、および二ヶ領用水の久地円筒分水がある。
二ヶ領用水の余水が平瀬川へ流れ込んでいる
右側の水門から落とし込まれているのが二ヶ領用水の余水で、左奥から手前へ平瀬川。向こうにトンネルの出口が一部見えている。
二ヶ領用水は相当な水量が余水となって川へ返されているようだ。
用水の必要量は平瀬川の下を伏越(サイフォンの原理)でくぐり、左側にある久地円筒分水へ噴き上がっている。
二ヶ領用水久地円筒分水
用水の水をここで4つに分けて、下流側の4つの用水堀へ流している。それぞれの分割水量は円筒の周囲に設けた仕切り間の長さで決まるように設計されている。この写真に円筒周囲の仕切りが4つ全部写っている。
久地円筒分水についてはこちらにも書いていた。
平瀬川に戻る。円筒分水の上流側はすぐトンネル出口。
2つあるトンネル
左側の口が1941年頃に掘られたトンネルのもの。トンネルと川の流路変更はこの旧流路にあたる、作延、溝口などでたびたび氾濫が起きたことで行われたが、単独のトンネルではなお水をさばききれなかったため、1970(昭和45)年に2本目のトンネル(右側の口)が掘られた。
背後の山(七面山)を越えるために脇の道路へ出る。
二ヶ領用水根方堀の暗渠が通っていた
久地円筒分水で分けられた水の堀のひとつ、根方堀の暗渠が歩道下を通る。(根方堀であることは後で確認して知る)
七面山(山と言っても川からの相対的な高さは3~40m程度)の反対側、トンネル入口へ。
平瀬川トンネル入口(高津区下作延6丁目)
入口は1つで、奥で2つに分かれている。トンネル長さは330m程度、東京タワーの高さと同じくらい。
トンネル入口反対側(上流方向)
南武沿線道路中之橋とJR南武線が通る。
トンネルからは1キロ弱上流側、このあたりから上流は流路変更前から川が流れていたところ。もちろん改修工事済みだが。古い平瀬川流路は、南武線線路手前から現在の線路に沿って溝ノ口駅近くへ続き、その先で二ヶ領用水と合流していた。地形的な要因もあって溝口の街中はたびたび川の氾濫の影響を受けたそうだ。
別所橋から上流方向(高津区神木本町(しぼくほんちょう))
中流域が河川改修で直線化されているのはどの都市河川も同じ。
宮前区平4丁目付近
親水施設というか調整池というか、ちょっと半端。蛇行があった川の流路改修時にねん出した土地を利用しているよう。左奥は公園。
沢水の流れ込み
平瀬川は小さな河川、沢の流れ込みは多くある。いずれも暗渠や蓋がされたところを流れてきて流出口から水が流れ出てくるパターン。正面奥の道路下を通ってきたと思われるここは水量も豊富だ。
平瀬川本川、支川合流地点付近
宮前区初山1丁目付近。手前で河原へ下りて。左が本川、上流方向。
同じ場所から下流方向
合流点を上から見るとこんなかんじ
まず左の本川上流へさかのぼる。
本川は合流点からちょうど1キロほど上流で暗渠となってしまう。
本川の途中で、下流方向
流れも細くなる。
本川暗渠の出口(宮前区菅生4丁目)
地下を流れるこの上流側の1本は南側の広い市道を越えて反対側の”水沢の森”緑地へ達して周囲の湧水を集めているとのこと。そちらは痕跡が少なく辿れなかった。
別の細い1本が辿れたので行けるところまで追いかける。
こんな風に上流へ細かく折れ曲がりながら続き
この奥は私有地につき断念
ここまでが平瀬川本川。
支川の合流地点まで戻り、次に支川をさかのぼる。
分岐して数十メートル上流側の支川
こちらは川として独立した名称がなく、平瀬川支川(しせん)と呼ばれているようなので、ここでは単に”支川”とする。分岐点からは4kmほどの流路を持つので本川より長いのだが、こちらは本流ではない。
しばらくさかのぼると宮前区から多摩区に入る。
日本の橋の名前としては、な”マリアンナはし”
橋の左にある坂道を上がると聖マリアンナ医科大学。橋名は大学病院門前橋が似合いそう。
この先、川は上流域の様相。
周囲は住宅地だけど(麻生区東百合丘3丁目付近)
この先では川の上に蓋がかぶせられてしまう。
ふたの上を、ここは目でたどる
菜園の通路下が流路。
さらにたどる
右奥の白い車の左側へはいり、家の塀との間を数軒分奥へ進む。
ここが本日の限度
奥で左に折れている。冬場ならもう少し行けそうだったけどあきらめる。
向こう側、一段高いところが中学校の敷地でそこから覗き込んでみたけれど、どん詰まり、ほぼそのあたりが源流だろう。
中学校の周囲はさらに高い崖になっていて地形的に谷戸の源頭、湧水があるのは確実だ。
今日はここまで、本川、支川どちらも「最初の一滴」を見ることはできなかったが、最上流、源流域を追いかけられたので満足。
最後に、川崎にもこんな高いところがあるのねと思った。