散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

川崎・多摩丘陵と下末吉台地の崖線に沿って歩く その1 夢見ヶ崎から久地円筒分水

東京都と神奈川県の境界となっている多摩川、流れをはさんで両側に丘陵・台地があります。東京都側は武蔵野台地、神奈川県側は多摩丘陵、東京湾に近いところでは下末吉台地などとも呼ばれます。

台地丘陵と川が削った低地の境目には崖地ができ、それが連なって東京都側の『国分寺崖線』の名称はわりと知られていますが、神奈川県側は『?』〈そもそも名前が存在するのかというレベル〉ですね。
以前、国分寺崖線はほぼ全線歩きました。今回は神奈川県側の『?』な低地と台地の境界、崖に沿って、正確には崖下をずっと、歩いてみました。範囲は多摩川に面した川崎市内となります。

 

スタートは東急線などが通る日吉でこちらは台地上、まず慶応義塾構内を通って
日吉キャンパスと矢上キャンパス(理工学部)を連絡する通称理工坂を下りました

2つのキャンパスは下末吉台地(多摩丘陵の東に連続する台地)の別々の台の上にあり、理工坂下はその谷間になります。〈細かいことですがここは横浜市港北区ですね〉

このあたりは台地のいちばん端にあたり、川の流れと海の波により侵食され、残った台地が島状にぽつぽつと残っているところです。

島状に残る台地は矢上キャンパスが載る台地の先にもうひとつだけあって、通称夢見ヶ崎。
そこの周囲をまず一周しにいきます。

夢見ヶ崎と慶応日吉キャンパスなどの載る台地の間を矢上川が流れます。
川のほとりから日吉キャンパスの載る丘を向こうに

茶色い建物の向こう、ゴルフ練習場ネットなどの奥一帯がひとつの台になってます。

そこから背後へ直線で500mほどで夢見ヶ崎です。

その南側台地下から(川崎市幸区南加瀬)

木々の生い茂る高台が夢見ヶ崎、海に近いいちばん突端に残った台地で、この先は沖積地の低地となります。
低地側の標高が4~5m、夢見ヶ崎の上部は30m前後となってます。

これから歩いていく台地の崖はおもに多摩川による浸食でできたものですが、夢見ヶ崎の南側崖は鶴見川による浸食を受けています。
突端の台地ということで昔からいろいろ利用されていたようで、上には神社、寺院をはじめ古墳群、貝塚もあり、現在は小さいながら動物園もあります。〈夢見ヶ崎は以前訪ねたのですがここに記録を残してなかった〉

夢見ヶ崎一番東側(海方向)の先端部(幸区北加瀬)

ジグザグの階段上が公園、動物園などなど。
手前方向になりますが、まさに丘陵ここに尽きるという地点。

 

ここから台地丘陵の崖線に沿って陸地奥側(または崖をつくった多摩川の上流方向)へと進んで行きます。
同じく幸区北加瀬、夢見ヶ崎、台地北側崖下の公園から


夢見ヶ崎台島〈『台島』は勝手に付けました〉から慶応大理工キャンパスの載る矢上台島へ。

少し先へ行ってから低地方向をふり返って

右側矢上台、左は矢上川、道が濡れているのは崖から浸みだす水です。
奥を横切る橋は東海道新幹線、その向こうは新川崎周辺の高層ビル。

しばらく崖の際を流れる矢上川沿いにさかのぼっていきます。

綱島街道と東急線線路を横切り川崎市中原区井田

川の対岸、住宅建物で様子がわかりにくいですが向こうすぐに崖が連なっています。その上に別の住宅建物が頭を出して、正面の大きな建物(川崎市立井田病院)も台地上にあります。その右へ連なる林が崖地(崖線)を覆っているのは通称『井田山』。

 

少し先、崖の森が川に迫ってきてます


高津区蟹ヶ谷へ。
神庭緑地あたり

写真の見た目より急傾斜〈カメラの角度なんかがよくないのだ〉

こちら崖の上は井田城跡、蟹ヶ谷古墳群などが存在。台地上絶壁からの眺望は昔から大変良かったのだと想像されます。
また鎌倉街道といわれる古道がこの近くを通り、台地上から蟹ヶ谷へ下ってくるその道の急坂は現在階段になってました。〈数年前に通ったときの記憶〉

蟹ヶ谷は切り立った深い谷なのですが現在は周辺に建設されたマンションが擁壁のように取り囲み、地形をよく観察できなくなってしまいました。〈マンション入口が上階にあって部屋は下におりていくいわゆる地下室マンションで崖面は覆われ、なんて表現で傾斜地を暗示する程度しか〉

 

蟹ヶ谷の先で矢上川と別方向へ進みます。矢上川の上流はこれより丘陵の中ほどへ分け入ります。
矢上川が丘陵地から低地への出口となるこのあたりの地名は『子母口(しぼぐち)』といいます。
丘に挟まれた地形「しぶ」から「しぶぐち」、なまって「しぼぐち」となったのだ説がはまれぽというローカルサイトにありました。

矢上川をはさんだもう一方の丘の下へ移ります。
こちらも崖際ぎりぎりまで住宅マンションなどの建物が迫ります。

中原街道・千年交差点を過ぎたところ
住宅の切れ間から(高津区千年)

比高は25mくらい、急傾斜です。

千年の高台には『橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡群』があります。川崎市の解説から引っ張っちゃいますが
武蔵国橘樹郡の役所跡である橘樹郡家[郡衙]跡(千年伊勢山台遺跡)と、その西側に隣接して造営された古代の寺院跡である影向寺遺跡から構成される古代官衙の遺跡です。
橘樹官衙遺跡群は、地方官衙の成立から廃絶に至るまでの経過をたどることのできる貴重な遺跡で、その成立の背景や構造の変化の過程が分かり、7世紀から10世紀の官衙の実態とその推移を知るうえで重要であるとして、平成27(2015)年3月10日に川崎市初の国史跡に指定されました。

www.city.kawasaki.jp

 

もう少し行くと第三京浜を横切り、その近く(高津区新作)

左側はたぶん斜面を削り取ってますね。

 

多摩川をはさんだ東京都側の崖、国分寺崖線では豊富な湧水が特徴ですが、神奈川県側はあまり目立ちません。
それでも小規模な湧水はあちこちに存在し、でもやっぱり小規模なので水が集まっても川にまでは成長せず
暗渠にされた小さな沢?(高津区新作)

自分用メモ挿入
この暗渠の沢、意外に長くて源は高津区末長周辺のどこか。新作、新城と経由してどうやら江川につながれてるっぽい。

途中で痕跡なくなってますが、無意識に暗渠の沢沿いにさかのぼって歩いてました。

久本神社鳥居前(高津区久本)

神社拝殿裏はすぐに崖でした。

 

このあたりから溝口繁華街、その片隅に
久本薬医門公園の薬医門、内側から

かつてここにあった邸宅の門、あと蔵があるだけの簡素な公園、崖とは直接関係なかったです。暗渠だった沢もここまでは来てなさそう。

 

溝ノ口駅前にあった穴

背後すぐに駅出入口というところ、丘陵の崖ぎわ(横断歩道の向こう子供の後ろ側)に横穴が口をあけてました。
戦時中の防空壕跡?、異界との連絡口かもしれませんが人通り多くて目立ちます。謎です。

 

溝ノ口駅周辺は多摩丘陵内から流れ下る平瀬川の低地への出口でした〈なので溝『口』〉。
現在平瀬川流路は変更されてここに川はなくなりましたが、丘陵が川出口で分断された地形は残ってます。

街中風景は省略し、向かい側丘陵部の崖下へ移ります。

少し行くと国道246号が横切ります

崖を削って切通しになってます。Googleマップでは『津田山切通し』

右の建物はキヤノン研修センターでしたが現在は使われてないようです。〈半分埋まっちゃいましたね<嘘〉

 

246を渡ってその先へ。
傾斜地でしか見れない
階段状のマンション

10段以上ありそうです。〈ゴミ置場前から失礼しました〉
足元道路上は二ヶ領用水根方堀の暗渠。

用水堀暗渠をそのまままっすぐ行くと
久地円筒分水

これも二ヶ領用水の施設。
用水路本流を流れてきた水を一定の割合で公平に複数の堀に分流するため設けられたものです。
地下に潜らせた管で水を円筒の中央から吹上げ、外側の円筒の周囲を4つの堀(川崎堀、六ヶ村堀、久地堀、根方堀)それぞれの灌漑面積に合わせた比率の長さで仕切りをつけて均等に水量を分けるようになっています。
ちょうど仕切りが4つとも写ってます。〈川崎堀の取り分が4分の3くらいあります〉

円筒分水の背後、平瀬川がトンネルをぬけて流れてくるのがみえます。

先ほどもちょっとだけ記しましたが、昔、溝ノ口駅付近へ流れ出ていた平瀬川。
かつての流路は水害が多発していた事などから丘陵途中にトンネルを設けてここへ流れるよう河川改修が行われました。
トンネル出口の穴が2つありますが、流れる水量に対して最初に掘った穴が小さかったので2本目を追加したということです。

トンネルを出てきた平瀬川の水は二ヶ領用水本流の余水と合流しています。

左奥に平瀬川トンネル出口、右の堰から流れ落ちるのが圧倒的に水量多い二ヶ領用水の余り水。用水の需要は今やあまり無いですし、ほとんど不要な水になってるんですね。

あ、今回は河川系でなく崖を追いかけてたのでした。
話があれこれ逸れ気味で冗長になってしまったので、いったんここで区切ります。

 

〈見栄えは無視し〉今回歩いたコースを起伏つきの地図に落としました。

地理院タイルに経路を追記して掲載(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

スタート日吉ー夢見ヶ崎ー第三京浜付近

第三京浜付近ー久地円筒分水ー東名高速付近