相模川の支流のひとつ、相模川が海に出る直前で合流している小出川(こいでがわ)を歩きました。
源流は藤沢市遠藤の笹窪谷戸とされ、藤沢市茅ヶ崎市境界、茅ヶ崎市寒川町境界を流れて茅ヶ崎市内西部に達し、相模川へ合流する現在の公式総延長は11㎞ほどの河川です。
この小出川を下流側から遡る形で歩きました。また、下流部には流路変更前の川跡が水路として残っているのでそちらにもお邪魔してみました。
歩いた記は2回に分け、前半その1は下流部分、茅ヶ崎市内の新旧流路になります。
小出川流路地図
主に茅ヶ崎市内を流れている小出川ですが、スタートは相模川を挟んだ反対側平塚から。相模川を湘南大橋で渡り、その橋の上から小出川の合流地点を見るにはこちらが好都合です。
湘南大橋平塚側から
渡る道路は国道134号。
橋の上から相模川上流方向
小出川と相模川の合流地点はゴルフ場コース内にあって近づけません。でも湘南大橋の上からよく俯瞰できます。
合流直前はゴルフ場を横切っています。写真右から川越えのコースになって、連絡用の赤い橋はカートが時々渡ってます。
以前は小型の漁船が川に入り込んで船溜まりになっていましたが、最近はロープが張られて進入禁止。
向こう、アーチの見える新湘南バイパス橋梁(ベルブリッジ)側へまわります。
ベルブリッジ近く、小出川橋から河口方向を望む
同じく小出川橋からベルブリッジ
独特の形の橋は、新湘南バイパスの橋梁が小出川に鋭角にかかり、流れの中に橋脚を立てられないため、川の両岸をまたぐ横梁とアーチ、ケーブルで橋を支える方式となり、このような格好になっているとのことです。
こちらが一見に如かず
でもアーチは道路のシンボル的意味合いもあるようです。
ベルブリッジやや上流から下流方向を見て
川のこちら側は公園、その上を新湘南バイパスの高架が半分くらいかぶさってます。
その説明もこちらの絵がわかりやすそう
右側は高架下が細長い公園となっています。
背後でJR東海道線が川を渡り、道が途切れるので迂回して上流側へ。
すぐに左岸側から千ノ川(せんのかわ)という支流が合流しています。
こちら千ノ川(茅ヶ崎市下町屋1丁目、国道1号鳥井戸橋付近から)
千ノ川はこの先で小出川と合流していますが、合流地点に寄るのを忘れました。
小出川も千ノ川も下流部は改修されて現在流れはほぼ直線になっていますが、その流路はここ100年ほどでも度々変わっています。
そもそも大河川である相模川流路が明治後期頃までは現在よりも東側に寄っており、河口付近はちょっとしたデルタ地帯になっていました。小出川、千ノ川はさらにその外側(東側)を迂回するように流れていて、上の鳥井戸橋付近が両河川の合流点でした。
古い小出川の流路跡は後半部に。
相模川の流路が現在よりも東側にあったことは、現流路の東側に”史跡、天然記念物旧相模川橋脚”があることからもわかります。100年ほど前よりもさらに東寄りに位置しています。
旧相模川橋脚
別角度から
向こうの建物は神奈川県衛生研究所。
地面に埋め込まれて見にくいですが、発見当時の写真と解説
□橋脚出現状態の再現
本史跡は、1923(大正12)年に発生した関東大震災によって、地中から出現した鎌倉時代の橋遺跡です。ご覧になっている橋脚は精巧な複製品で、実物は腐朽が進まないように地下2m65cmのところで保存されています。橋脚は複製品ですが、地震によって発生した液状化現象で橋脚が出現した状態は忠実に再現されており、地震のすごさを物語っています。
□大正期保存池の復元
本史跡は、1926(大正15)年10月20日に国の指定史跡となりました。橋脚(複製品)10本を囲っている池の形は、大正時代に指定された後に整備された初期保存池の平面形を復元しています。池は木柵を作りその外側には土盛りした周堤が築かれていたことが発掘調査などから明らかになっており、当時の人々が保存に向けて努力をされていたことが感じられます。
別の解説から
■源頼朝が渡った橋の跡
当遺跡は、沼田頼輔(ぬまたらいすけ)により、建久9(1198)年源頼朝の家臣稲毛重成(いなげしげなり)が亡き妻の供養のために架けた橋と考証されています。鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」には、頼朝がこの橋の渡り初めをしたこと、帰途落馬し、その後まもなく亡くなったことなどが記録されています。旧相模川橋脚はこうした歴史をもった遺跡であると考えられています。
橋脚から、当時の橋は南北方向に架けられた事がわかっています。相模川はこの付近東西に流れていたということですね。(現在の川の流れは北から南)
左側建物が先ほど橋脚の向こうに見えていた神奈川県衛生研究所、小出川はすぐ隣を流れています。
国道1号を渡り、小出川上流側へ出ると川沿いに歩道がのびています。
が、その前に小出川下流部の旧流路へまわります。
◇小出川旧流路
小出川旧流路は現在の国道1号鳥井戸橋付近から下流部分が水路として残っていて、おそらく千ノ川から分水した水が流れています。
旧流路も現在は改修されて三面コンクリートで固められ、一部は暗渠化されています。旧流路の周囲は住宅地ですが、かつては水田が広がっており、そこへの用水として残されたのでしょう。
まず、旧流路の河口近くから。
向こうは海、背後は相模川河口です。左側には現在下水処理場がありますが、明治末期から処理場整備前までは小出川の流路でもありました。
海岸近くのこの付近を向こうからこちらに小出川が流れていた時期がありました。
ゲートの向こうへのびている構内道路が旧小出川流路に相当。前方の下水処理場へ続いており、現在も暗渠で水が流れています。
柳島ポンプ場を背にして反対方向を向くと、旧流路の水路
川面が現れました。三面がコンクリート、上部には梁という典型的な都市の中小河川のたたずまい。
上流側へ歩いて行くと、コンクリート蓋のかかった暗渠になったり、歩道としてきれいに整備されたり、いろいろな表情が見えます。
小出川の古い流路には間違いないのですが、左側標柱、”松尾川”という名前があるようです。
最近暗渠化、歩道に改修された区間
東海道線線路下を横切るところ
線路下からは暗渠でそのまま千ノ川へ200mほど、国道1号の鳥井戸橋となります。その付近で千ノ川から分水されていると思われますが、位置は確認できてません。
鳥井戸橋と千ノ川
橋のたもとには「南湖の左富士之碑」があります。旧東海道で京へのぼる途中、ずっと右手に見えている富士山が、この茅ヶ崎南湖付近だけ左手に見えることから”左富士”なのだそうです。
この写真は富士山と反対方向を写しているので姿はありません。(そもそもこの日は富士山見えていません)
旧流路と関係ない話題になって、小出川の昔の流路はここまで。
◇小出川を遡上
旧相模川橋脚の西側を流れる現在の小出川、国道1号下町屋橋から上流へ向かいます。
前方は次の橋、中原橋
唯一、河原に下りられる場所です。でもあまり面白味なさそう…
赤いトラス橋、鶴嶺橋
ここでも道は鋭角に川と交わってますが、川をまたぐ橋脚、横梁に下流のベルブリッジのようなアーチは取り付けられていません。
バイパスの下にも一般道の橋があります。(橋名不詳)
ここより上流で川は新湘南バイパスから離れ、川沿いの歩道もなくなります。
しばらく上流へ遡ると前方に今度は圏央道(首都圏中央連絡自動車道)が現れます。
萩園橋から上流方向
この上流側で川は茅ヶ崎市と寒川町の境界を流れるようになりますが、その先は次回にまわします。