諸磯埼から続きです。
諸磯埼灯台と相模湾
浜諸磯をあとにして三崎へ向かいます。
丘へ上がって海岸をふり返り
浜諸磯陸橋から
前方が三崎方面、見えている道には下りず
陸橋を渡って5~600m先で右折、坂道を下ります。
坂道の名前は「屁っぷり坂」
「白秋文学コース④ 屁っぷり坂」と記された解説板が坂道途中に立っていました。
詩人・北原白秋は大正2年、27歳の頃三崎に一時居住しており、詠んだ歌と縁の場所を白秋文学コースとして巡ることができるようです。
「屁っぷり坂」解説文を一部引用するとまず白秋の歌があって
「『相模のや三浦三崎は屁の神を赤き旗立て祭れるところ』
この坂は急勾配のうえ、舗装される以前は赤土でした。そのため雨のあとなどは滑らないようにと、這うようにしてのぼり、腹に力が入り思わず放屁してしまったのかもしれません 《以下略!》」
さらに細道に逸れます
細い階段を下ると三崎漁港に出ます。
三崎は1922(大正11)年に魚市場が開設されましたがそれより古くから漁港として賑わい、町が発展していたところです。
漁港桟橋、卸売市場前の駐車場から
こちらは隣りの桟橋
こちらは観光用桟橋ですね、右側の建物も観光用の市場などいろいろはいってますし一般のお客さんも大勢
『観光桟橋』にはいってくる観光遊覧船にじいろさかな号(黄色の船)
船の後方にみえる陸地は城ヶ島です。
界隈はまぐろをメインにした飲食店、魚専門店がたくさん
三崎館本店は桟橋のすぐそば
創業は明治41年という老舗、こちらは割烹料理旅館となっていますが食事のみの利用も可能です。
いまある建物は昭和初期のもので、前面は3階建て、奥は2階建てだそうです。
同じ位置から90度右
左は見切れてますが小さな公園(三崎公園)、「三崎港」バス停もあります。
三崎港バス停付近から
時を経た建物が並んでます。
左、白壁建物、蔵もある酒屋さん*1。
その右となりは建物は古いようですが最近飲食店となって化粧直しされています。
そこから通りの向こう、黒っぽく見える銅板葺きの建物、看板は文字が右から「漁具 船具 株式会社葉山商店」
その左にも蔵づくり風の建物(現在は飲食店)がのぞいてますし、右側2軒の店も昭和レトロ風です。
最近個人的に古い建物に興味があるので思わず奥の通りへ足を運んでしまいました。
宝庫でした。
通り奥から酒屋さん方面をふり返り
同じ通り沿いに
ここは看板建築風、緻密な模様や造りはデザイン的にすばらしいと思います。いつ頃造られたのでしょう?
そのお隣り
大きな桶と軒の照明具が印象的、船具店でした。船具を扱う店が多いのは場所柄ですね。
間が空地になってその先もかつては商店だったようで古い建物が残ります。
そして通り反対側にこの建物
化粧直しされて現在は『宿』となってますが、蔵造りの建物があります。
左隣りはグリーンモンスターになっちゃってますが看板建築の商店があったようです〈わざと斜めのままで〉
その並びは「ユニバーサル広告社」
角を切って出した面の入口と上の装飾がおしゃれです。並んだ隣りは酒たばこなどを扱う商店だったのかな
そこから後ろを向くと
左の建物手前から通りの奥
右は花屋さんなんですね。
こちらも手前は蔵造りの元店舗
右側タイル部分、たばこ売場の跡でしょうか?
これも蔵造り
「三崎昭和館」という資料館のようですが、それらしい雰囲気がみえませんね。
ここまでいくつか蔵造り建物みました。いずれも建物長辺側中央に出入口を持ち道路側を向いていて、はじめから店舗用に造られたものだとわかります。蔵造りは防火上有利ですがこのあたりだと地震津波の影響もありそう(三崎は関東大震災による津波被害はあまりなかったそうですが)そんな事も考慮されているのかと思います。
海岸近くに出てきて
ここにも細かなデザインの施された建物
その隣りの蔵がまたしぶい
よく見たら蔵の壁、地元の石を使用しているような気がします〈経年の汚れでこの色模様になってるのではなさそう〉。屋根が壊れてるのは残念
この一角のレトロな建物、ほかにもあれこれあるのですが紹介しきれません。
海岸沿いに出て向こうは城ヶ島大橋
小さな湾を奥に進み
その途中にも古い蔵、そんなに古くなさそうな蔵?など
いちばん湾奥からふり返り
正面城ヶ島
このへんで三崎のまちなかから離れます。
またなだらかな丘陵へあがってふり返り
三崎周辺の街並み、住宅地
三崎までの予定を少し延長して
この下は金田海岸あたり、東京湾側へ出てきました
もうすぐ三浦海岸
この夏は三浦海岸、海水浴場開設されないそうです。〈コロナ禍のときもだったけどまた〉
ちょっと寂しげに見えてしまう海岸までで終わりにします。
その1
*1:店舗前の看板「長者盛」は新潟の酒でした。三浦半島あたりにはたぶん日本酒醸造元はないです。