横須賀散策 その2 衣笠から馬堀、走水を経て浦賀

前回の続きは衣笠から
アーケード商店街をぬけてから駅裏の高台へ上がります。

西のほうを見て

 

上がるとさらに一段高いところがあって境目が崖になってるのですが
これは蛇紋岩(じゃもんがん)の露頭

左上部分の茶色い土(と木切り株)を除いた、やや緑色にも見える岩が蛇紋岩です。

蛇紋岩自体はそんなに珍しい岩石ではありませんが、三浦半島地域では最も古い時代の地層(数千万年前)中にのみ分布がみられるということです。〈このあたりではやや珍しい〉
ちょうど崖の補強工事中

でももう少しすると右のコンクリート壁が広がって覆われてしまうのでしょう

以後、もう見ることはできない露頭最後の姿に遭遇してラッキーとも残念とも


工事用柵のすき間から崖を覗き込んだところ

下に崩れ落ちている破片も蛇紋岩、石の表面に蛇の皮のような模様があるとされますがこの状態ではわかりません。

蛇紋岩は地下深くでかんらん岩という別の岩石が水の作用を受け変化してできます。
水を含んでいるために風化作用を受けやすく脆く崩れやすい性質があります。
風化した蛇紋岩質の傾斜地(まさにここ)では山崩れが起こりやすいのです。なのでこちらは工事を行っているのですね。

 

もう一度衣笠十字路近くへ戻り、東へ歩き出しました。

平作川と横須賀線橋梁


それほど古くない時代に宅地開発された地域をしばらく進みます

傾斜地がとても多く

そんなところもあちこち崖のぎりぎりまで家が建て込んでます。〈上の画はその一例として〉
眺めは良さそうなんですけどね。

 

起伏の多い土地ですがここは案外簡単に向こう側の平地、大津まで出ることができました。
一気に海岸線まで進みます。

大津港手前

海は東京湾

大津港のなか


漁港の東側から海岸線に沿って1600m超のプロムナード『馬堀海岸遊歩道』、この日は端から端まで歩きました。

これは遊歩道はじまる直前


せっかく海岸に出てきたのに空は雲に覆われてきました。

遊歩道最初はこんなかんじ

ちなみに最後までこんなかんじです。

 

陸側は広い道路を隔てて住宅がずっとならびます


海側はつり場になってます


海のむこうに横須賀市街、猿島

猿島の右遠くに横浜、川崎なども望めました。

 

約1マイルで端へ到達、来た方をふり返り


普通の道路へ出て走水(はしりみず)方面へ


走水水源地公園にはいります

上水道の水源地、浄水施設周辺が公園になってます。

公園入口の解説案内文

走水水源地
明治9年(1876)走水の湧水を横須賀造船所に通水したのが始まりで、市内唯一の自己水源地です。明治35年(1902)に完成した煉瓦造貯水池と、その後に造られた国内で初期の鉄筋コンクリート造の浄水池は、いずれも国登録有形文化財となっています。
昔から走水の湧水は水量が豊富で、ミネラルを含んで美味しく、水温は17度とほぼ一定でした。
湧水は涸れたという記録はなく、水量は一日約2000㎥あります。現在は市の非常時用の水源地になっています。
また水源地は災害時の応急給水拠点としての機能を備えるとともに桜の名所ともなっています。

となり

横須賀水道発祥の水
ヴェルニーの水はあちらです

現在、水量1日2000㎥だと横須賀市人口約37万人では5.4ℓずつしか使えないのでだいぶ足りないですね〈また余計な計算を..〉

水源地公園内から波打ち際


こちらが『ヴェルニーの水』水くみ場

公園内駐車場の一画にあります。
結構人気でいつでも人の姿があります。

水源地公園前の道路をはさんだ山側

こちらが走水水源地。みえているのは国登録文化財の煉瓦造貯水池でしょうか?

山側一帯は立入禁止、でも上までいくと防衛大学校構内だったりします。

 

水源地公園から先へ

走水伊勢町の集落


破崎展望デッキからの眺め

手前走水海岸から横須賀市街、その向こうには富士山の姿も〈晴れてないのが悔しいところ〉

その近くには小学校がありまして

 

そのまま真っすぐ行くと旗山崎(御所ヶ崎)で陸地がなくなっちゃうので道は大きくターンしますが、そこで分岐する旧道へはいり
走水神社のある集落内を通っていきます。

三浦半島一帯でよく見る岩石でつくった石垣と古い家屋

〈すいません 家のもろに裏手を写してしまいました〉

 

道の反対側

もとは商店だったのでしょうか

その奥にはお寺の屋根がみえます。通りの奥は寺院が3つ並んで、見えているのは本照寺本堂。

 

3つ並んだ寺院の次が走水神社

鳥居前の解説によれば
走水神社祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)
そのほかに、このあたり大和朝廷時代には上総(千葉県)を経て東北地方に渡る『古東海道』が通じ、走水の地名は古事記(712年)、日本書紀(720年)にも表れていることなどが記されてました。

 

しばらくして旧道は再び現県道(よこすか海岸通り・観音崎通り)に吸収され
走水交差点を過ぎると

かつて観音崎京急ホテルだったところ

いまは別の名前でやってます。

 

そこから道路反対側、横須賀美術館になります。

真正面でなく脇の細道から敷地内へ
どこ通ってるんですか?


そして屋根に上がる不審者


いえ、屋上は開放されてます


美術館建物裏の露頭

また露頭です。
ここの崖は三浦半島一帯でよく目にする凝灰質の砂岩と泥岩が互いに積み重なった地層。海岸線などの岩場もこの岩石のことが多いです。

 

裏山(観音崎公園の一部)にはいります。


一帯はかつて軍施設、明治時代の砲台跡などがいたるところに残ってます。

こちらは「三軒家砲台跡」のひとつ

手前解説には

三軒家砲台跡
この砲台は明治27年12月15日着工 明治29年12月20日完成の27加砲4門 12加砲2門の砲台で原形に近い形で残されています 地下庫 見張所 井戸 便所等もありましたが昭和9年8月20日廃止されました。

見えている1つのスペース(砲台)に1門の大砲が備えられ、東京湾内に近づく敵艦を攻撃します。
明治の時代は船で攻めてくるのですが昭和にはいると飛行機にかわりこちらは廃止ということです。

こちらは弾薬庫などの跡

穴を掘ってそこに砲弾や弾薬を保管していたのでしょう。入口はすでに塞がれてます。

 

砲台跡から続く道の途中に門の跡


これはもしや塹壕跡?


なんていうところから平和な丘へ

塔のひとつに「花の広場」ときざまれています。

 

だいぶ長くなってきました。

この先は観音崎公園を裏からぬけて鴨居、小原台といった起伏の多い住宅地の道を上り下り、浦賀駅へ出ました。


最後、浦賀の街もまわって来れるとよかったのですが思ったより疲れてしまい、ここまでとしました。