散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

ねこに誘われた日の話

曇っているのに蒸し暑い夏の日でした。
漂うように歩いていたら木立ちの入口に「史跡ねこ塚」の案内標

この奥にあるようです。〈バイクに腰かけているおじさんは関係ありません..ちょと邪魔だけど〉

史跡ねこ塚

ねこ塚
時は元禄の秋、この地を通りかかった巡礼のお婆さんが、飢えと疲れで倒れ、息を引き取りました。
お婆さんが連れていた猫がしばらく寄り添って鳴いていましたが、間もなく後を追うように動かなくなりました。
哀れに思った村人たちはこの場にお婆さんと猫を埋め、供養した、と伝えられています。いつしかここは「ねこ塚」と呼ばれるようになりました。
(「旭区郷土史」を参考)

平成21年10月吉日旭区誕生40周年記念事業実行委員会ということでまだ新しい碑です。
場所は横浜市旭区善部町というところ。

 

そこから南のほうへまた漂い歩いていきます。〈お化けか〉

時々花が咲いていたり

むくげの花 韓国の国花ですね。

 

大きな通りに出ました。むこうにあるのは地下鉄の駅入口です。

「地下鉄」の看板の下に屋根の一部が見えます。

 

前へまわってみました

何かの供養塔のようですがここにもねこの置物がいくつか。
左に由来が書かれているので読んでみます。

踊場の碑の由来
踊場の地名は伝説として古猫が集り毎度踊ったので生じたと言はる。この碑は猫の霊をなぐさめ住民の安泰を祈念して近郷住民の総意にて元文二年(西暦一七三七年)造立し中田寺住耺尊帰として開眼供養せられしものなり。最近交通いよいよ激しく長後街道と鎌倉道のこの交差路改修にて碑の移動に伴ひ本願の地区安泰と交通安全を祈願のため町内有志相計り住民各位の助成を得て慰霊塔を護持祖先の意思を継承奉らんとするものである。昭和六十一年十一月三日に戸塚区から当地は泉区に変行になった
中田踊場慰霊塔〇〇委員会

(誤字はそのまま、判読不能な文字を〇に置きかえました)

 

ということで隣りの地下鉄入口は
踊場駅

「踊場」という地名、過去の地図にはのっていますが、現在はなくなってしまったようです。
踊るねこはもういなくなってしまったのでしょう。

短いですけど、今回はここまで。

私もいまちょっと『踊場』、外を歩けないのでここに書くネタが集められません。
そろそろリハビリで「慣らし」ていけるかと思いますが、もうしばらく更新頻度おとして減速運転となる見込みです。