横須賀の街歩き、のはずでしたがしだいに外れて海岸線、川の暗渠、古い建物、崖の露頭...とまとまりなくなってしまいました。
テーマを分けて書こうかとも考えましたが収拾つかなそうなのでいつもどおり歩いた順番に並べていくことにします。
スタートは横須賀中央
駅前のデッキから
左のほうは建物取り壊し中。跡地は33階建てマンション兼商業施設とか
正面に下りちょっと行って右折、米が浜通
通りの反対側は明治の頃波打ち際だったそう
先へ進むと国道16号との米が浜交差点。
交差点付近も古くは海に面して田戸崎という岬となっていました。
風光明媚な場所だったそうで、1885(明治18)年ここに小松という料亭が開業しています。
小松は開業時から海軍軍人に、太平洋戦争後はアメリカ海軍や海上自衛隊関係者らに広く利用されたため海軍料亭とも呼ばれていたそうです。
有名な料亭ゆえか、Wikipediaにもこと細かく記載があります
現在の小松跡地
更地になっているのは2016年5月に火災で料亭の歴史ある木造建物が全焼したためです。
〈正面の建物、隣りが消防署というのがなんとも〉
今もStreetview過去画像では当時あった建物を見ることができます。
位置をかえて建物があった背後から
前方黒っぽいマンション建物は小松の旧館があった場所、そちらの建て替えは火災前です。その1階部分は料亭別館となっていましたがそこも現在営業されていないようです。
小松優雅亭入口前
ここを通りかかったら国道米が浜交差点反対側に古い建物があるのを見つけました。
以下しばらく横須賀市内古い建物巡りとなります〈ただし行き当たりばったり〉
建物裏側の通りから
こちらは横須賀安浦郵便局、路地に蔵、その奥に主屋建物の一部が見えてます。
路地にはいってふり返り
正面にまわって
屋根から下る雨樋や戸袋、欄干などの意匠に目がいきました。
建物のつくりも裏に蔵があったり作業場のような広めのスペースがあったり、何かを製造製作していたのかなと推測。
ここはかつて波打ち際か砂浜、大正か昭和初期頃埋立てられて陸地になったのでその後に建築されたということになります。
現在はいわゆる古民家カフェになっているようです。入口左、窓の並ぶ広間がカフェスペースです。〈でも営業しているか不明〉
かつての海岸線沿いをもう少し先へ進みます。
次の古いもの
「赤門」前に出てきました
左に〈だいぶ薄くなって読みにくい〉解説がたってます。
人力読み取りで
市政施行七十周年記念 横須賀風物百選
赤 門
この門は、かつて朱塗りであったことから「赤門」と呼ばれています。
武家屋敷などでは、主家を防衛するために、屋敷の外郭に家来のための長屋を建てて、その一部分を門としました。門の屋根と家屋の屋根を一連にした形の建造物を「長屋門」と呼び、この赤門もその一つです。
初めは上級武家の門で、建て方も複雑堅固なものでしたが、後に武家以外の者でも、特に功労のあった家などには、出窓や出格子のない簡単な長屋門の建築を許されました。
この長屋門の主であった永嶋家は、三浦氏の子孫と伝えられ、戦国時代、小田原北条氏の支配下にあって浜代官を務めました。更に、江戸時代には、三浦郡の総名主を務めたほどの家柄なので、この門の建築を特に許されたものと思われます。
かつて、この門前の道路は、江戸より浦賀に通じる主要街道でした。明治の末期までは、白砂青松を連ねた海に面していて、猿島や千葉の山々が手にとるように見えた景勝の街道で、数多くの旅人の眼を楽しませてきました。門前の右手にある石柱の道標がかすかに当時を物語っています。
横須賀市民文化資産にも指定され、現在も広く市民に親しまれています。
ここは昔、門前の浦賀街道を隔ててすぐ海岸だったようです。
米が浜通りからここまで昔の海岸線沿いを歩いてきました。
ここから坂をあがって少し高台へ
正面横切る道路の聖徳坂、右下のトンネル向こうに赤門の屋敷なのでこの道が旧浦賀街道、左上は京急線線路。
線路をくぐってから聖徳坂の途中に出ます。
坂の名はこの左側にある『聖徳寺』から。立派な本堂建物、古くからある寺院のようです。
道路反対側のつる草を被った建物は階段を上がった正面にも入口がありますね。階段はそこで右に折れて続いているようです。
一方道路こちら側にはまた古い商店建物2軒
当時のままに見えるのは屋根の一部と軒くらいではありますが。かつては鮮魚店だったようですね。
その向こうには青果店
聖徳坂を上がった道は三崎街道に突き当たります。
上町3丁目交差点
正面奥から左手前へ三崎街道。三浦半島先端の三崎へつながる古くからの街道です。
この街道に沿って少し歩きます。
上町交番のある交差点奥に何か見えました。
築地塀の上はみかんの木
銭湯でした
道路反対側から
『当り湯』
こちらの銭湯前を通るのは不入斗(いりやまず:難読地名です)への道路
また三崎街道へ戻り
ついでと言ってはなんですがもう1軒
こちらは現役酒屋店舗です
横須賀の町中、案外古い建物が残ってます。
横須賀は軍都として発展してきたところですから戦争中は攻撃の標的にされやすいはずですが、太平洋戦争では軍施設に対しての局地的攻撃が中心で、町じゅうを焼き尽くすような空襲、爆撃は免れたということです。
ここからしばらく三崎街道の隣りを通る川沿いに歩きます。
川の名前は宇東川(うとうがわ)、流れは暗渠化されているのでその上を。久しぶりの暗渠歩き
暗渠上の歩道がはじまるあたり
正面歩道橋があるところは三崎街道鶴久保小学校前交差点。先は高台になってますからその裾からの湧水などが小さな沢となってこちらへ集まってきたと思われます。
歩道は『宇東川緑道』
向こうに「たまご」の幟、小さな間口の地玉子屋さんがありました。
動物の顔がいろいろ。何カ所かで見かけました。
この付近はまだ川幅せまく左植込みの外側にはもう一本道路が通ってます。
さらに下ると歩道幅広がって両側の植込みも幅広く
川の両側、結構古い家が多いのですが、みんな玄関側がこちらに向いていました。
これは家の出入りを川側で行っていたということで、かつては川の流れの両側に道路(通路)があったことになります。おそらく川を暗渠化したときに両側の道路と一体化して1本の幅広い道とし、植込みの幅も広くとれるようになったのかと〈余計な〉推理してみました。
宇東川の暗渠化は、戦時中に工事着手されたものの一旦中断、その後1970年頃に完成したということです。
このへんは植込みもなく一般道路のようにも見えますが遊歩道の続き。
右の家、屋根に風見鶏、軒端に「寿」の文字の入った装飾が特徴的です。
そしてそういったものとはまったく別に
こちらも凝った飾りつけ
カリビアンな船長?登場
ハロウィンのそんなプチ盛り上がりもありつつ、遊歩道は終点に
約1.5㎞の道でした。
この反対側で顔を出す流れ
この50mくらい先で平作川(ひらさくがわ)に合流する宇東川でした。
こちらは合流直前の平作川
このあたりは衣笠の街中
三崎街道と衣笠通りの交差する衣笠十字路を右折すると
衣笠商店街
こちらは衣笠駅
JR横須賀線の駅です。
ここでUターンして商店街アーケード内へ
昭和の雰囲気が残る通り。
商店街が?「三浦一族のふるさと」ということで一族総登場(氏名だけ)ですね。
まだ昼食には早い時間でしたがここでいったん休憩とします。