あまり穏やかでない今年の秋ですが、たまに好天となったすき間をうまくとらえて出かけることができました。
相模原から町田、多摩、川崎の麻生などを通って稲城へ、細道、緑道がうまくつながってのどかに歩くことができました。
駅前です
政令指定都市名”相模原”をそのまま名乗る代表駅の駅前がこの風景。
というのは意地が悪いのですが、相模原駅の北側には在日アメリカ陸軍相模総合補給廠(面積214ha)が広がり、今まで手が付けられませんでした。駅北口側だけがこの状態です。
2014年に西側の一部は日本に返還され、基地内の通路が一本、公道として再整備されて通行は自由になりました。その道路が上に写っているものです。
そこを歩いて行くと、返還された土地も道路以外は未整備の状態で、
空き家になった住宅
駅徒歩2分、超広物件ですよ、これ。
ここが返還済みか不明ですが、更地
こちらと反対側は未返還の米軍基地が続きます。あまり、のどかではありませんね。
米軍基地エリアの外へ出ると、すぐに境川を渡って東京都町田市に入ります。
町田街道を小山郵便局前交差点で越えてさらに先に進むと多摩丘陵への上り坂です。
丘陵へ上がりつつ、西側の風景
まだこの辺り一帯は住宅地。
尾根まであがると”尾根緑道”
文字通り尾根伝いに続く緑道ですが、この日は尾根の向こう側へ出るのにちょっとだけ通りました。
以前、気温35℃の尾根緑道を全部歩いてます。
墓地分譲販売受付中の流れに遭遇してしまい
お盆、彼岸でもないのに駐車場の誘導員まで出る盛況。お墓の需要ってあるんですね。
皆さん霊園側へ吸い込まれ、自分はまっすぐその先へ。
「この道は農耕用道路です 農耕車両以外の通行は禁止されております 町田市」の標識を見て雑木林へ入って行きます。農耕車両じゃないけど。
林をぬけるとこういう風景
散歩するなら水辺か田園風景が好きですから、これは良い。◎
華も実もある秋3枚
「鶴見川上流端」の上流に出てきました。
少し下ったところに上流端の標識
古い橋が架かってます。
川の上流端といっても”行政管理上の”なので、ほとんどの川で流れはさらに上流へ続いてます。
鶴見川歩いた記録。上流部~源流
川を少し下るように歩いていたら見つけたバス停待合所
大泉寺バス停
思わずガン見してしまった看板の数々。
今も町田駅前に存在する久美堂、「本と文房具の株式会社久美堂、小田急線新原町田駅…」
町田の商店街には吉川百貨店というデパートが存在したことを知り、その電話番号を見ると町田の市外局番が5桁(04274)*1、番号は全部で9桁だとか。
3桁の”有線電話”を掲げている店は相模原のほう?、だったり。
そのほかにも興味の尽きない看板群でした。昭和30年代頃のものでしょうか?
バス停から大泉寺の方へ向かうと
八石地蔵尊、右は六字名号塔(でよかったっけ)
祠の左にも何か石塔があります。
長めの参道から大泉寺の山門を遠くに見ながら道を曲がり、小山田緑地へ。
小山田緑地、内部は整備された公園、そうでないところもあったり、ゴルフ場が挟まってたり、境界もよくわからないですが、広い緑地帯です。
そこを一部通過します。
整備済みの緑道
湧き水を池にしてます
その水が流れて行く先、重量制限0.5tの暗渠道
この上で”関取3人並んで”はおそらくアウト、ラグビーのスクラム組んだら完全アウト、ですね。
小山田緑地をぬけて対面の”奈良ばい谷戸”というところへ入っていきます。
奈良ばい谷戸
谷戸地形の手前は田んぼや畑、奥は雑木林です。
雑木林の傾斜地を越えてその向こう側へ出ます。
尾根付近から
向こう側はつい最近も日野往還歩きで立ち寄った小野路宿跡、そこをかすめてまた林の中へ。
小野路は日野往還、鎌倉街道、大山道、様々な名前で呼ばれる古道が通りますが、今回は近くですが別の道に入ります。
先にあった案内によれば、こちらは「布田道」(”ふだみち”でよいのかな)
This path leads to Onoji Shuku
此道は布田道にて、幕末に近藤勇らが通いし道に御座候 是より関屋を経て二町程にて小野路宿に着き申し候
小野路宿にあった道場へ若い近藤らが稽古に通っていたという話があります。その道がここなんですね。
布田道、先で
時々こんな道路が出現するのは仕方ありません
これ現代の”鎌倉街道”(都道18号)です。(町田市別所交差点付近)
近藤さんはたぶん見てないはずですが。
横切って右方の森の中へ進みます。
多摩市及び川崎市麻生区との境界方面へ歩いていくと、また道端に標柱がありました。
「古道五差路と軍事戦略的な鎌倉道」
かろうじて解説文目視確認可能、黙読してみました。
ここは小野路町別所と多摩市永山の境界にあたり、古道が集まる五差路です。堀切を持つ関所跡のような場所(現在消滅)、頼朝の弟・源範頼(みなもとののりより)の念持仏をまつったと伝わるお寺や鎌倉時代初期(弘安四年・1281)の大板碑、源氏の戦いの伝承地(鶴川団地)などが近くにあります。南北朝時代頃から鎌倉や小田原などへの近道として発達したと考えられるこの鎌倉道は、古戦場伝説や古墳が残る別所の高台(三社大権現、富士塚古墳)を乗り越えて、野津田や金井、本町田へと続いています。交通の要衝である小野路の宿や野津田上ノ原の先へ回り込む早道であったと考えられます。
この日は古道を歩くという意識は持ってなかったのですが、何となく歩いてますね。先へ長く続く細い道って、古道の確率が案外高いと最近思います。
柵の向こう側は国士舘大学多摩キャンパスのグラウンドです。
大学キャンパスの間を通るこの道をもう少し
ずっと行くと「多摩 よこやまの道」と呼ばれる尾根伝いの緑道なのですが、直接そちらへ出ず、田んぼと畑の風景のある場所へくだります。
川崎市側へ一旦下ります ✕4
次は、はるひ野の住宅地の縁をまわって再び尾根伝い、よこやまの道へ出ます。
尾根から南東方向の遠望
多摩よこやまの道、起点近く
こちらも2016年、通しで歩きました。
起点の公園から北西方向遠望
ここまでは緑道や公園なども通りましたが、雑木林や田園風景の中をたくさん歩くことができました。
この先は風景が一変、新興住宅地、ニュータウンの中にごく最近拓かれた道を行きます。
京王若葉台駅方面から続く歩道にて
右の特長的な建物は大規模な書店とのこと。
左の道を行き、車道を橋で渡ります。
ミニチュアに加工してみたくなる絵になりました。(してない)
橋を渡ると
大規模な宅地開発時に造られただろう傾斜地の公園を望む
この日の散歩終盤は、最近できあがったこのような風景を見ながら歩きました。
最後は京王線と2択の検索結果、乗換1回で済むJR南武線稲城長沼駅へ。
歩いた足あと地図を最後に置いておきます。
*1:その後0427を経て現在は042