散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 小日向台南側の坂道4つ

音羽茗荷谷の坂道を訪ねたとき、小日向台地南側から神田川の流れる低地に下る坂道を4つ記録していたのでまとめました。
大日坂、服部坂、横町坂、薬罐坂です。所在を地名で表すと文京区小日向1丁目、2丁目に位置する坂で、下ると底は水道2丁目ですが、そこまで続いていない坂もあります。

今回訪ねたのは江戸時代にはおもに武家屋敷や寺社の建ち並ぶ一帯。それ以降ずっと住宅地として発展してきており、坂道もすべて江戸時代から存在していたものです。

 

◆大日坂〈だいにちざか〉

別名:八幡坂〈はちまんざか〉*1

江戸川橋を渡ってまっすぐ行くと音羽通りですが、すぐに東側へ折れる道は『巻石通り』といい、かつて神田上水の流れていた素掘り水路を石で巻き(上下左右を囲い)、上を通路としたことが由来となっています。(『水道通り』の別名もあり)
江戸川橋からこの巻石通りに入って東へ200m弱、北側から下ってくる坂道が大日坂です。

大日坂下、巻石通りとの交差点から 〈ぶれてます〉

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道は最初わずかに右に、続いて左に曲がって上がっていきます。坂下から坂上は望めません。
長さは約200m、傾斜は中ほどが一部急ですが、前後はそれより緩やかです。

 

坂を上がり始めてすぐ、右側に大日堂という小さなお寺があり、その前に古い坂名看板標識があります。

大日堂の手前にて

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坂名の由来になった大日堂です。
坂名の下に細かい字で解説が書かれています。〈かなり薄れていたので読み間違いあるかもです🙇〉

大日坂  だいにちざか
坂の名の由来は、坂の途中に大日堂があったことから里俗に呼ばれるようになったものであろう。
堂のあるこの寺は天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で、堂廟の創立は寛文二年(一六六二)といわれている。
その後何度か火災にあったので、堂は現在に至っていないが、坂の北の方の道造りは、妙足院で施工したと伝えられている。
小日向の名の由来については、古く鶴高日向という人の領地だったが 絶家した後、「古日向があと」といっていたものが、いつ頃か「こひなた」と呼ばれるようになったものであろうと、「御府内備考」では述べている。
文京区役所・文京区観光協会

 

大日堂近くから下方向

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下の信号機が巻石通り大日坂下交差点、そこから傾斜がはじまります。

 

左カーブのはじまり付近

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もう1回左へ少し

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少し上がったところに文京区の建てた坂名標識があります。

坂半ばの標識

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大日坂(だいにちざか)   小日向2-17と18の間
「・・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり。」(改撰江戸志)
この「大日堂.とは寛文年中(1661-73)に創建された天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
坂名はこのことに由来するが、別名「八幡坂」については現在小日向神社に合祀されている田中八幡神社があったことによる。
この一円は寺町の感のする所である。
  この町に遊びくらして三年居き
    寺の墓やぶ深くなりたり    折口信夫(筆名・釈超空 1887-1953)
東京都文京区教育委員会  平成元年3月

 

標識近くから上方向

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この先はほぼまっすぐで坂上に達します。

 

坂上から下方向

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背後にほんの少し、緩い坂が残っていますがほとんど頂上です。
この横にもブロンズの彫像とともに坂の解説文が埋め込まれたプレートがあるそうですが見逃しました。

 

 

◆服部坂〈はっとりざか〉

巻石通り大日坂下交差点から東へ150mほど、小日向神社入口交差点から北へ上る坂道が服部坂です。

坂を上がりはじめて振り返り

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下を横切るのが巻石通り、小日向神社入口交差点です。そこから傾斜がはじまります。

 

ほぼ同じ位置から上方向

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道はまずまっすぐ上がり、小日向神社の先でクランク状に折れ曲がります。途中で右に分岐する道に横町坂があります。
左の壁は文京総合福祉センター、右側は文京江戸川橋体育館。

 

体育館入口付近に坂名標識

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服部(はっとり)坂     小日向1-7と2-16の間
坂の上には江戸時代、服部権太夫(ごんだゆう)の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。
永井荷風は眺望のよいところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等は皆斉しく小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。・・・・」と書いている。
坂下にある旧文京区立第五小学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。
文京区教育委員会   平成9年3月

第五小学校は現在の文京総合福祉センター位置にあったようです。戦後新制第五中学校として2009年まで同じ場所に存在していましたが、生徒数減少で統合されました。

 

坂を上がっていくと小日向神社前を通ります。

道路に面した鳥居(黒い外壁の家の手前)と左奥に本殿など

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横町坂との分岐

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右へ下るのが横町坂。

 

まっすぐ上ると道はふたつに分かれます。左折するとさらに坂が続き、右前へ細い道を入ってもゆるい坂、坂学会によれば分岐点で服部坂は終わり、意見は分かれますが左折した先も服部坂とみて先へ行きます。(江戸切絵図では「ハチマンサカへツヅク」とあり→大日坂のこと)

分岐点から下を

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同じ位置から上

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次に右折する地点から下

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右は工事中ですが、小日向神社境内へ下りる入口です。
このあたりで完全に坂上ですが、もう少し先から振り返ります。

 

坂上の先から坂下方向

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前方、工事中の小日向神社入口、その先には永井荷風が「小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい」という景色になりますが、さすがに現代は建っているビルが高すぎます。それでも右側は一等地ですね、更地ですが何ができるのか気になります。

 

 

◆横町坂〈よこまちざか〉

服部坂の途中、小日向神社前から福勝寺の坂下側を東に入り、下る細い坂道が横町坂です。
坂に標識などはありません。文京区が出版した「ぶんきょうの坂道」に掲載があり、『武家屋敷の間を通る横町の坂』からきた名前ということです。

服部坂から望む横町坂坂上

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坂に入って前方を

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道はほぼ直線で坂下に至ります。長さは110mほど、傾斜はさほどきつくはなく、そこそこ。

 

振り返って

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坂下から上方向

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下の方は傾斜もより緩くなってます。

坂下では巻石通りに出ず、別の道に突き当たり終わります。特記事項もないような普通の坂道ですが、存在は古いようです。
周辺は御持筒組(鉄砲組)の屋敷があったとのことで、地図にも「ヲモチツゝクミ」の文字が見えます。

 

 

◆薬罐坂〈やかんざか〉

目白台にも同じ薬罐坂がありますが、こちらは小日向1丁目にあります。説明の難しい込み入ったところにある坂道、かつ坂の始まりと終わりもあいまいです。
標識も存在せず、文京区が出版した『ぶんきょうの坂道』のみに掲載された坂道です。

横町坂坂下で突き当たる、巻石通りから入ってくる道を北に進むと(迷路のようなのですが)、1本崖下を通る道があります。

その入口

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前方崖下で左折します。

 

左折地点から坂道ぽくなります

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右側崖の上はいくつか寺院が並んでいて、その墓地や公園になっています。

前方の大木近くから

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左側一段高いところは生西寺です。

 

また前へ進み、生西寺門の前から

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先を横切る道に上がって坂上ということになっています。

 

坂上、横切る道路から振り返り

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ここまでは傾斜もごく緩く、長さも約90mと短い坂道です。

 

ただし横切る道路から先を見ると

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まだ傾斜が続いています。江戸切絵図ではこちら側の道に「ヤカンサカ」の文字が書かれています。
坂上といわれた地点からさらに100mほど行って道は平たんになります。
また、坂上から反対側へも数十メートル緩い上りになっていることも付け加えておきます。

生西寺前の道も含めて江戸切絵図に記載があるのでいずれも古い道であることは間違いないです。
坂名の由来は目白台の薬罐坂とほぼ同じ。『ぶんきょうの坂道』では「野狐のことを野罐(野豻)といった。野狐が出てひとをたぶあらかすようなもの寂しいところなので この名がついたか。野罐から薬罐に転じた。」とあります。
こちらも坂は直接巻石通りとは接していません。

 

このほかにも巻石通りから折れて上がっていく坂道はいくつかありますが、今回の4坂以外まだ訪問できていないので、回を改めてとさせていただきます。

 

小日向台南側の坂道
使用地図が音羽の坂道と同じです。今回は番号で11~14になります。

11.大日坂、12.服部坂、13.横町坂、14.薬罐坂

*1:坂学会の資料では読みは「やわたざか」でそれを引用している他の記述も多いが、こちらの旧坂名は八幡坂で、読みは「はちまんざか」と記される解説も複数あり。「はちまん」が一般的、かつ状況的にもあうのでこちらを採用。