散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 音羽の谷に下りる坂道(3)

文京区音羽の谷に下る坂道、3回目になりました。
今回は目白坂、目白新坂、七丁目坂の3坂です。すべて音羽の谷と西側目白台(関口台)を結ぶ坂道になります。

 

◆目白坂〈めじろざか〉

別名:不動坂〈ふどうざか〉

江戸川橋近く音羽谷の入り口、音羽通り江戸川公園前交差点を西に入る道が目白坂になります。(同交差点を東に入った先は鷺坂)
道は古く、かつては清戸道(きよとみち)と呼ばれ、現在は目白通りの旧道とでもいったところでしょうか。坂を上がりきると左手に椿山荘、その先で現目白通りに出ます。

音羽通り江戸川公園前交差点から目白坂の入口

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道路拡幅されてないせいか、意外にせまい入口。

入ってすぐ、首都高池袋線高架下から傾斜がはじまり、そのあたりに坂名標識があります。

 

首都高高架下にて

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ゆるくカーブしつつ上る坂道、左側歩道に「目白坂」の標識、裏面に解説文があります。

 

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目白坂
西方清戸(清瀬市内)から練馬経由で江戸川橋北詰にぬける道筋を「清戸道」といった。主として農作物を運ぶ清戸道は目白台地の背を通り、このあたりから音羽谷の底地へ急傾斜で下るようになる。
この坂の南面に、元和4年(1618)大和長谷寺の能化秀算僧正再興による新長谷寺があり本尊を目白不動尊と称した。
そもそも三代将軍家光が特に「目白」の号を授けたことに由来するとある。
坂名はこれによって名付けられた。『御府内備考』には「目白不動の脇なれば名とす」とある。
かつては江戸時代「時の鐘」の寺として寛永寺の鐘とともに庶民に親しまれた寺も明治とともに衰微し、不動尊は豊島区金乗院にまつられている。
   目白台の空を真北に渡る雁
      稀に見る雁の四・五十羽かも    窪田空穂(1877-1967)
東京都文京区教育委員会   昭和63年3月

解説には急傾斜と書かれていますが、さほどきつくは感じませんでした。ただ、300m以上傾斜が続く長い坂道です。

 

大泉寺前

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坂の途中には昔から寺院神社が多くあります。こちら大泉寺をはじめいくつかは今も残っています。

 

お隣りの永泉寺前あたりから坂下方向

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左側にある永泉寺の本堂はインド式でした。

 

坂半ば

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八幡神社の手前です。
この少し先、道の左側に坂名の由来となった目白不動尊を祀った新長谷寺がありましたが、戦時の空襲で被害を受け廃寺となり、不動尊は現在豊島区の宿坂下にある金乗院へ移されています。

 

さらに坂を上がって

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背後はこのあたりから傾斜もゆるくなり坂上に近づきます。

 

坂を上りきってからさらに先

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すでに平坦な道になってますが、
左はホテル椿山荘の入口、正面は東京カテドラル聖マリア大聖堂を持つカトリック関口教会の鐘塔。この先で目白通り都道8号)に合流します。

 

 

◆目白新坂〈めじろしんざか〉

別名:椿坂〈つばきざか〉、新坂〈しんざか〉

目白坂の北側、現在の目白通りが通る坂道です。音羽通りとの目白坂下交差点から西へ上っていきます。
目白坂の後に造られた道ですが、開通は案外古いです。最初に坂の中央北側の歩道にある解説から先に出します。

目白新坂の解説〈見えねえ〉

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文京区教育委員会の標識と形状が異なりますが、東京都が建てたもの〈とどこかに書いてあった気が〉だそうです。
字が小さいので読みます。

この坂より南にある目白坂のいわばバイパスとして、明治二十年代の半ば頃新しくつくられた坂で、古い目白坂に対して目白新坂という。
明治末に書かれた「新撰東京名所図会」によると「音羽八丁目と同九丁目間より西の方関口台町へ上る坂あり椿坂という、近年開創する所、坂名には椿山の旧跡に因むなり、里俗又新坂ともいへり、道幅広く、傾斜緩なり、」とあり、椿坂、新坂ともいう。
目白新坂

 

坂下は目白坂下交差点、目白坂ではなく新坂のほうにつけてあります。

交差点付近から坂上へ向かって

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音羽谷の西側には首都高が貫いて、ここでもきっちり高架が見えてます。

新坂の傾斜、長さとも目白坂と大差ありません。地図での測定で長さ350mほど。ただし道幅だけかなり広く、現在は自動車用道路としての比重が大きいです。

 

少し上がって振り返る

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反対の歩道から坂上方向

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道は上へ向かって大きく右にカーブしています。

 

カーブに差し掛かって

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反対側から

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昔は『椿山(つばきやま)』とも呼ばれ、椿坂の坂別名もありますが、現在は銀杏の並木が印象的です。〈こちらの通りでは木によって色づきはじめた頃〉

 

坂上から下り口

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その背後、目白坂からの道との合流

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ここで目白台に上がった通りはこの先高台の尾根をずっと進んで行きます。

 

 

◆七丁目坂〈ななちょうめざか〉

音羽通り目白坂下交差点から北側へ次の角を西に入る道の先にある、細い坂道で一部は階段です。目白新坂の途中からも50mほどしか離れていません。〈目白新坂との間も坂道です。〉

坂に標識などはありません。
名前のは坂下、音羽通り付近がかつて『音羽町七丁目』であったことからきています。(現在は関口3丁目)

こちら坂上側から辿ります。

この付近は普通の道路です

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もう一段上がって先は平坦。先へちょっと行くと『佐藤春夫旧居跡』があります。

 

背後へゆるーく下り

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先の工事中のところで道は左へ折れ、階段になります。

 

階段上から

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下り始めの上方向

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階段の中ほど

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階段も途中からカーブしています。

 

下の車止め付近から

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同じ位置から坂下方向

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階段下から普通の道路に戻り、首都高高架下あたりまで傾斜が続きます。その先は音羽通りに出ます。
左側は関口三丁目公園。

坂の長さは階段前後の傾斜部含めて約140m、傾斜は階段部分が急、下はほどほど、上は緩い、といったところでしょうか。

 

音羽の谷に直接下ってくる名前つきの坂道はここまで、以上10坂です。

 

坂道地図 今回分は8.目白坂、9.目白新坂、10.七丁目坂

 

1と2

坂道探訪 音羽の谷に下りる坂道(1) - 散歩の途中

坂道探訪 音羽の谷に下りる坂道(2) - 散歩の途中