大昔の多摩川に削られてできた武蔵野台地の崖の連なり、と言えば『国分寺崖線』がわりとよく知られていますが『立川崖線』というのもあります。
武蔵野台地のいちばん高い面と1段下となる面の間の段差をつくっているのが国分寺崖線、1段下と2段下の間の段差が立川崖線です。〈もう少し複雑な場所もありますけどとりあえず〉
今回は立川崖線を歩いてます。
名称は地域的に府中崖線、布田崖線などと変わる場合もありますが布田を使う調布と府中以外は基本、立川崖線でいきます。結構長い崖線なので何回かに分けて書きます。
立川崖線の位置、崖の連なりが分かるような地図を用意しました。
まず最初に謝っておきます。小さくてごめんなさい
特にスマホでは厳しいですね。ピンチ操作、PCならクリックなどで少し拡大すると思いますが...
立川崖線・府中市東部から終端の狛江市まで
標高で色分け、段差に陰影をつけてあります。左上から右下方向へ通るのが、文字もいれておきましたが立川崖線です〈崖上下での色分けはわりとうまくできました〉。
立川崖線の南側には多摩川の流れがあります。
立川崖線は多摩川下流に近づくにつれてしだいに段差が小さくなって狛江市元和泉付近で消えてしまいます。地図右下に「立川崖線末端」と矢印で示したところです。(その東側に実際はもう少し段差が続いているのですがすぐに消滅しています。)
今回は崖線末端位置から多摩川上流方向へさかのぼる形で歩いて崖線の様子〈ばかり〉を観察してきました。
はじめは多摩川・多摩水道橋から上流方向
多摩川の向こう側が狛江市元和泉あたり
正面やや左あたりが立川崖線終端ですが、手前多摩川堤防のほうが高さがあって確認できません。堤防なかったとしても判別できる高低差があるかどうか。
水面には多摩水道橋の影
多摩川左岸堤防へ
前方四角い箱状のものが見えますが六郷配水樋管、下部にゲートがあって多摩川の水が堤防の外へ逆流しないようになってます。立川崖線終端部では崖下を根川という小さな川が流れ、その水が多摩川に合流するところです。
1枚目の地図では「立川崖線末端」から上(北)に崖線はきれいな曲線を描いているのがわかります。そこを根川が現在流れてます。〈水無かったけど〉
料亭玉翠園跡の石垣
現在は多摩川堤防の外側ですが、かつてここには六郷用水の取入口があった関係で多摩川に堰があり、せき止められた水は湖のようになって石垣のところにも来ていました。
また、この周囲含めて風景がとてもよかったとのことで明治になって料亭が建てられ多摩川の川魚が提供されたそうです。ここの石垣はその料亭の名残り、痕跡です。
そしてこの石垣の高さ、これがだいたい崖線の段差でもあります。〈ほぼ崖線終端部〉
左正面フェンスの向こうは根川の水路、それに沿って先へ進みます。
目前は根川を渡る道路(橋)(狛江市中和泉4丁目)
向こうが少し上ってます。その高低差が崖線の段差に相当。〈段差はいくらもないですね〉
崖線(と根川)がきれいにカーブしている部分
根川の水路〈水は無し〉、左の道路もみんなきれいに左カーブ。ちなみに右側が崖上になります。
あと、崖線のことを東日本方言?では「はけ」「まま」などと言います。左がはけ下、右がはけ上
はけ下の一帯は現在、多摩川住宅という大きな団地ですが、古くは『千町耕地』と呼ばれた田んぼが広がっていたそうです。
崖線のきれいなカーブが直線になるあたり狛江市から調布市に入ります。
染地せせらぎの散歩道入口(調布市国領町7丁目)
左の多摩川住宅はまだ先に続きますが、根川は暗渠となってその上が散歩道。はけの高さはこのあたり3mくらいありそうです。染地は地名
崖にむかって家がないところ
ここにも石垣があってはけ下に湧水があるようです。〈水があるのか確認はできず〉
染地せせらぎの散歩道が終わる(はじまる)ところ
交差点名は「羽毛下橋」
羽毛下橋、根川に架かる橋があったのでしょう。
その上流側、遊歩道から一般道に変わりますが、通りの名前は「羽毛下通り」、引き続きはけ下を行きます。
羽毛下橋交差点から300mほど
ここにも立派な石垣の残る畑(調布市染地2丁目)
半分以上隠れちゃってますが、全体見えるところからは壮観でした。〈であればそちら側から撮影してアップしなきゃねえ...とはいえ多摩川さかのぼっていくとこのような石垣の擁壁はあちこちにあるのでした〉
石垣から羽毛下通りを400mほど先(調布市布田6丁目)
国史跡下布田遺跡
フェンスの向こう、切り立ってはないですが続く崖線の上下にかけて縄文時代晩期とされる集落遺跡があります。
こちら羽毛下通り側は『裏側』、はけの上に遺跡敷地への入口などがあるようです。
縄文時代当時段丘上が生活の場、下は湧水などもあったようで作業の場だったのではと想像します。
羽毛下通りは下布田遺跡の先でつきあたってその先はっきりしなくなってしまいますが、『はけ』はさらに続きます。
立川崖線、このあたり調布市では布田崖線の名で呼ばれる事が多いようです。
古天神公園(古天神遺跡)(調布市布田5丁目)
崖の傾斜部を整地して公園にしています。
古天神というのはここに千年以上前「布多天神」の社があったといわれる事に由来しています。周囲の発掘調査によると1万年以上前の旧石器をはじめとして縄文時代以降各時代の遺跡、遺物が発見されているそうです。このあたりはけの一帯は大昔から人の生活の場でした。現在も住宅地
はけ下をさらに進むと角川大映スタジオの脇を通り、京王相模原線高架下、鶴川街道(都道19号)を横切って
現在地は調布市下石原3丁目あたり
崖の上側にあがりました。このあたり建物の2階くらい、高低差は4~5mでしょうか。
下を流れるのは府中用水水路、これより上流も崖線になんとなく沿って流れています。
すぐ先、崖から下りる道
ここも右側は玉石が積まれてます。
同じ町内、若宮八幡神社を左に崖の上から
道路は若宮八幡通り、崖線部分を切通し気味にして下っています。
神社には近藤勇の名が記された幟がたてられてます。生家の氏神だとか〈詳細は不明〉
坂は下りず右方へはけの上を進むと
崖のきわ(際)に階段。このあたり傾斜が大きいのですね。階段直下はここも府中用水の水路が通ってました。
さらに右方向へ細い道を伝って行くと中央自動車道高架下を横切り
足元は崖線の中腹?、車が1台いる方へ下ってます。(調布市飛田給3丁目)
中央道を潜って少し行くと府中市。この先しばらく名称は『府中崖線』ですね。〈府中市はこの名称にだいぶこだわっているようです〉
白糸台通りとの道路立体交差(府中市白糸台5丁目)
下が白糸台通り、横切る立川崖線(府中崖線)の際がここです。白糸台通りはそのまま掘割になって足元道路と京王線線路を潜り、その先で段丘上に上がります。(段差は5m程度)
そのままはけの際(上側)を700mほど
西武多摩川線線路が横切ります(府中市小柳町2丁目)
線路は前方へ盛り土で続いてますが、目の前コンクリート柵が下へ落ち込んで、ここに崖線が通ってます。
先頭車両前部は小さな橋にかかってその下にある水路は「羽毛下堀用水」、ここにも「羽毛(はけ)」がありました。
さらに行ってはけの中ほどから
こちらは「府中崖線小柳町緑地」という場所から
向こうに見えるのは東郷寺山門。その石垣と山門奥の境内は崖線の上、こちら緑地との間は谷戸が奥へ切れ込んでいるので低くなってます。
東郷寺境内は広々していますが元々は東郷平八郎の別邸で氏が寺院の開基、その墓〈のひとつ〉が境内にあるそうです。
東郷寺前の谷戸を奥(右)に少し入ったところ緩やかな坂道が住宅地のなかにあります。
かなしい坂
坂の右側幟の下に由来の書かれた碑があります。
かなしい坂
この坂の由来は、玉川上水の工事と係わりがあるといわれています。玉川上水は、はじめ府中の八幡下(やわたした)から掘り起こし、滝神社の上から東方へ向かい多磨霊園駅の所を経て神代(じんだい)あたりまで掘削して導水しましたが、この坂あたりで地中に浸透してしまったといわれます。責任を問われて処刑された役人が「かなしい」と嘆いたことからこの名があるといわれます。
この時の堀は、今も「むだ堀」「新堀」「空堀」の名で残っています。
昭和六十年三月 府中市
私見ですが、ここに記された玉川上水掘削コースはかなり怪しいと思ってます。ここを通したとすると水は標高の低いところから高いところへ流れることになります。〈今回は玉川上水の話じゃないのでこれ以上つっこまない〉
とりあえず、かなしい坂は立川崖線(府中崖線)が谷戸の奥に切れ込んだ場所にありますってことで
東郷寺前からはけ下を先へ進みます。
300mほど行って東郷寺の裏あたり、はけ下
勾配10.5%の坂道がはけの上へ続いてます。
上がって少し行きふり返る(府中市清水が丘2丁目)
はけ下の公園から少し上がったところ白っぽい木の後ろに屋根が見えてますが瀧神社(滝神社)、かなしい坂の碑に記されていた神社がここです。
向こうの2階建て建物の屋根が見えるので崖の高低差はこのへん7mくらいでしょうか。場所によってばらつきはありますが次第に高低差も大きくなっているようです。
もう少し行くと東京競馬場の東側に出ます。
競馬場通りの交差点から
正面の建物はJRA東京競馬場日吉体育館〈馬用の体育館⁇〉。
その右側が崖になってますが府中崖線はこの背後にあります。体育館あたりまでを掘り込んで整地した結果あちらに崖が出現したようです。
最初に掲げた地図からはみ出してしまったので今回はここまでとします。
〈地図は差し替え検討中、あまり改善のめどは立たないけど〉