散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

府中用水 その6 妙光院下水系、三ヶ村用水

今回その6は、かつて本流の一部だった妙光院下水系、もうひとつ三ヶ村用水を取り上げました。

地図には写真を撮った位置をマークしています。マップ中のマークアイコンをクリックすると出てくる番号がノート内の写真番号になります。
府中用水その6

 

妙光院下水系(みょうこういんしたすいけい)~第一都市下水路

妙光院下水系という流れは、かつての府中用水本流の名残りと言えます。

JR府中本町駅西側まで流れてきた本流は、かつては線路の東側へ出て、現在の東京競馬場の敷地内を流れていました。駅付近で分流して本流の北側を並行する堀が1つあり、これが妙光院下水系の原型でした。
昔はこの付近で2本の堀が並行していましたが、昭和初期に東京競馬場が建設され、本流側はたぶん埋められて、流れはすべて北側の妙光院下水系へ集められたようです。

水路の変遷を追って行くと、競馬場工事に付随して妙観堀が設置され、そちらへ本流の分水が行われるようになった可能性もあります。

妙光院下水系の名称は、府中本町駅東側からの旧本流について府中市が呼称しているものです。競馬場西側に現在もある寺院、妙光院が由来です。別に”第一都市下水路”の名前もありますが、これは現在の妙光院下水系が雨水の排水路(下水路)の位置づけになっているためです。

府中本町駅西口付近
> 141 (No.113と同じ)

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現在、市川(本流)はこの付近で妙観堀(矢崎都市下水路)と妙光院下水系に分岐しています。灌漑を行う夏にだけ市川(本流)に流されている水もすべて妙観堀へと流れていくため、妙光院下水系には一年中水は流れません。分岐も水の存在も暗渠で見えませんけど。

駅の東側へ移動します。
大國魂神社南側の道、御殿坂を下って行くと競馬場西門交差点の手前で空堀が現れます。
道路を横切る空堀(道路東側を向いて)
> 142

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左側が妙光院、正面右側は安養寺とその墓地です。向こうには競馬場のスタンドがあります。
現在この堀は雨天時に雨水が流れるだけということです。そして開渠になっているのはこの足元から2つの寺院の敷地の先までのわずかな区間です。

前方、暗渠へ落ちるところへまわり込むと、流路は二手に分かれていました。周囲は草だらけで記録には残せていません。

そこから、現在第一都市下水路と呼ばれる暗渠上の歩道、第一都市遊歩道を先へ行きます。
歩道は東京競馬場の敷地の北側、府中崖線(立川崖線)の間を行きます。

第一都市遊歩道
> 143

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右側崖際の建物は「馬霊塔」、大きな馬頭観音や過去に活躍した競走馬の墓標などもありました。

競馬場正門への通路近く
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上を横切っているのが競馬場正門前駅から場内への通路です。通路ではちょうど何かの撮影をやっていて、多くの人が動いていました。

遊歩道上は高い車止めの柵が頻繁にあります。馬が飛びこんでくるのを防いでいます。(嘘

競馬場のスタンドが切れたあたりで暗渠道は南側に折れ、道幅もせまくなります。
> 145

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右側塀の向こうは厩舎です。

しばらく行くと塀に囲まれた道路がこちらに合流してきます。
> 146

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これはかつて競馬場内を流れていた府中用水本流の流路跡でした。かつては支流だった妙光院下水系の流路とここで再び合流していました。
右の看板にも「この場所は用水路敷につき…」とあります。

この先はひとつ前(No.145)のような道がずっと続いています。暗渠である歩道側は下が軟らかかったのか舗装が凸凹になっていて歩きにくかったです。

三ヶ村用水との合流点近く(府中市是政1丁目)
> 147

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正面で交差する道路を三ヶ村用水が横切り、そこへ第一都市下水路(妙光院下水系)が合流しているらしいのですが、正面へも流れが続いているという水路の地図になっています。このあたり、かなりややこしいことになっていそうですが、暗渠のため合流部分の詳細はわかりません。

そして現在、第一都市下水路がまっすぐ向こうへ行く道路の下の水路へ引き継がれているようです。そちらは元々三ヶ村用水の水路でしたが、昭和に入ってその流路下に下水道幹線を整備したことで第一都市下水路の呼称が妙光院下水系の延長として用いられることになったそうです。
この先は単に”第一都市下水路”と呼ぶことにします。また、三ヶ村用水については後述します。

三ヶ村用水と交差した後の第一都市下水路
> 148

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府中市柳町2丁目付近です。

もう少し先へ行くと今度は二ヶ村用水の流れが寄り添ってきます。この付近で合流はしないものの2つの流れが並行します。
二ヶ村用水についても後述します。

並流区間
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こちら車道側が第一都市下水路、右の植え込みと駐車スペースになっている方が二ヶ村用水です。

この道は西武多摩川線線路と交差します。
その線路を越える陸橋から
> 150

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陸橋より東側はかなり幅広いコンクリート蓋がかかっています。車道ではありません。
その右側は中央道の法面です。少しだけ中央道と並行してから交差してその南側へ出て行きます。

交差する手前でも支流を分けているようです。
中央道の下をくぐる地点(北側)
> 151

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水路の上だけフェンスの色が異なります。水路は中央道と斜めに交差しています。

中央道南側へ出て、新小柳橋
> 152

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元々ここにあった橋ですが、暗渠のため水の流れは見えません。橋の欄干なども道路反対側には存在せず、一種モニュメント的に残されているようです。

新小柳橋都道(9号)をくぐると、北多摩一号水再生センターの北側で二ケ村緑道・小柳散歩道暗渠の流れと合流、北多摩一号水再生センターの敷地内を通過して、押立町5丁目の北多摩一号水門で、 下水処理水と一緒に、多摩川へ流れ込みます。

北多摩一号水再生センター付近
> 153

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歩道の下か、フェンスの向こう水再生センター側かを水路は通っているはずです。

北多摩一号水門から
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水門奥に2つのトンネルがあり、第一都市下水路の水は左側から流れ出てきます。出てきたところで水再生センターの処理水と合流しています。

多摩川へ出て行く水
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先ほどの水門の下流側を稲城大橋の上から見たものです。向こうが多摩川、写っているのは下流方向です。

 

三ヶ村用水

三ヶ村とは江戸時代の小田分村、上染屋村、下染屋村(現在の府中市柳町、白糸台などにあたる)で、その地域の田畑へ水を供給するためにつくられた用水路です。

府中用水メンバーのひとつとなっていますが、この用水は現在の府中市是政5丁目にあった”府中町外三ヶ村用水取入口”の水門で多摩川から取水した水が流れる、灌漑用水路でした。

取水口があった位置は南武線多摩川橋梁のすぐ東側、府中多摩川住宅との間あたりだそうです。

かつての三ヶ村用水取水口付近
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横切っているのが南武線、左が多摩川方向です。用水路跡は現在歩道になっていますが、線路を越えた向こうにも続いています。

とりあえずかつての流れと反対方向へ歩いて行きます。
歩道が現在の多摩川堤防とぶつかるあたり
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前方の道路とその向こうが堤防の土手部分で、その先河川敷には郷土の森公園のグラウンドが広がっています。
三ヶ村用水には、現在の中河原公園(府中市住吉町)付近の湧水(多摩川の伏流水か)が郷土の森公園内などを通って流れ込んでいたということで、ここはかつての流路の一部となります。

水はこの背後へ流れて行くので、戻ってそちらへ追いかけて行きます。
旧取水口近くの歩道(是政5丁目)
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歩道下の暗渠は現在雨天時に雨水が流れる程度だそうです。

矢崎都市下水路(旧妙観堀)、二ヶ村用水と交差する極楽橋&矢崎都市下水路スクリーン施設付近
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3つの水路がこの直下で複雑に交差しています。三ヶ村用水は左から右へ横切っています。

東へ進むと少しの間二ヶ村用水と並行していますが、府中街道を横切ると再び離れ、三ヶ村用水は新小金井街道の歩道部分を流れて行きます。
新小金井街道の広い歩道
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ここは水路跡を拡幅した道路と思われます。水路の痕跡には何も気づきませんでした。

新小金井街道が北へ折れて行った100mほど先で水路暗渠の遊歩道が復活します。すぐに中央道の下をくぐって北側へ出て、約500m続きます。

中央道北側、是政図書館横の三ヶ村遊歩道
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遊歩道の終点近く(是政1丁目)
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この先東郷寺下交差点近くで妙光院下水系の水路と交わります。2つの水路が交わる付近にはたくさんの分流が存在していて、かつてこの近辺は広く水田地帯だったと想像されます。

妙光院下水系の水路交差地点
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妙光院下水系の方でも写した交差点です。こちらは正面へ三ヶ村用水、すぐ前の交差点左から妙光院下水系からの水路が来て、右へ行って第一都市下水路となっています。
前方信号が東郷寺下交差点、そこも右への分流、信号の先、坂の手前にも右へ曲がって行く流路がありました。またこの背後にも分流があります。

 

第一都市下水路以外の三ヶ村用水分流について少しだけ取り上げます。

第一都市下水路のすぐ南側の分流
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現在は普通に側溝です。右側小さな畑を隔ててすぐに第一都市下水路暗渠の道、元は三ヶ村用水流路、が少しだけ見えています。

 

次は東郷寺下交差点から南東方向へ広い道路に沿っている結構幅広いコンクリ蓋暗渠です。

車返団地交差点付近
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南白糸台小角交差点付近
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この先で根堀川に合流しているようです。根堀川はその7で紹介できると思います。

 

3つめは現在第一都市下水路流路から途中で分かれ、押立緑道、押立1丁目交差点などを横切って、府中東高校の北側、飛田給緑道を通る流れです。

府中東高校北側にて
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ここも蓋つき側溝です。

飛田給緑道
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緑道の切れるところで次に紹介する堀と合流し、名前も早川となります。

 

4つめは東郷寺下交差点で分流し、第一都市下水路流路のすぐ北側を並進、小柳小学校校庭下を通過して三御殿堀を通り、さらに東進、ゴルフ練習場の西側を南東に下って飛田給緑道から出てきた別の流れと合流します。

小柳小学校校庭あたりから出現した流路
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ただのあぜ道?、いや、途中にはちゃんとマンホールがあります。

三御殿堀緑道入口
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ゴルフ練習場西側は側溝
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この堀は全般に水の流れはありません。時々たまり水があるくらいです。

飛田給緑道の流れと合流すると中央道を南側へ渡ってコンクリ蓋暗渠になります。
早川のコンクリ蓋暗渠
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ちょうどこの足元付近で右後ろから来る二ヶ村用水の暗渠と合流しています。流れは前方に向かっていて、すぐ先に東橋跡の碑が立っていました。

そしてその先で開渠になります。

開渠になった早川
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水面が見えますが、この先ですぐに枯れていました。また長瀞川という小さな川とも合流しますが、そちらにも水はありません。

長瀞川合流後、飛田給小学校南側の通りから
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この早川はこの先凸凹山公園(本名です)で根堀川と合流します。

このほかにも分流、合流、なんだかわからん堀、いっぱいありますがきりがないので今回はここまでとします。

 

次回その7で二ヶ村用水と根堀川をレポートして府中用水にいったん区切りをつけたいと思ってます。