多摩市内、おもにニュータウン地区の住宅地や団地、それに公園や市街地なども結んでいる遊歩道を散歩、徘徊してきました。
車道とは完全に分離され、街の中を網の目のように張り巡らされて、多摩市によればその総延長は41㎞になり、日本一だそうです。Googleマップで見ていたら網の目というより蜘蛛の巣を思い浮かべましたが、それはどうでもいいですね。訪れたのは2021年10月です。
住宅地に隣接する並木道
現在でこそ大きめな都市開発、街づくりでは歩道、公園整備などの事業も充実し、上のような風景はあちらこちらで当たり前に目にするようになりました。
多摩ニュータウンの開発が始まったのは1960年代ですから多摩市のケースはそのプロトタイプ的なものと言えそうです。
大きな道路などは橋を架けて一気に跨ぎます。
あらかじめ車道、歩道間に高低差を設けてあるので行き来はスムーズ〈階段を上り下りする必要はありません〉
大きめの歩道橋を2つほど
さんかく橋
一本杉橋
こちら下は南多摩尾根幹線道路
いずれも歩道用の橋が車道の上を通ってます。
ここは鉄道線路を跨いでその名も
電車見橋
とは言っても↑これだけ高低差があるとそれなりに歩道も坂道になりますけどね。このあたり一帯は結構起伏が多いです。
緑濃い道もあります
こういうところは公園の近くが多いです。
先はたしか、貝取北公園
いくつかの公園には古民家が移築されてました。
鶴牧西公園
こちらは古民家を改装した休憩施設という位置づけ。
近くにもう一軒、こちらは手が込んでる
と思ったら住人がいらっしゃった。〈公園の一部からの絵ということでご容赦〉
鶴牧西公園には以前、多摩市内を流れる乞田(こった)川をさかのぼって〈記憶ちがい〉下って歩いたとき、源流のひとつとなる湧水に立ち寄ったことがありました。いまも古民家休憩施設の近くに細々と水が湧いているのを見ることができました。
こちらは一本杉公園
こっちは公開されてる古民家2棟。
旧加藤家住宅内部座敷
入母屋造り、茅葺き屋根の農家住宅で様式、構造などから18世紀後半の建築と推定されています。(屋根は現在銅板葺き、竹床の座敷は板張りに変わっています。)
近くに『旧有山家住宅』
加藤家住宅と似ていますがやや小ぶり、こちらも現在は茅葺き屋根ではありません。
庭先から望む公園内の池
そしてこちらは多摩中央公園。
これは公園後ろの方から
多摩センター駅や市街地に近く、代表的な公園です。
でもここのシンボル的存在『パルテノン多摩』は長らく工事中です。
お散歩帰りの1枚ですが
公園内の池も現在はすぐ後ろに工事用フェンスで窮屈でした。〈写らないようにして〉
きらめきの池
こちらは『大池』でよいのだろうか?
これはまた別の公園からですが
鶴牧山という名前がついています
芝生で覆われた小山は造成時の残土を積んだもの⁇ 墳丘などではなさそうですが、これ以外にも何か所か見かけました。
そしてここは歩道が広場となり商店街
こちらの遊歩道沿い、古くからある団地内に1階を食品や日用品の個人商店店舗にした建物をよく見かけました。
↑の広場の店舗は頑張ってますが、多くが寂れてしまって営業していません。
ここは建物ごと無人になっているようです。
建て替え対象なのかとも思いますが、1階の店舗が閉店したのはだいぶ前のようです。
徒歩で近所の商店へ買い物に出ていた頃は良かったのでしょうけれど、生活スタイルが変わり今は駐車場を持つ大型スーパー、ショッピングセンターが主流ですから。
そういえばコンビニも歩道沿いにはなく、車の通る道路沿いでしか見かけなかったですね。
そしてもう少し。遊歩道の張り巡らされた地区の隣りになりますが都立桜ヶ丘公園に寄りました。
〈実はこの日最初に訪ねた場所でした〉
桜ヶ丘公園内から
この公園内に『旧多摩聖蹟記念館』の特徴的な建物があります。
周囲が狭くて建物全体を一枚におさめることができません。
正面入口付近
左端の扉が記念館への入口。
正面、テラスから
後方から
建物は円形と思ってましたがオーバル、楕円形でした。
これが何かということですが、建物裏側の解説板から抜粋。〈ちょっと長い〉
多摩市指定有形文化財 旧多摩聖蹟記念館
明治10年代、明治天皇が30才の頃、ここ連光寺の山や多摩川に兎猟(うさぎがり)や鮎漁を行うため、4回ほど訪れました。
時の天皇が行幸された地を「聖蹟(せいせき)」と呼び、全国的に多くの記念碑がみられます。
この記念館は昭和5(1930)年に、明治天皇の偉業を讃えるため、元宮内大臣田中光顕が中心となり、当時の人々による土地の寄付工事の協力などによって建設されました。
「聖蹟桜ヶ丘」という駅名は、この建物の名前をもとにつけられたものです。
この建物を設計した関根要太郎は、20世紀初頭にヨーロッパでおこった建築革新を目指す運動に関心をもった建築家といわれています。大正末期から昭和初期にかけての日本の近代建築は、鉄筋コンクリート構造の急速な普及に加え、外観のデザインとして欧米の古典主義的なものから、モダンデザインのものまで、さまざまな様式の影響を受けた建物がみられます。
この記念館は、オーストリアでおこったセセッションと、ドイツのユーゲントシュテイルと呼ばれる建築デザインの影響をみることができます。数少ない多摩地域の近代洋風建築の中でも完成度が高く、最も優れたものであります。
《後は省略》
昭和61年6月24日指定 多摩市教育委員会
内部には明治天皇騎馬等身の銅像、それと幕末あたりの書画、手紙などが展示されていました。撮影不可
記念館建物前にある『五賢堂』と
聖蹟記念館を離れ、まだ桜ヶ丘公園。
日の当たっていない日時計
本当はここから遊歩道の放浪がはじまったわけですが、一気に最後へ。
最後は多摩センター駅近く。
白山橋歩道橋近く、ハローキティのマンホールがあった
そして駅前
ここまでです。