立会川の暗渠道を離れ、目黒区内の住宅地を南の方向へ歩く。環七通りを越えると大田区に入る。
立会川・内川行程
(その1)はこちらからも。
それでは続き
大田区にはいると傾斜が多くなってくる。傾斜が多いということは坂道がふえるということ。
洗足池公園の北側入口
ここも右側の道路は丸い輪っかの跡がつけてあって急な下り坂。この公園入口から洗足池に向かうには坂を下りていく。洗足池から北側につづく低い場所は清水窪と呼ばれる窪地。
坂を下りると
洗足池、北側から
左側にある建物は洗足池弁財天。
弁天様の近くで、北側から池に流れ込む小さな沢の流れを見つけた。
池に流れ込む沢
これは北側、清水窪あたりの湧水ではないだろうか。ただ、これだけの水量で洗足池の水をすべてまかなっているようには見えないので、まわりにはほかにも湧水などがあると思われる。
一方出ていく水もあり、洗足池の南側に細い流れがある。この流れは「呑川(のみがわ)」に合流していて今回歩いた2つの川とは直接関係していない。
洗足池東側から
池の東側にある勝海舟夫妻の墓
近くにあった解説によると「勝海舟は洗足池やその周辺の風光を愛し、明治32年(1899)没後遺言によりこの地に葬られた。」とのこと。
池上線の超低いガード
洗足池駅のすぐ東側にある。ちなみに駅の横にあるガードはけた下3.1mと表示されていた。次がこのガードでたぶん高さは1.5m弱、その東側では普通に踏切になっている。
次に小池公園へ向かう。
洗足池公園から小池公園へ向かう途中
効率よく近道をしようとすると結構な坂道が待ち構えている。水のたまる池は低いところにあるのだから遠回りになっても川筋、谷筋を通って行くべしという教訓を学んだような気がした。
ほらね、谷底に池がある。
小池公園入口
小池
別角度から
洗足池から直線で500m程度しか離れていないところにやや小ぶりな小池がある。この池は長く釣り堀だったそうだが営業を終了したため大田区が公園として整備した。水は洗足池同様、周囲の湧水からなるそうだ。
この池から出ていく水は洗足池からの水と合流して呑川へ合流する。
歩いている途中で小池から流れ出た水が流れているっぽい小さな谷筋と暗渠を見つけたのだけれど、記録忘れ。
さらに南の方向へ上池台から中馬込と呼ばれるところを歩く。このあたりも意外に傾斜がありいたるところ坂道になっている。
東海道新幹線と横須賀線の上を越える
線路の両側は急勾配の道路で右側の坂には「相生坂」の立て札があった。すぐ向こうは線路を渡るのに階段をのぼる必要があり、その向こうでは線路が高架になり道路が下をくぐっている。
遠くにみえる高層ビル群は武蔵小杉あたりのものでその向こうは丹沢の山々。
この近く北馬込あたりが元々は内川の源流があったところとされているけれど、川の水はこんな丘の高いところには上って来ない。
坂を下って第二京浜(国道1号)、西馬込交差点付近へ出てくる。
第二京浜西馬込近くから
道路の下は都営地下鉄西馬込駅。ここからは地形の凸凹はほとんど目立たない。
ここを過ぎて少し行くと内川の昔の流路を整備した道路がはじまる。
前回のノートにも書いた内川の解説をもう1度
内川
かつては大田区北馬込付近の湧水を水源とした天然の河川であったが、現在源流部に流れはなく、上流部は下水道幹線になっている。JR東海道線線路交差地点から下流が河川として管理され、大森東で東京湾京浜運河に注ぎ込む。現在の全長は1.5kmの二級河川。
内川流路跡の並木道
大田区南馬込4丁目付近。
内川の流路跡が確認できるのはこのあたりからと思っていた。でもストリートビューとマップで追いかけてみたらさらに上流に向かって広い歩道を持つ道路があり、第二京浜の馬込坂下交差点、立正中学・高校脇歩道を通って環七まで続いているじゃないか。事前の調査不足だなあ。(まあ、気にしないことにしよう)
下流に向かって歩く。
並木道は5~600mほど続き、大田中央四郵便局前で途切れる。郵便局脇にはちょっとの区間だけ暗渠道(だいぶ整備はされているが)がある。
暗渠道風
郵便局前を横切る道にちょっと寄り道してみると
20%勾配の急坂
東京の大田区あたりでこれほどの急坂があるとは知らなかった。さすがに20%勾配になると階段がつけられている。もっともこの坂の向こう側は池上本門寺の門前急階段で、この段丘は大昔の海岸直前にあって海に削られたできた急斜面の名残りなのである。
先ほどの暗渠道へはいる
その先で交差している通りの脇に
いにしへの東海道の碑
大森赤十字病院横の池上通りの裏道(現池上通りの旧道)との交差地点。江戸時代の東海道ができる以前、西方(京都など)から鎌倉を経由して奥州方面へ続く古い街道がここを通っていて、新井宿という宿場でもあったらしい。鎌倉街道下道(かまくらかいどうしもつみち)がそれにあたるようだ。右側の碑には「旧新井宿出土橋跡」と刻まれている。内川の流れに橋がかかっていたのだろう。
内川の跡をさらに下る。現在の池上通りとの交差点を越えてすすむと、歩道部分を広くとって植栽のある道路となる。
植栽帯のある歩道
この手の道はかつて傍らの歩道部分が開渠水路だった可能性が高い。この道路はまっすぐに東海道線の線路まで伸びている。
線路に突き当たる
突き当たったところを少し右へ行くと
内川が現れる地点
正面フェンスの下から川が突然顔を現わす。道路の反対側は道路と住宅で川の面影はない、とはいえ長い並木道になっていてここにも昔は水路があった可能性はある。ここで昔は内川の本流と合流していたかもしれない。
フェンス左側に線路の下をくぐる低いガードがあるので通ってみた。
東海道線ガードをくぐる
先ほどの池上線のガードより少し高さはあるけど、1.5m程度しかないので頭をかがめて通る。通っている最中に電車が通過してすごい音、頭のうえ、レールまでは数十センチしかない。右側は川、きゅうくつだし居心地はかなり良くない。
ガードをぬけてから振り返る
いちばん奥に水門(閉まっている)、その手前で4本のレールが影になっている。水は流れていない。
ここまで歩いてきた内川の暗渠は現在下水道幹線という形で流域の下水が流し込まれている。その下水は普段、こちらの開渠区間に出る前に別の下水水路管のほうへ引き込まれて地下を通って下水処理場へと運ばれているので、ここには水が出てこない。大雨などで下水処理能力をオーバーフローしたときだけ、奥の水門から水が流れ出てくるということだ。
同じ地点から下流側
それでも水があるのは、東京湾から海の水がここまで上がってくるためで、実際この場所にいて潮のにおいがしていた。
ここからが現在河川として管理されていて、河口まではあと1.5km。もっとも、江戸時代に内川はこの場所より少し南側を細かく蛇行しながら流れていたそうで、のちに改修されて流れをまっすぐにした川をここに開削したのだそうだ。そのおもな理由が大森の海苔を運ぶ船を内陸まで入れるためということらしい。
大森学園脇の流れ
流れというよりは潮の満ち干なのだが。手前は水の浄化装置らしいが、使われているのかどうかわからない。
古いコンクリート橋を目立つ色にペインティング。渡っているのは旧東海道(江戸時代に整備されたほうね)。
さらに下流へいくと
内川水門がみえてくる
あの向こうは海(京浜運河)だ。ちなみにこちらの水門は平常時は「開」。
水門の下流側から
後ろ、海側は「ふるさとの浜辺公園」。
ふるさとの浜辺公園の人工砂浜
かなたに水平線のみえる海ではないのがちょっとアレですが、まあ。
無事に海まで下ってきました。
この公園は京急線平和島駅から歩いて15分くらい。ビーチは泳ぐことはできないけれどビールは飲めます。意外に穴場かな。