青山通り大山道として赤坂御門(赤坂見附)から歩き出した道、大山も通り過ぎて相模国の西端、かつて関所もあった矢倉沢まで歩いてきました。
前回から少し間が空きましたが、続くその先を歩く機会があったので、忘れないうちに記録しておきます。
矢倉沢往還・矢倉沢から御殿場 足あと
この日は矢倉沢バス停からです。(南足柄市矢倉沢)
この先地蔵堂まで行くバスはハイカーで混み合ってました。箱根金時山に登るのかな?
バス停から、前回訪ねた関所跡へ出ます。
これは関所跡近くから、矢倉沢往還の江戸方向を向いて
前回ここを歩いた時のノートにも書きましたが、矢倉沢は街道の宿場でもあり、旅籠や商家が何軒か立ち並んでいました。
矢倉沢関所跡
右、所縁の方とはいえ現在は私有地の中ですが、関所跡の標柱と石碑が建っています。
付近にある解説の内容は前回ノートの最後の方に記したのでそちらを参照願います。
関所を通過してこの日のスタートです。左の道が古い道で、これを前方に進みます。
先ほどの県道、バス通りを横切り、「足柄古道」の標識に従って細い道に入ります。
矢倉沢集落先の足柄古道
イノシシ除けのゲート
通った後、ちゃんとフックをかけなおしましたという証拠写真にもなってます。
足柄古道から東側、足柄平野、曽我丘陵方面
足柄茶の茶畑、黄色は菜の花です。
いったん県道に出て、「足柄古道入口」バス停付近
左上へあがっていく道が足柄古道になります。
なんとそちらには「通り抜けできません」の看板。え!とか思っても入っちゃいます。
その先で
古道に並行して車道(林道?)があるのですが、その整備工事をしている(いた)ための規制のようです。
すでに工事は完了していて通行に支障はなかったですが、工事期間が年度末までというオチでした。(通りかかったのは3月下旬)
海苔おむすびのような矢倉岳
正面の家が見えているあたりに金太郎生家跡などがあります。
童話でも有名な足柄山の金太郎、坂田金時はここで生まれたのだそうです。
金太郎の生家跡
解説から
金太郎の生家跡
今から約千年前、都から足柄峠を越えて、地蔵堂を通ったお金持ちの旅人がこの地を大変気に入りお供の人達と住み付き、田畑を開墾し、鉄製の農工具を作り村人を指導し村を潤し、里の人達から四万長者と呼ばれて慕われました。
長者には、八重桐という大変美しい娘がいて、酒田村の郷士に嫁ぎましたが一族の争いで亡くなってしまったので実家に帰り、まるまると太った元気な子供を産みました。子供は男の子で、夕日の滝で産湯を使い金太郎と名付けられました。この地は金太郎が産まれた四万長者の屋敷跡と伝わっています。 ※諸説があります。
南足柄市
生家跡と道をはさんで
金太郎の遊び石(たいこ石、かぶと石)
田んぼの中にある大きな石です。
「幼い金太郎がよじ登ったりして遊んだと云われ伝説とともに大切に残されています」とのこと。さすがに投げたり転がしたりでは大げさすぎますね。
近くを川が流れ、上流に夕日の滝があります。
遊び石はその川の土石流で流されここに残ったもので、箱根火山起源の凝灰岩である、とは箱根ジオパークによる解説でした。
足柄古道経由では、ここから少し山を下る形で地蔵堂へ出ます。
地蔵堂駐車場付近を上から
バスは県道の新しい道を上ってきてここまで来ています。
まわりは桜の木ですが、まだつぼみでした。
地蔵堂の後ろ側から出てきます
正面にまわって。
何度も書いてますがこれが”地蔵堂”
「昔はここに誓広寺という寺院があり、その地蔵堂だけが残ったと伝わります。」だそうです。本尊の地蔵菩薩は非公開のため拝観はできません、となっていました。
地蔵堂から歩行者は足柄古道というより、県道の旧道へ誘導されます。
旧道から
下は現・県道、そちらにも歩道はあります。
しばらく旧道を上っていくと新道と合流しますが、そこから先、古道、あるいは登山道?、といった未舗装の細い山道が残っているのでそちらを歩いて行きます。
未舗装の足柄古道入口
ここには大きな石碑もありました。(右側)
細い山道は何回も県道を横断し、また山の中へはいっていきますが、古い道の出入口には必ず「足柄古道」と書かれた標識が出ているので迷うことはありません。
山道の途中から見えた矢倉岳
この背後に塚のような場所があり、その上に「源頼光の腰掛石」という大きな石、その近くに「金太郎の金ぶた石」という大きな石が地中から顔を出していたりするのですが、解説板の文字が判読できず、由来はわからないままです。
道の途中は石畳になっているところもあります
石畳といっても石の下にセメントを敷いてました。さほど古いものではなさそうです。
もうすぐ足柄峠というところ
右へ行くと足柄明神社、940(天慶3)年の創建とされ、めぐりめぐって現在は足柄神社となっているそうです。元の場所には現在小さな祠があるとのことです。
足柄神社は前回、関本宿から矢倉沢へ向かう途中で前を通過しました。
この標識を左へ向かうと、ほどなく足柄峠に到着します。
足柄峠、新道の広い道に出るところ
右側が新道の舗装路、そこに出る直前に大きな解説板が建っていました。
足柄道
足柄道は、今から約1200年前の奈良、平安時代の官道で、西の都から静岡へ、さらに、御殿場からこの地(足柄峠)を越えて坂本(関本)をとおり小総(おぶさ 国府津)から箕輪(みのわ 伊勢原)、武蔵へと続いていました。802年に富士山が噴火して足柄道が埋ってしまった時は、御殿場から箱根へ出て碓氷峠から明神を越えて、関本に下る碓氷道が利用されたこともありますが、古代の官道はほとんど足柄道であったのです。その後、今の東海道が主流となり足柄道の往来も少なくなりました。
南足柄は都から関東に入る玄関口であったわけで、中央の文化の一番早く伝えられる所でもあったといえます。
右にぶらさがっているのは倭建命(やまとたけるのみこと・日本武尊)の「吾妻はや」伝承に関するもの。
左は「足柄峠主要史」として、峠を通過していった有名人一覧、西暦113年倭建命から1590年の徳川家康までです。
足柄之関跡
ここには平安時代頃には関所があったそうです。
古代の足柄の関
足柄の関は昌泰二年(八九九)、足柄坂に出没する強盗団、僦馬の党を取り締まるために設けられた。関の通行には相模国の国司の発行する通所(通行手形)が必要だった。
<以下略>
関所跡近くには”首供養塚”。凶悪な盗賊、関所破りを処刑し、さらし首とした場所に供養塔を建てたとの説明がありました。そして”一里塚の跡”なども。
県道の広い道をはさんで反対側には
足柄山聖天堂
本尊は大聖歓喜双身天で秘仏。こちらは日本三大聖天尊の一つだそうで、なんでも願いを叶えてくれるのだとか。
私、ここではちょっと謙虚に過ぎたようです。
金太郎もいました
聖天堂の後ろにある足柄城跡へ寄りました。
また少しだけ山道を歩きます
あづまはや橋という歩道橋を渡って城跡に出ます。
橋の上から金時山、下に石碑が建っているところは「新羅三郎義光吹笙之石」
金時山は箱根外輪山のひとつ。
新羅三郎義光は後三年の役に際して奥州に向かう(1087年、寛治元年)際にここで露営、この石の上に座って豊原時秋に笙の奥義を伝えたという伝説が残る石だそうです。
結構いろんなものをてんこ盛りの足柄峠です。少し面倒くさくなってきました。足柄城跡からはもっと分かりやすいものが見えるので、そちらを
足柄峠の富士山
そしてこの日の目的地、御殿場はこの方向でしょうか
景色が良いので、風が冷たいけれど、ここでいったん休憩とします。
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