2020年11月、江戸川を歩きました。
スタートは江戸川放水路河口(市川市上妙典)、川の左岸、千葉県側を遡って今回の到達地点は流山市流山、埼玉県三郷市との間を結ぶ流山橋までです。
江戸川は2年前に旧江戸川河口近くから江戸川(放水路)分派点へ、さらに江戸川右岸側を遡って流山橋まで歩きました。その時は流山橋を渡って左岸側へ移り、さらに野田市内まで歩いてます。
今回はずっと左岸側を遡り、2年前歩いた跡との合流点となる流山橋を目指します。
江戸川放水路河口へはまず最寄りの二俣新町駅からアプローチします。
江戸川放水路というのは、元の江戸川流路途中から新しい流路を分岐して開削し、つくられた人工的な水路です。1919年の竣工、東京湾とつながっているので河口があります。
現在は元々の江戸川下流部が旧江戸川、江戸川放水路側は江戸川(本流)と定義しなおされ、江戸川放水路の呼び方はなくなりましたが、ここでは旧江戸川との区別を明確にしたいときに使用します。
河口最寄りの二俣新町駅
JR京葉線の駅、今回はじめて降りました。周辺は工場や倉庫ばかりで人家は見えません。東関道と湾岸道路がすぐ近くを通りますが、駅前はコンビニ1軒のみと意外に淋しいところです。
駅前から西へ出ると、江戸川の前に真間川(ままがわ)を渡ります。
真間川水門とその河口付近
駅から1.5kmほど歩いて、江戸川の土手が見えてきます。
上がったところが江戸川河口
沖側の埋立地方向
内陸方向
手前トラス橋はJR京葉線、湾岸道路(市川大橋)や首都高は橋脚しか見えません。
ずばり「河口」の標識は見えなかったのですが、前方の橋手前に「海から0.25km」の標示があったので、土手に上がった地点がほぼ河口です。
「海から0.25km」地点から河口方向
河口から遥か上流まで立派な自転車道兼歩道が続いて、言う事なしです。
湾岸道路下り線の市川大橋
河口近くにある一群の橋を越え、上流側へ出たところです。
個人的にすごく気になったのが対岸の『丘』、森のようになったところです。
地図から標高を調べるといちばん高いところで30mもあり、旧海岸線、埋立地といった領域に不自然です。来歴を調べると塩田、水田で天然の残丘などではなさそう、江戸川放水路の開削時に掘った土を積んだのでしょうか?
気になるぞ、この丘
《追記》 気になっていた『丘』ですが、オヤコフンさんから「廃棄物では」「20年くらい前は土をかぶっていない姿が京葉線からも見えていたよう」とのコメントを頂きました。
自分も空中写真閲覧サービスで確認したところ、1970年くらいまで塩田、その後埋められて更地となり、80年代から土砂のようなものが運び込まれるようになってしだいに山の標高を上げていった事がわかりました。
土砂はあるいは最終処理済みの灰、無機物かもしれません。それにしても20年程度で自然の森のように変化できるのですね。
コメント頂いた(id:massneko)オヤコフンさん、どうもありがとうございました。
とりあえず、すっきりしたので先へすすみます。
河原へ出てみました
このあたりはまだ海の潮が入って来る「感潮域」です。
手前に見える橋は妙典(みょうでん)橋。開通は2019年、最近できた橋です。
その向こうに見えるアーチは水道管が通っている水管橋です。
水管橋近くから東西線橋梁と
川に浮いているのは釣り用ボートでしょうか。
堤防にあがって、次の橋など
新行徳橋
それにしてもこのあたり、係留されてるボートが多いですね。ハゼ釣りするのかな?〈釣りには疎いので…〉
新行徳橋間近から下流側
いくつもの橋が重なって見えました。
新行徳橋のすぐ上流側には行徳橋があるのですが
こんな姿になってます
向こう岸へジャンプの一方通行。
実は2020年3月、すぐ上流側に新しい行徳橋が架けられました。
行徳橋は放水路完成翌年(1920年)に木橋が架けられました。1956(昭和31)年、現在撤去工事中の橋に架け替えられたとき、行徳可動堰を背負った一体構造の堰管理橋となりました。
現在、旧橋撤去工事中で可動堰がいつまで残るのか不明ですが、新しくできた行徳橋との間に姿を見ることができます。
写す人のちょい手抜きで一番端のゲートしか見えてませんが
新旧行徳橋と行徳可動堰
左の旧橋と橋脚などが一体となっています。右側新橋との間も管理用通路が設けられているのですぐには撤去されないのかな?
新しい可動堰をやや上流側に新設の予定だそうで、それまではこちらを使うようです。
この行徳可動堰は、やや上流で分派(分流)している旧江戸川との水位調整(旧江戸川側にも堰がある)、流量増加時に放水路側へ多くの水を流す、減少時に堰を閉じて江戸川の水位を保つ、などのほか、東京湾からの潮水をこの上流側へ流さない(上流の金町浄水場で取水される水に塩分が含まれないように)、といった役目があるそうです。
行徳橋から4~500mさかのぼると旧江戸川との分派(分流)点です。
放水路側から分派点付近
遠くて分かりにくいですが、右側、中洲のようになった部分が途切れて、そこで流れが2つに分かれます。
突端部分、別位置から
向こう側がオリジナルの江戸川(現在は旧江戸川)、こちら側左へ江戸川(かつては江戸川放水路)。これより上流は『江戸川』、です。
また、ここから対岸が東京都になります。(こちら側は千葉県市川市。)
このへん川に生息してるのはプレジャーボートがメインです。
京葉道路の上流側では都営地下鉄新宿線が江戸川を渡ってますが、地下なので地上から確認できません。省略。
海から11.00km標識(市川市大洲)
距離は旧江戸川河口からのものです。放水路はもっと短く、そちらの河口からだとまだ5㎞くらいです。
旧江戸川と分かれる前は河川敷、川幅もより広いです。
背後は市川の市街地に差し掛かってきましたが、川方向はさほど変化ありません。
市川市市川南付近から
京葉道路から久しぶりの橋です。でもこの先いくつかかたまってます。
川原へおりて
左は総武線橋梁、右は国道14号(千葉街道)市川橋
国道の橋は工事中でしょうか。こちら市川橋は1905(明治38)年、江戸川で最初に架けられた橋だそうで、当時は江戸川橋と呼ばれていました。現在の橋は1963(昭和38)年~1967(昭和42)年にかけて開通したものです。
その上流側は京成線江戸川橋梁
そこを越えると間近に段丘がせまってきます。
右側の林に覆われた小高いところ。
国府台(こうのだい)と呼ばれる下総台地の南西端で、かつては下総国の国府がおかれた場所です。
国府台の西側にはいわゆる東京低地が東京山の手の台地手前まで続きます。
一旦ここで休憩です。その2へ続きます。
足あと地図
続き