江戸時代中期に整備され、(現水元公園)小合溜井から引かれた上下之割用水、そこから分水された小岩用水、中井堀、東井堀、西井堀の主要水路跡を歩きました。
その用水路流末部には昭和に入って、江戸川から導水された用水路が開かれ、一部は接続されました。江戸川用水です。
江戸川用水が農業用水として利用された期間は短かかったのですが、水路跡の一部は現在親水緑道となっています。
今回は江戸川用水および小岩用水、東井堀からさらに分けられた水路跡の緑道についていくつかピックアップしました。
単純に自分への備忘の記録ではあります。
江戸川用水
上下之割用水の流末地域から葛西地区にかけて、用水不足による旱害(かんがい)および塩害を救うため、昭和23年、東京都は23万円の調査費を投入して実態調査を行った。その結果、塩水を含まない江戸川の水を取る用水路の新設が決定、北篠崎の興農と南篠崎の本郷に取水口を設け、興農幹線水路(2061m)と本郷幹線水路(1692m)を引いて鹿骨の竜堀に連結、合同幹線水路としてさらに南流し、放水路(現・新中川)をくぐり、新川を渡って葛西に至る(合同幹水路の延長7746m)江戸川用水が計画された。昭和25年から東京都江東三区土地改良事務所の手により本格的に着工され、昭和28年には144mのサイフォン管で放水路の川底をくぐり抜け、昭和35年には長島川との合流点に堰が設けられ、昭和42年3月全線の完成をみた。この工事でつぶされた土地は約5.8ヘクタール、受益面積は408ヘクタール、事業費は3億7800万円にのぼった。
完工後、江戸川用水は江戸川土地改良区の手で維持管理されてきたが、昭和47年3月31日区へ移管され現在に至っている。
江戸川区史第二巻12から抜粋
水路跡地図(マップ使いまわしなので拡大しないと分からない…umm...)
はじめは上記江戸川区史内にあらわれる江戸川用水水路跡から
◆本郷用水親水緑道
江戸川用水本郷幹線水路(1692m)の跡で、親水緑道の延長は1580mです。
親水緑道起点は江戸川区篠崎町、京葉道路江戸川大橋北側150mほどの江戸川堤、ほぼ西へのび、鹿骨2丁目で鹿骨親水緑道と合流して終わります。
歩いた方向が江戸川へ向かってなので起点終点が逆になります。
この背後に鹿骨親水緑道が通っています。
篠崎公園内を通過(篠崎町8丁目)
並行する一般道とともにそのままほぼ直進し、江戸川に。
江戸川堤防の西側
正面小高くなっているのが江戸川の堤防です。
かつては取水口があってこちらに水が出てきていたのでしょう。現在も江戸川河川敷に設備があります。
◆興農用水親水緑道
江戸川用水興農幹線水路(2061m)跡、親水緑道延長は820mです。
興農幹線水路起点は北篠崎1丁目の江戸川、本郷用水の取水口より2㎞ほど上流に位置します。親水緑道も江戸川堤防からはじまっています。ほぼ南西にのび、親水緑道は鹿骨4丁目で鹿骨親水緑道に合流して終わります。
元の水路はさらに長いですが、鹿骨親水緑道に入った先もカウントしているようにみえます。
こちらも歩いた方向が江戸川に向かってです。
手前道路の後ろ側が鹿骨親水緑道です。
柴又街道交差地点付近(鹿骨3丁目)
その先(北篠崎1丁目)
江戸川堤防手前
正面が堤防。
堤防上から江戸川
江戸川はちょうど海から12㎞地点、河川敷へのびる水色の通路先は興農用水の設備らしき水門です。
◆鹿骨親水緑道
江戸川用水興農幹線水路(2061m)の一部、興農親水緑道の下流側にあたり、そのほか鹿本親水緑道、本郷親水緑道、流堀(竜堀)親水はなのみちにあたる各用水路と連絡していた水路の一部です。
親水緑道の延長は1290m、起点は鹿骨4丁目、鹿本親水緑道と興農親水緑道が交わる地点、そこから南に延びて途中、流堀(竜堀)を分け、本郷用水親水緑道と合流して、鹿骨2丁目、東井堀との交差地点まで続きます。
東井堀との交差地点・鹿骨親水緑道の終点
背後が東井堀跡の鹿本通り、江戸川用水路開削によりここを2つの水路が交差していたようです。
小屋はポンプ室でトイレではありません。(前にも同じ事どこかに書いた)
本郷用水親水緑道との合流点(鹿骨2丁目)
左向こうから右手前へ鹿骨親水緑道、正面から本郷用水親水緑道(木の枝がかぶってわかりにくい)。
流堀親水はなのみち分岐地点
手前、鹿骨親水緑道ということで親子鹿の像が置かれてました。
正面は分岐した水路跡、流堀はなのみちの起点です。
右ビルの後ろから興農親水緑道、正面少し先で左から鹿本親水緑道がこの緑道の筋(通り)へ入ってきます。
この緑道筋は小岩用水の流路をそのまま延長した先にあたります。元々は小岩用水の堀が通っていたところを利用して江戸川用水の水路にしたのではと推測しています。
◆流堀(りゅうぼり)親水はなのみち
上記江戸川区史では「竜堀」と記されている水路です。親水緑道化され「流堀親水はなのみち」の名称になりました。
区の説明で、流堀(竜堀)は江戸川用水と東井堀を結ぶ水路として設けられたとあります。
親水緑道は鹿骨2丁目で鹿骨親水緑道の水路から分岐、鹿本通りとなっている東井堀跡まで延長は420mです。
起点は親子鹿の像があった場所、そこから南方向へ下ります。
起点から100mほど下って(鹿骨1丁目)
歩道内のせせらぎ
鹿本通り(東井堀跡)との交差地点付近
背後は鹿本通りです。
ここで交差して流堀が先へ延び、新中川をはさんで対岸の一之江境川へ接続されていたのでは、と見える地図(昭和40年頃)もありますが、詳細は未調査です。
◆鹿本親水緑道
こちらは東井堀から分水、興農幹線水路へ合流していた水路跡です。
東井堀の整備は江戸時代ですが、こちらの水路が造られた時期は不明です。同時期整備の小岩用水末流部へ加水していた水路と勝手に推測しています。
鹿本親水緑道起点付近(鹿骨5丁目)
向こうの道路が鹿本通り(東井堀跡)、右からきた東井堀の流れがこちらへ分岐していました。
鹿本親水緑道延長は750m、細めのせせらぎに細めの道路。
住宅地内を流れています
鹿骨4丁目で鹿本親水緑道は終点、水の流れ的には鹿骨親水緑道の通りへ出てそこで東側から興農親水緑道と合流、鹿骨親水緑道として流れていきます。
◆篠田堀親水緑道
篠田堀は江戸川用水本郷幹線水路の取水口近くで取水していた用水路ですが、江戸川用水整備以前から堀は存在していたようで、成立の由来は調べきれていません。
農業用水として利用されていましたが、周辺の宅地化、工業化で廃止。現在は親水緑道として再整備され桜の木が多く植えられています。緑道の水は江戸川から取水し、旧江戸川へ放出しています。
江戸川分岐点と篠崎ポニーランド
篠田堀取水地点付近の江戸川堤防から。
乗馬体験のできるポニーランド(江戸川区管理)、その向こうは江戸川と旧江戸川(右へ)が分かれていくところです。(旧江戸川が昔からの江戸川の流れ、その向こうは人工的にひらいた放水路)
この後ろ側、現在は流路跡に江戸川区の施設建物(子ども未来館)が建っています。その先一般道を少し進みます。
このへんが最初の痕跡でしょうか(篠崎町3丁目)
親水緑道のはじまり
篠田堀親水緑道延長は1600mあります。
風景が街に溶け込んでいます
王子マテリア工場横を流れます
右側が工場、旧本州製紙江戸川工場。
このあたり桜並木が続きます。
流末近く
この親水緑道は循環水ではなく、江戸川から取水しているためか、他の堀よりも水量が多いようです。
この水はこの背後で東井堀を下ってきた水といっしょに旧江戸川へ排水されます。
東井堀側の様子は以前のこちら
東井堀跡を歩く 旧江戸川から葛飾高砂へさかのぼる - 散歩の途中
◆下小岩親水緑道
こちらは江戸川用水とは無関係の堀跡となりますが、取り上げてなかったので。
東井堀をさかのぼり、南小岩、千葉街道の北側に下小岩親水緑道があります。
鹿本通り(東井堀跡)、千葉街道二枚橋交差点北側から(南小岩5丁目)
東井堀跡を歩いたときの再掲です。
堀跡をまたぐ形で下小岩親水緑道が交差しています。これは西側、新中川の堤防方向へ流路が伸びてます。
同じく東側の様子
東側に入って行くと
向こう歩道が緑道の続き、水の流れはこのへんは見えません。
小岩周辺は太平洋戦争時、空襲による焼失を免れ、古い家屋が今でも残っています。
最初の位置から1ブロックずれたところを通る親水歩道
推測ですが、下小岩親水緑道は2本の水路跡を利用してひとつの緑道にしたようにみえます。なので緑道が途中で1ブロックずれているのでしょう。
上の歩道を先へ行くと
小岩フラワーロード商店街を交差
その先も親水緑道が続きますが、小岩中央通り(小岩用水跡)手前で一般道と合わさって水の流れは見えなくなります。
その場所ではかつて小岩用水と現在下小岩親水緑道となっている水路の交差がありましたが、どのように交差していたのかは不明です。
緑道の途中から
江戸川区は下小岩親水緑道の延長は950mとしていますが、実感はもう少し短いです。
今回、中井堀、上下之割用水からはじめた一連の徘徊で、足を踏み入れた水路跡は以上です。
水路(跡)はこのほかにもたくさんあり、親水緑道化されている場所もまだいくつもあります。
また、新中川と荒川に挟まれた葛西、小松川地区では2019年はじめに同じような用水路、川あるきをしました。
とりあえず、ここまでで江戸川区、葛飾区あたりの水路、川あるきはいったん区切りをつけることにします。またすぐ明日あたり歩くかもしれませんが。