散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べてから書くノート

小岩用水跡を歩く 南小岩から金町の大堰枠へさかのぼる

葛飾水元公園の小合溜井を水源とし、江戸時代に整備された灌漑、農業用水路をいくつか歩きました。今回は小岩用水です。

小岩用水は上下之割用水を大堰枠(おおぜきわく:葛飾区金町4丁目付近、現在は道路になり大堰枠交差点)で分水し、新宿(にいじゅく)、高砂、鎌倉、小岩などを経由し、現在の南小岩付近までのびていたことは確認できますが、その南、鹿骨あたりからの流路は不明瞭です。
あちこちで水を分けて毛細血管のような水路、水量も末端では十分行き届かず、という状態だったようです。
下記地図の小岩用水路は南小岩付近までの流路を記載しました。

上下之割用水から分岐する水路跡地図、小岩用水はいちばん右側を下る黄色のライン

小岩用水もさかのぼって歩くのですが、上記理由でスタート地点の選択を迷います。

小岩用水跡遡上はこんなところから(江戸川区南小岩2丁目)

f:id:miwa3k:20200115161021j:plain

右、歩道だけ写っているのが小岩用水の流路に沿った道路です。昔の地図や航空写真ではこの付近までくると水路ははっきりしませんが、道は明治期から存在していました。
南方向へ下ると江戸川用水の堀跡へと接続しており、小岩用水の堀も古い時代にはそちら方面へのびていた可能性が大です。

左の細い道、これも水路跡です。ここで水路が合流か交差していたようです。

ここから右の道を北(小岩用水上流)方向へ進みます。この付近、用水跡は現在一般道路です。

 

千葉街道を越えると下小岩親水緑道が横切ります。
緑道側もかつての水路跡、小岩用水を分水した水路のひとつだと思われます。

下小岩親水緑道付近の小岩用水跡

f:id:miwa3k:20200115161029j:plain

小岩用水跡の道路は”小岩中央通り”の名称になり、この先でJR総武線小岩駅近くを通過します。

 

小岩ベニスマーケット
上記写真の前方からJR小岩駅付近にかけて戦後混乱期1946(昭和21)年、小岩用水の流れに杭をうちその上に床板を貼った、いわば水上バラックの長屋が作られ、マーケット(闇市)がひらかれました。小岩ベニスマーケットと呼ばれ、長さは用水上の300mに及び、昭和27年時点で189戸が店を並べたということです。
その後水面の使用許可が取り消され、昭和37年までに完全撤去されています。
現在その面影、痕跡はありません。

 

さらに蔵前橋通りを交差した先、水路跡がここにもありました(江戸川区西小岩5丁目)

小さな水路跡の歩道と交差

f:id:miwa3k:20200115161038j:plain

 

その先(北方向)で小岩用水跡は葛飾区に入ります。

鎌倉かなえ通りと名称を変えた小岩用水跡(葛飾区鎌倉1丁目)

f:id:miwa3k:20200115161047j:plain

 

そのまま鎌倉かなえ通りを先に進むと京成本線線路に突き当たります。

線路手前の水路跡にひとつのオブジェと小岩用水の案内があります。

f:id:miwa3k:20200115161056j:plain

(ごみ散乱のためぼかしをいれました。)

 

案内に寄って

f:id:miwa3k:20200115161105j:plain

小岩用水の沿革
小岩用水は、小合溜井(現在の水元公園)を用水源とする上下之割用水の主要分水路です。江戸時代中期の享保14年(1729)、8代将軍徳川吉宗の幕府勘定方であった井沢弥惣兵衛は利根川の旧河道を締め切って小合溜井を設け、中川・上下之割用水を整備しました。
上下之割用水は東葛西領50余村を潤す灌漑用水で、岩槻橋を経て大堰枠で小岩用水を、新宿村と曲金村境付近で東井堀、さらに細田村と奥戸新田付近で西井堀と中井堀を分流しています。
小岩用水は下之割と呼ばれた現在の江戸川区方面への主要用水路でした。
当時の葛西領は上下之割用水と西の葛西用水の2大用水の本・支流が縦横無尽に走る水田地帯で、葛西3万石の米どころとなっていました。また畑地では小松菜などの野菜が作られ、大消費地江戸を支える農村地帯として重要な役割を担っていました。
近代に入って都市化の進行とともにこれらの用水路は次第にその役割を減じ、戦後は工場や家庭からの排水が流れ込む排水路となっていきました。昭和39年(1964)4月、葛飾区へ移管され、その後下水道の完備とともに緑道として整備されて現在に至っています。
平成8年2月 葛飾

 

京成本線の先へ出ると歩道幅の広い道になります。

北総線高架手前(葛飾区鎌倉3丁目)

f:id:miwa3k:20200115161118j:plain

 

向こう側にぬけるとコンクリート蓋をかぶせた暗渠となります。

暗渠業界、蓋暗渠部門では相当大物といえる物件です。<なんだそりゃ

暗渠と両側車道を含めかなり幅の広い道路

f:id:miwa3k:20200115161126j:plain

 

桜二橋(さくらにはし)の橋跡

f:id:miwa3k:20200115161136j:plain

なぜか両側とも少し外側へ傾けた欄干が残っています。

橋は「昭和四十三年九月完成」(昭和43=1968年)と刻まれていました。
この付近航空写真で確認すると1979年では開渠、84年は蓋がけされていました。橋として利用された期間はあまり長くなかったようです。

 

暗渠蓋は京成ドライビングスクールと京成線車両基地高砂検車区)の間を通り、京成金町線線路まで続きます。

京成金町線線路手前

f:id:miwa3k:20200115161144j:plain

 

線路を越えた先から振り返って

f:id:miwa3k:20200115161157j:plain

 

この上流側(背後)はまた一般道路に変わります。

小岩用水跡の道路

f:id:miwa3k:20200115161206j:plain

左ではなく、正面道路が水路跡です。

 

そちらを先へ歩くと(葛飾区柴又1丁目)

f:id:miwa3k:20200115161215j:plain

古い店舗跡も良いですが、横断歩道手前車止めに「すみよしはし」。もはや痕跡はないですが、ここを横切る道路に橋があった証拠です。

 

さらに先へ行くと一時的に道路幅が狭まりますが、緑道が現れます。

小岩用水跡(葛飾区新宿3丁目付近)

f:id:miwa3k:20200115161222j:plain

左端に「新宿三丁目」とありますが、こちらの「新宿」は”にいじゅく”と読みます。

 

再び広い道路へ出たところには
ちょうじろうばし

f:id:miwa3k:20200115161230j:plain

「長次郎橋」と書くようです。左へ伸びる道路に架かっていた橋でした。ちょうど足元が橋の上です。

広い道路の方が水路跡、そちらへ緑道が続きます。

 

小岩用水緑道

f:id:miwa3k:20200115161237j:plain

 

水戸街道を渡るとそこからは並木道

f:id:miwa3k:20200115161245j:plain

 

そして大堰枠交差点へ

f:id:miwa3k:20200115161253j:plain

前方交差点が上下之割用水と小岩用水の分岐点になります。

 

大堰枠交差点反対側から

f:id:miwa3k:20191230152442j:plain

上下之割用水跡を歩いたときの再掲。
左へ折れていく道路が小岩用水跡、ここが小岩用水の起点です。

中井堀・上下之割用水を遡り小合溜井へ歩く - 散歩の途中