散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

多摩丘陵尾根緑道から境川に沿って町田へ歩く

炎天下、猛暑に歩くには木陰、日かげの多いところと選んだコースは、NHKブラタモリ町田編のロケ地といくつか重なりました。(コース計画は放送前、実際歩いたのは放送後となりました)
そのあたり意識しつつスタート。

暑い日には丘陵の尾根から川の流れる低い場所へ下りながら歩くほうが楽だろうと計算し、JR横浜線橋本駅から歩きはじめたものの駅は丘陵の上にあるわけはなく
まず丘陵に上がらなければならないということをさっぱり考えてなかった。

階段出現

町田街道を横切ったあたりからじわじわと上り、ついに階段というところ。
別に脇のバス通りでトンネルを越えていけば少し楽、バスを使えばもっと楽ではあります(笑)
でも曇りがちでそんなには暑くないからそんなに苦じゃない。

 

階段を上がり三ツ目山公園(町田市小山が丘)

公園ですがここから見えてるのは雨水調整池と兼用ですね。
さらに左側へもう少し(建物の高さよりは低い)上がります。

 

尾根まであがると緑道があります。

 

見にくいけど〈クリックで拡大します〉

案内図 現在位置は八王子市鑓水、多摩美術大学の近くです。

尾根に沿って町田市と八王子市の境界がのびています。

ブラタモリの放送で古代の相模川跡というところでロケをしていましたがさらに奥、国道16号の先(案内図右端)だと思います。今回そこへは行ってません。

案内の左へ向かって端へ、その先もさらに歩きます。

 

こちら緑道はだいたい同じ風景

 

頭を出してるのは?

 

給水塔(鑓水小山給水所)でした。

 

この背後は小山内裏(おやまだいり)公園。

基本的に園内緑道の様子は同じ

ただ、道幅が広いのと異様に蛇行している(川じゃないのに)という特徴あり。

 

その理由がこれ

「戦車道路」の由来
町田市と八王子市のほぼ境界を走るこの尾根の道は、以前は「戦車道路」と呼ばれていました。
それは、この道が第二次世界大戦の末期に、相模原陸軍造兵廠(現在の在日米軍相模原補給廠)で製造・組立てられていた戦車の性能テストと操縦訓練用の道路として造られたからです。
戦後しばらくは、防衛庁が管理していましたが、多摩ニュータウンの整備のため、土砂の運搬道路として舗装され現在に至っています。

道が蛇行しているのは尾根の形にも依存してますが。

後方、フェンスの向こう、いくつかの谷戸サンクチュアリとして保護されています。

 

時々展望のひらけるポイントがあります。相模原市方面がおもに望めます。
橋本市街地から奥は雲のかかる丹沢の山など

 

角度変わって相模原市街地方向、手前には『在日米軍相模原補給廠』が広がってます。

 

ここへは何回か来てます

6年前の夏、この公園はPokémon GOで驚くほどたくさんの人が集まってました。〈以前にもそのことちょっと書きました〉

 

このような解説も

かわら尾根と旧津島神社
この北側には、古くから「かわら尾根」と呼ばれている場所があります。発掘調査の結果、4基の瓦窯跡(かわらかまあと)が発見され、ここで作られた瓦は相模国海老名の国分寺国分尼寺に使われていたことがわかりました。しかし、同じ多摩丘陵のある近隣の窯では、武蔵国府中の国分寺で使われた瓦を作っており、相武両国の境界がどこにあったのか考える資料のひとつとされています。
江戸時代の安永年間に建てられた旧津島神社(つちま様)は、この北側の小高い場所にありましたが、公園の整備に伴い、現在は札次神社(町田市小山町2554番地)に合祀されています。

このへんでもブラタモリのロケで瓦をとりあげてました。そして伝家宝刀《特別の許可》でフェンスの後ろ、サンクチュアリの斜面に入ってました。

古い窯跡についてはここより西方にある御殿峠の南側などでも複数見つかっていて、このあたり一帯、古代には丘陵地の両側斜面は焼物が盛んに行われていた事がわかっています。

自分の勝手な憶測ですが、以前その御殿峠近くの山の中を歩いていたときに古道のような痕跡を見たことがあります。古代から周辺の産品を運んだ道が通じていたのかななどと思いました。

 

こちらは小山内裏公園

 

時々相模原方面側に展望がひらけ

真下を通る道路は尾根下をトンネルでぬけていきます。

 

上は特に変化なし

 

ですが、そのうち公園の端に

これより先も『尾根緑道』が続きます。ただし片側(あるいは両側)に一般道を伴った道に変わります。

 

けやき並木

並木道を下ったあたり、交差する道がありますがそこはかつて相模原陸軍造兵廠からの連絡道、戦車の出入りにも使われていたのでしょう。

 

途中、再整備工事中の区間もありますが緑道は続きます。

町田市常盤町あたり

 

珍しく尾根北側(西?)がひらけた『展望広場』から

北側は基本、多摩丘陵が続くのでそれほど高低差が実感できず、あまり良い眺めにはならないのかと。
だいたい正面前方からこちらへ向かって歩いてきました。

 

そしてほどなく尾根緑道の終点(町田市下小山田町)

 

横断歩道の先からふり返り

 

ここから一般道で境川へ下ります。

気がつくと雲がきれて良い天気に。
このあたりは日差しをさえぎるものが少ないのです。よりによってここで天気変わるか...
両国橋上から

武蔵国相模国の境、境川、両国橋。
この川が現在も東京都町田市と神奈川県相模原市の境界となっています。

 

川の右岸が南側、その隣りに建物などがあれば陰になるので右岸の歩道、相模原市を歩きます。

こちらは境橋付近、右岸は相模原市南区古淵、左岸は町田市木曽東

 

さらに橋2つ下って
ひのき橋

ここでも番組撮影やってました。都県境をまたぐパフォーマンスやっていた橋。(町田市森野、相模原市南区古淵境界)

 

次がJR横浜線橋梁、そこをくぐってからふり返り

前方小さくひのき橋、左方見切れてますがやはり撮影に使われた『関東ローム層の露頭』が台地の崖にあります。

 

露頭のすぐ近く、このへんは川に急峻な崖が迫って、歩道には洞門?が設けられてます

 

また少し行くと台地は少し奥へ引っ込み、

昔の川の蛇行跡
その1

右フェンスの下が直線に改修された現在の河道、左が古い河道。

 

その2

下はほぼ埋められてますが古い橋も残ってます。
〈私的興味ですが〉こりゃまたすごいものが残ってたと感動。町田あたりは度々来ますがこれは知りませんでした。

 

その3

これは「く」の字に残った昔の河道を埋めたあと、右の植込み向こうが現在の川ですが、都県境はそのままなので神奈川県側に残った東京都。こんな箇所が境川沿い、たんまりあります。

 

で、最後に。ここも変なところに都県境という例で撮影していた
JR町田駅南口

右のエスカレーターは相模原市、左は町田市に存在とのことです。上がったところに市の広報が置かれてましたが、もちろん両市のものがありました。

ここもかつては下に川が流れていたのでしょうね。

 

番組ロケついでにおまけ。町田は神奈川県か?
屋上を使っていた東京都町田市役所と「横浜」線電車

正面の建物が町田市役所です。相模原市側から撮ってます。
町田市内を縦横に走る「神奈中(神奈川中央交通)バス」は今回撮影できてませんでした。

ロケ跡めぐりになりました。