散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

横浜山手の坂道 代官坂

おそらく不定期になりますが、これから横浜の坂道をあちこち歩いてみようと思ってます。
今回、横浜坂道探訪の手始めに元町から山手町へ上がる『代官坂』の記録です。

 

横浜山手町一帯は文字通りの山の手、隣りあう元町や石川町との間に何本もの坂道〈それも急坂ばかり〉があります。
代官坂(通り)もそのうちのひとつで昔から主要な道路だったのでしょう、というのも昭和になって坂道の途中からバイパス的にトンネルが掘られました。その名も「代官坂トンネル」
そのあたりは追って

 

元町側から坂を上がっていく格好で進みます。
最初は坂の下、元町から『代官坂通り』

坂を背にしてます。前方真っ赤な消火栓標識のところを横切る元町ショッピングストリートですがちっとも目立ってません。

ふり返って

道が3つに分岐しています。
中央でやや右にカーブしているのが代官坂通り
軽トラ正面の階段は高田坂の名称がある道で、上がっていくと山手本通り汐汲坂交差点に出ます。
左へはすぐ元町公園です。

 

右カーブして50mくらい

右に赤い屋根の建物、昔の横浜村名主石川徳右衛門の『代官屋敷』の一部
この屋敷にちなんで名づけられた『代官坂』です。
〈実は石川徳右衛門は名主の上位、惣年寄ではありましたが正式な代官ではなかったそうです〉

正面に出て

赤い屋根が載る2棟の建物部分、元は長屋門だったと思われ、間に立派な門があります。
奥にある『屋敷』主家は最近建て替えられていますが、当時の名主と同じ苗字の方がお住まいのようです。

門の前、金色に光る代官坂解説、文字がだいぶ読みにくくなっていたので文字起こししたものだけ掲載します。

代官坂
この坂は、山手の丘を越えて北方・本牧へ行く道で、箕輪坂と称していましたが、坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたことから、代官坂と呼ばれています。
幕末開港前後の当主徳右衛門は、日米和親条約締結のための応接場の設営、食糧、その他の設備一切を掌(つかさど)りました。嘉永7年(1854)3月9日(4月6日)ペリーが横浜村に上陸し住民の暮らしぶりを視察したおり屋敷を訪れ、徳右衛門が供応した様子が『ペルリ提督日本遠征記』に記されています。その後徳右衛門は、横浜町惣年寄となり町政を担当しました。
明治7年(1874)、坂の上(山手町7番地)にバプテスト自由伝道協会のネーサン・ブラウンが教会堂を建て布教の拠点としましたが、火災で消失しその後、明治27年(1894)ベンネットが横浜第1バプテスト教会と称し、教会堂を坂の途中(現在元町2丁目80番地)に移転しました。大正12年(1923)寿町に移転し、跡地に『日本バプテスト発祥の地』の記念碑を建立しました。
 社団法人 横浜国際観光協会
 横浜市教育委員会文化財課  平成7年3月

別の角度から


ご近所の様子など


お隣りは老舗の花屋さん、建物や店の雰囲気がとても良いです。
宮崎生花店(FLORIST MIYAZAKI)

1873(明治6)年の創業、昨年で150周年です。当時は山手外国人居留地の人たちがお得意さんだったのでしょう
写っている建物も1924(大正13)年(関東大震災被災後に)建て替えられたものだそうで、築100年です。看板の店名ロゴ、『花』の字が花びらです。

好きな建物につきもう1枚

併設していたカフェは現在お休み中とか

少し先からも並びの建物をふり返り

手前の建物も古そうです。全体を写せてないですがファサードのさりげない装飾が上品です。
花屋さんとの間も昭和風、看板建築の店舗、オーダーメイドの洋服店だったようですが閉店されてます。

 

さらに少し上がって坂下方向

道路右側は洋館風のカフェ

このあたりから坂道の傾斜がきつくなります。
坂上方向、道が2つに分岐

左がオリジナルの代官坂、右の道は信号機の先〈ちょっと分かりづらいけど〉「代官坂トンネル」(代官隧道とも)
右の建物は「横浜クリフサイド」、老舗のダンスホールです。

 

トンネルとクリフサイドあたりは以前撮った画があるのでそちらから少し
代官坂トンネル元町側入口

代官坂の勾配がきついのでバイパス的に設けられました。
建設は1932(昭和7)年、世界恐慌による不況の中、横浜市の失業対策事業によるものだそうです。

トンネル内は車のすれ違いができないので現在両側に信号機を設けて交互通行になってます。
代官坂との間の擁壁も重厚で立派です。〈それなのに上の道路古い欄干の名残り、背も低くて危なっかしい〉

 

トンネルの横にクリフサイドの入口

1946(昭和21)年ダンスホール(山手舞踏場)として開業、現在もダンス、イベントホールとして営業を続けているそうです。

代官坂途中から

 

こちらは代官坂トンネル山手町側から

右上からは代官坂の道の続き(旧道)、丘の尾根を越えて下ってきてます。尾根部分頂上では山手本通りと「代官坂上」交差点になってます。

 

再び良い天気の代官坂

 

さらに上がって代官坂上交差点近く

坂上近くは急勾配です。

 

〈また天気変わって〉代官坂上交差点

ここが尾根の狭い部分なのか道路中央が盛り上がって馬の背のようです。
背後から代官坂、左右横切る山手本通り、前方へ下る坂は現在も「箕輪坂」でいいのかな。
左前建物は横浜ユニオンチャーチ、山手の丘上はかつての外国人居留地だったところ。

 

以上、長さおよそ300mの代官坂でした。