散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 本郷の坂道(2) 建部坂・〈無名の坂〉・忠弥坂・金毘羅坂

今回は外堀通りから北側へ上がる坂道、前回の続きを2つ、そして水道橋交差点に戻って白山通りから東側へ本郷台地に上がる坂道を2つです。

 

◆建部坂〈たけべざか〉

別名:初音坂〈はつねざか〉

外堀通りから北へ折れる小さな坂道、油坂、富士見坂に並行するのが建部坂です。富士見坂の1本西側の通りになります。

建部坂入口、外堀通りの反対側歩道から

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左側に建物がありますがその隣りと後ろは文京区立元町公園になります。

見てのとおり油坂、富士見坂同様の短く小さな坂道です。実質的な坂道部分は50~60mしかありません。

 

坂下から

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坂上近く

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左が元町公園、その奥(工事中の)旧元町小学校との境界あたりで道は平坦になります。

 

公園と歩道の間に坂名標識が立っています。

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建部(たけべ)坂(初音(はつね)坂) 文京区本郷一丁目と二丁目の間
『新撰東京名所図会』に「富士見坂の北(注・西)にある坂を建部坂といふ。幕士建部氏の邸地あり因て此名に呼び做せり」とある。嘉永3年(1850)の『江戸切絵図』で近江屋板を見ると、建部坂の上り口西側一帯(現在の元町公園)に建部氏の屋敷が見える。直参、千四百石で、八百八十坪(約2900㎡)であった。
『御府内備考』に次のような記事がある。建部六右衛門様御屋舗は、河岸通りまであり、河岸の方はがけになっている。がけ上は庭で土地が高く、見晴らしが良い。がけ一帯にやぶが茂り、年々鶯の初音早く、年によっては十二月の内でも鳴くので、自然と初音の森といわれるようになった。明和9年(1772)丸山菊坂より出火の節、やぶが焼けてしまったが、今でも初音の森といっている。初音の森の近くで、一名初音坂といわれた。
文京区教育委員会    平成14年3月

建部某氏の屋敷があったので『建部坂』、屋敷の藪に鶯がきて鳴く『初音坂』ということです。

 

坂上から外堀通り方向ふり返り

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一応、坂道なことは間違いありません。

 

 

◆〈無名の坂〉

名前は無いけど味のある?坂道です。
本郷1丁目1と2の間を北に向かって上がる坂道、外堀通りから文京区立元町公園と昭和第一高校の間を入ります。

名前が無いので坂名標識や解説はありません。
来歴も不明なので少し調べてみると、江戸切絵図では通りが存在せず、それ以降、道のようなものはあるのですが、最近まで私道か路地の扱いのようでした。

でも実際に訪ねてみると周囲の様子から最近造られた道路ではなさそうな事が分かります。

そこへ入ったところから外堀通り方向をふり返って

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外堀通りから北側へ入るこのあたりの坂道はすぐ上りになりますが、ここはまず少し下ってます。
いま立っているあたりが底になって、背後に急な上り坂となります。

また、左の壁の上は区立元町公園で、壁には穴があったのでしょうか、コンクリートで塞いであります。同じ跡はもう一か所確認できました。防空壕?〉

 

上りのはじまる手前から

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急坂です。

最初に右、次に左へカーブして上がっていきます。左カーブの少し上が坂上、急坂部分の長さは70m、外堀通りからの通算では120mくらいです。

 

坂の途中から

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さらに上へ

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左側石垣の高さまで上がると坂上となり、横から来る道路と交差点になっています。

立派な急坂、一度下がってから上る、名無し坂ですがほかの近所の坂道を圧倒しているように思い取り上げてみました。

この坂上の交差点を左(西)に折れるとすぐ忠弥坂の坂上になります。

 

 

◆忠弥坂〈ちゅうやざか〉

水道橋交差点から白山通りを北へ、次の小さなT字路を右(東)に折れたところから上りが始まる忠弥坂です。入ってすぐは緩やかな傾斜ですが、次に急坂となって右、左と曲がり台地の上へあがります。坂上から道なりにちょっと進むと1つ前の無名の坂、坂上に出ます。

こちらは坂上、傾斜がはじまる手前からスタート

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10%勾配標識、忠弥坂の勾配ということですね。

 

すぐ近くですが青空に東京ドームホテルが映えてたので追加しました

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傾斜は先で道が右にスライドしたところからはじまります。

 

坂上から覗き込む形で

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下る途中でまず右にカーブしています。

右側建物は桜蔭学園中学高校、左は崖になって下は広く都立工芸高校などです。

 

曲がった先

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上と同じ傾斜でまっすぐ下がり、次に左にカーブします。

この反対側歩道上に忠弥坂の標識があります。

 

標識付近

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標識左側には道路外側に段差、崖などがあるところで目にする古い欄干が残っています。

解説読んでしまいます。

忠弥坂(ちゅうやざか)   本郷1-2と6の間
坂の上あたりに丸橋忠弥(まるばしちゅうや)の槍の道場があって、忠弥が慶安事件で捕えられた場所にも近いということで、この名がつけられた。
道場のあった場所については諸説がある。
”慶安事件”は、忠弥が由井正雪(ゆいしょうせつ)とともに、慶安4年(1651)江戸幕府の転覆を企てて失敗におわった当時の一大事件であった。
忠弥の名は、浄瑠璃や歌舞伎の登場人物としても有名である。
東京都文京区教育委員会   平成元年3月

丸橋忠弥の名前が坂名の由来とのことですが、坂道自体はそれほど古くなく、明治以降に開かれたようです。

坂の延長は150mほどですが、特に傾斜がきついのは坂上側の約100mです。

 

標識からさらに下って上方向

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坂下近くを少し上から

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左に少し折れてその先白山通りに突き当たります。
坂道右側の建物には『宝生能楽堂』が入っています。

 

白山通りから入ってすぐのところ

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急坂になる手前部分、奥で方向が変わって傾斜もきつくなっています。

 

 

◆金毘羅坂〈こんぴらざか〉

忠弥坂の1つ北隣りで台地へ上がる坂道です。

忠弥坂の最後に置いた写真、宝生能楽堂が入る茶色の建物手前を左に入る道があります。入ると能楽堂のビル建物の隣りには金刀比羅宮東京分社があります。

鳥居の前から

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金刀比羅宮の北側にある通りが金毘羅坂の道になります。

これは白山通りから入ってすぐの場所から

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白山通りから入るとすぐ緩く上がるのですが、ここは地形的にひな段のようになったところでして、一旦上がって平坦、踊場になります。金刀比羅宮もこの段上にあるのですがこの部分は金毘羅坂には含めていないようです。

 

踊場の奥、平坦なところから急坂になっていきます。

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ここからが金毘羅坂です。わりと急な坂でほぼまっすぐですが、坂上近くで右折しています。

 

上がり始めて踊場平坦部とその先白山通り方向(ふり返って)

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坂の途中でT字路があります

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そこで方向がやや変わりさらに上

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次に道は右折します。

 

上の写真で正面のカーブミラー付近から
坂下方向

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坂上方向

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上で平坦となります。そこをまっすぐに行くと桜蔭学園校舎の間をぬけて忠弥坂の坂上に出ます。

金毘羅坂に坂名標識はありません。
坂名の由来は坂下にある金刀比羅宮ですが、そこに昔は松平讃岐守の屋敷があり、庭に讃岐の金毘羅様を祀ったものが発展し現在の姿になりました。
坂道自体もそれほど古くはなく、明治以降屋敷跡を町家に変えていくなかで通された道とされています。(おそらく忠弥坂も同様)

 

坂道地図

今回分:4.建部坂、5.〈無名の坂〉、6.忠弥坂、7.金毘羅坂

続き

miwa3k.hatenablog.jp

 

前回分

miwa3k.hatenablog.jp