散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

真鶴から小田原へ歩く

表題のとおり、真鶴から小田原まで歩きました。
この夏猛暑のころ設定していたコースでしたが、起伏の多い土地で道は上り下りが多いですし、暑い時期に歩くには過酷かとずっとほったらかしてました。さすがに12月にもなればと、出かけてきました。
高台から海を望む景色が良く、でもどれも似たような風景ばかりですが公開します。

スタートはJR真鶴駅から。
駅前です

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まず駅の裏、山側にまわります。
熱海方面から真鶴などを通って小田原へ向かう道路は海岸線に沿う国道135号がメインだと思いますが、そちらは歩くのにまったく向いていません。基本、山側を通る県道(神奈川県道740号小田原湯河原線)を使い、より車の通りと勾配が少ない道を使えればそちらを歩きます。〈そんなにうまくはいかないですけど〉

 

県道を北側に進みます。

少し高度を上げると、真鶴道路・岩大橋が眼下に望めました。

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真鶴町北側の岩(いわ)という地区で、橋の近くに見えているのは岩漁港です。

 

この岩地区、山側の現在歩いている周辺には石材店が多くあります。近くの山中に墓石や石碑などに多く用いられる本小松石の採石場があり、石の加工も行なわれています。

道路に面した加工場

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切り出した石が道端に置かれたまま

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〈この置きっ放しは上の加工場とは別の場所〉

本小松石というのは、西側にある箱根火山が約40万年前に噴火したときの溶岩が固まったもので、複輝石安山岩という種類の岩石です。
この溶岩の流出が岩地区の山斜面、さらに海に流れ出て真鶴半島を形成したといわれています。

 

相模湾・正面は湘南海岸方面

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中央に見える道路が県道740号、現在はそこから外れて細い道(農道?)を歩いています。
斜面はみかん畑、収穫期です。

 

県道に戻って、小田原市真鶴町境界

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海に面した斜面はだいたいみかん畑ですが、柑橘系の果実がいろいろあります。

みかん

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袋をかけられて《高級みかん》?

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野良れもん

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この木はのらでしたが、栽培されてるレモンもたくさんあります。

 

不思議な果実(小田原市江之浦)

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見たことない南国のナントカフルーツか、と畑に近づいてみましたが

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ドぴンクのネットをかぶった、普通のみかんより大きな柑橘系果実、でした。〈なんだか笑った、目立ちすぎます〉

それにここは『江之浦測候所』の近くだったので、そこの風景の一部にされてるのか?とも思ったりしましたが、勘違い。

江之浦測候所へはリンク貼っておきます。

www.odawara-af.com

 

斜面の畑

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たまに山側も

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このへんまで江之浦、その北側は根府川になります。

 

東海道線白糸川橋梁

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根府川駅近くのこの橋は鉄道ファンにも人気がありました。『かながわの橋100選』にも入っています。
先代の橋梁が関東大震災で崩壊し、その翌年架け替えられました。現在は防風柵がつけられて、走る列車がよく見えません。
手前のフェンスは東海道新幹線、トンネル入口です。

 

下を流れる白糸川

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根府川駅近くから

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プールの下のほうが駅関係の建物やホーム、遠くには伊豆大島、真鶴半島の先端があります。
この背後に小学校があるのでそこのプールでしょうか。平地が確保できない土地で設備をつくるのも大変そうです。

 

森の中の細道を先へ歩いていくと視界が開けた場所へ出てきました。
小田原市米神(こめかみ)の集落近くにて

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いちど集落まで下り、線路の下をくぐって向こうの尾根をこえて歩きます。

下りの坂道から、海側

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岩場にはりつくように通っているのが国道135号、遠くに見えるのが小田原の市街地です。

 

正面に写っていた尾根をこえたところ。先は石橋山。

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緑の屋根が半分見える『佐奈田霊社』、周辺は石橋山古戦場です。

1180(治承4)年、源頼朝軍と大庭景親平氏方軍の戦闘が行われたのがこちら石橋山、源氏方が大敗を喫し、討死した佐奈田与一義忠(真田余一)を祀るのが佐奈田霊社です。

 

社手前に石橋山古戦場の石碑

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佐奈田霊社、正面側から

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光線の具合がよくありません…

 

先へすすむと再び谷を渡ります。
石橋集落の上から

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下に見える東海道線橋梁、撮影の名所なのでしょう、撮り鉄の方が何名かカメラを構えていました。
もっと手前の米神あたりにもそれらしき人がいました、特別な列車が通る日だったのかもしれません。

 

とりあえず谷に下りて川を渡り
玉川

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登り返して、来た道(右上)や通った列車を入れ

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そろそろ小田原、早川の街が近くに見えるようになってきました

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平地へ下る前に遠くまで見える海を

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みかん畑の石垣の道を下りていきます

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小田原魚市場、漁港と前に架かる『小田原ブルーウェイブリッジ』

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〈何度も見る橋だけど名前ははじめて知った...〉

 

橋の前へ

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小田原漁港、船の出入口左右の灯台は小田原提灯を模しています。

 

港内から

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魚市場近くのお約束

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すでに午後となってあまり人はいません。

 

早川河口と西湘バイパス

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同じ橋から上流側

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川沿いに上がっていくと箱根湯本など、いろいろ…

 

小田原城へ向かって
昔の武家屋敷跡となる一帯、西海子小路(さいかちこうじ)の桜並木道

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城の濠に近づき

報徳二宮神社鳥居

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蓮池と呼ばれる濠から

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櫓のあった場所に建つ郷土文化館建物。

 

城内を通りぬけました

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左は本丸へつながる常盤木門。

 

そして天守

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城内から駅方面に向かうと、つい最近できたという観光、商業施設ミナカ小田原

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最近できた昔ながらの街並み〈?〉、後ろの大きなビルも同じ施設です。
隣りは小田原駅、この日はここまでです。

最後のほうだいぶ急ぎ足になってしまいました。〈2回に分けてもよかったかも〉

 

真鶴-小田原足あと地図