〈歩いたのは12月ですが文字に消化できずに年越しした少し大きなブロック、解凍してみます。〉
『中津川』という名称の河川は全国あちこちにあるようです。神奈川県内だけで少なくとも2つ、相模川水系と酒匂川水系にあります。今回はそのうち神奈川県の中央部を流れる相模川水系の中津川をさかのぼって歩いた記録です。
中津川は厚木の市街地で小鮎川とともに相模川に合流します。3つの川の合流点からスタートします。
合流点俯瞰
俯瞰といっても流れが見えているのは相模川だけ、中津川と小鮎川が左方向から流れ込んでいます。
背後は古くから町として栄えた、かつての厚木中心地とでもいったところ(現:厚木市厚木)です。現在は普通の住宅地域です。
河川敷に下ります。
左から中津川、奥から相模川
さらに左を向くと小鮎川、中津川の合流となっていますが、対岸へ回り込んでから。
第一、第二鮎津橋と橋を2つ渡り、中津川の対岸へ、再び合流地点まで戻り
小鮎川(左)・中津川(右)合流
先ほどは右側対岸にいました。
合流地点近く第一鮎津橋上から
中津川上流方向
さて、遡上スタート。
ひとつ上流側の『鮎津橋』から下流方向
〈橋の名称がややこしい〉
手前側河道は水が枯れてます。
鮎津橋上流側から
この先は河川敷が大量の木や草に覆われてました。
堤防の上、どちらが川?
〈いちおう〉右です。
合流地点から4㎞ほどさかのぼって(厚木市三田)
川を渡るのは神奈川県道42号・中津川大橋。
中津川大橋から上流に500mほど
次の才戸橋(さいどばし)上から上流方向
才戸橋親柱
通る道はかつての大山街道のひとつ、橋ができる以前は渡船『才戸の渡し』があったそうです。
向こうには鳶尾(とびお)山など。
中津川は相模川合流近くから周囲に段丘が目立つのですが、このあたりから特に西側が山がちになってきます。丹沢山地の一番東端にあたります。
ごくおおざっぱですが、大昔、本州の南から島が現在の神奈川県あたりにぶつかり、圧迫されて大地に皺が寄ってできたのが丹沢山地。そのもっとも遠くにできた皺が今近くにいる鳶尾山、八菅山などになっています。
川沿いの道
八菅橋(はすげばし)
橋を渡った先に八菅山があります。
八菅橋から500mほど上流
歩いている左岸側はこの先段丘の縁が突き出し、川沿いに進めません。いったん台地へ上がり、また下ります。
竹林に入り『へいしの坂』と名前のついた坂をあがります。
手入れされた、きれいな林と道でした。元は「幣使坂」「祀礼坂」などと書いたようですが、いつ頃から、どんな由来があるのかはわかりませんでした。
坂を上がって広い道路に出るとすぐに見事な下り坂になります。
この坂道は『水道坂』とも呼ばれ、大正期に日本海軍によって建設された、地下に送水管が通る水道路です。愛川町半原で中津川から取水し横須賀軍港へと運ばれていました。(設備は戦後横須賀市に引き継がれ、2015年廃止)
つたないながらもまとめました。
横須賀水道みちを歩く その1 愛川町半原水源地から海老名 - 散歩の途中
中津川は下の広大な農地(箕輪耕地)の左端、山の縁を流れています。
箕輪耕地から中津川
このあたりの対岸、少し高い場所から
奥に水道坂 ↑
そこからさらに上流へ、愛川町角田(すみだ)
角田大橋上から中津川上流方向
その上流側はススキが原
下流方向
そこから間もなく平山大橋を通過、そちらは最近できた普通の桁橋、隣りの古いトラス橋を
平山橋
リベットの間に貼り付けられた「東京 月島 安藤鐵工所製作」も渋い。
愛川町の解説では、1913(大正2)年に1連のみ鋼橋(他は木橋)とし、のち1926(大正15)年に3連とも鋼橋となったそうです。
また、橋欄干などに戦時中米軍機の機銃掃射をうけた跡が残るとのことでしたが私にはわかりませんでした。
3連の曲弦プラットトラス構造の鋼橋
大正期建造のリベット構造の鋼橋は、現在、少なくなっており、その稀少価値から、国登録文化財となりました。土木学会による「日本の近代土木遺産」にも選出されています。 《愛川町HPから》
橋の途中から川の上流側(愛川町田代)
上流側は公園になってます。河原の広場(公園の駐車場?)はキャンプ場と化していました。
中津川の河原はここに限らずキャンプしている人が多いです。
さらにさかのぼって(右岸側)
左岸側
用水路の取水口があります。
川の外側へ用水が静かに流れていました
馬渡橋(まわたりばし)
新しい橋に最近架け替えました。数年前ここを通ったときは橋梁工事中でした。
橋の上から
その近く
馬渡橋のひとつ上流側、愛川橋上から
ここからもう少し上流側へ行くと小さな盆地、養蚕や撚糸などで栄えた昔からの集落、半原に入ります。
半原地区の細道
町の中央部にかかる日向橋から中津川下流方向
日向橋を上流側から
対岸左方は横須賀水道の浄水場があった場所
水道坂地下などを通っていた横須賀水道の浄水場(跡)です。中津川もう少し上流側に取水口があり、水が向こう側に見える沈殿池(ごみや砂などを沈殿させて取り除く設備)に導かれていました。現在は取り壊し作業中のようです。
対岸右側は東南アジア風の寺院がありますね。
さて宮ケ瀬ダム、石小屋ダムなどももうすぐ近くなのですが、長くなりました。
いちどここで区切ります。
中津川地図(流路)