寄を歩く その2 寄大橋から渋沢へ

神奈川県松田町北部、寄(やどりき)地区の山間いに少し踏み入って寄大橋まで来ていました。

寄大橋と中津川、鍋割山など

続きを歩きます。

来た道をまた戻るのですが、その前にまわりを少しうろうろ。
寄大橋近くは『やどりき水源林』と名づけられた森林があります。
近くの解説には、水源涵養といって森林が水資源を蓄え、育み、守る機能を高めるための森林の手入れをしている、といったことが書かれていました。
その森林に周遊歩道があるそうで、ちょっとだけ立入ってみました。

こちらも秦野峠林道のようなゲートが入口にあります

車両は進入禁止ですが、ゲートの横から歩いて進入します。

水源林の管理棟がすぐ奥にあります

管理棟に人の姿はありません。

管理棟前は中津川(寄沢)の河原


周遊歩道Bの入口

近くの案内看板によればBは右の階段をあがって1周50分(約2.5km)のコースとのこと。歩道Aは川の対岸〈今回は歩道A含め見送りました〉

赤い橋の近くまで戻り


上がってきた道をしばらく引き返します。
寄大橋見納め


シダンゴ山も


下りは速いです。〈途中省略してるだけ..〉

向こうに小さく集落が見えてきました


同じ道を引き返すのもあまり面白くないのでもう1本の道に逸れます。
その途中

牛が行き詰まってます。何か作業場のようですが..

そちらの道、横には水路がありました


水路沿いに集落を下ります


道は寄自然休暇村管理センターやバス停、駐車場などのあるところへ出ていきます。

そこからバスも通る県道に移って

県道を少しあがったところ。
下はバス停や駐車場の後ろにあるグラウンドです。前回ここを通ったときはロウバイ園に来る人たちの臨時駐車場になっていました。

バスの通る県道沿いは寄集落の中心部だったようです。
県道沿いの元店舗、鮮魚仕出しなどの文字


別店舗跡、こちらも食料品の文字跡が残ってました

現在ここにはスーパーやコンビニはおろか一般商店もほぼ無いのですが、少し前まではこのような商店がいくつか存在していたようです。

道端に杉の大木

左奥には寄神社(弥勒神社)があります。正面奥は寄小学校。

神社の鳥居

〈弥勒神社とも言われるようですが標識は弥勒寺〉

県道少し先からふり返って


周辺は古くからの集落中心部といった風情が少し残っています。

建物などに派手さはありません。元々山間の農村だったところ
それでも戦後は登山や魚釣りなど観光の拠点となって民宿などができたり、移住してくる人もあってかつて田畑だったところに新しい住宅が建てられたりしたようです。

集落の途中で集落を貫いていた主要な道〈今はバス通りの県道〉から逸れて、東の方、山越えの道に移ります。

道の分岐近くから
こちらは県道


この下は分かれた道に入って小さな橋の上から

左は福昌院というお寺の外壁。
その下はお寺への通路、そちらではなく足元のもう少し広い道を先(左方)へ。

しばらく上りが続きます。高くはないですがいちおう峠越え


途中はゴルフ場

太平洋クラブ相模コース。

コースの間をぬって上がります。
峠をこえると東側、秦野市街地から遠くは江の島、三浦半島が見えてきます


こちらは山側、丹沢


再びゴルフ場の脇の道から、見上げると

ここ危なすぎます。歩いていたらまさに目の前数メートル、ネットのないところをボールが飛びぬけていきました。〈1番ホール左側ネット守備範囲まだ狭すぎ!〉

ゴルフ場を過ぎるとあとは人里へおりていきます。
途中木々の間から〈肉眼ではちゃんと〉見えた新東名新秦野ICやその先建設現場など

現在は新秦野ICまでが供用され、その先御殿場方面は工事中の新東名です。
工事区間を横切る道路が利用できなかったりで今回はこちらを迂回して歩く形になってます。

反対方向の新東名

ちょうど今いるところ、下はトンネル(小原トンネル)になってます。

秦野の「上(かみ)」という地区に下りてきました

さらに下って渋沢を目指します。

四十八瀬川を渡ります

この川はもう少し下流で寄を流れていた中津川と合流します。その先は酒匂川に合流して小田原市内で相模湾へ。

渋沢の町なかにはいりました。
花直売

年の暮れ、正月飾り用の松も売られてますね。

もう少し行くと小田急線渋沢駅です。

 

ここまで

 

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