江戸川の流頭は茨城県五霞町の利根川との分派点です。利根川を流れてきた水がここで分かれて江戸川に入ります。
前回到達した、春日部市西金野井からさらにさかのぼって分派点まで行ってきましたので記録を残しておきます。
のりかえの春日部駅
東武野田線の古いホーム屋根、梁や柱など多くが木材です。
2つ先の南桜井駅で下車、江戸川の前回離脱点を目指します。
この堤防から再開
〈前回は正面のけものみちを下りてきました〉
堤防を上がってすぐ『海から45.5km』標識
相変わらず周囲にあまり変化がないので、この標識といっしょに撮った風景が多いです。
今回も埼玉県道の自転車道・三郷幸手自転車道を歩きます。前方は国道16号金野井大橋。
金野井大橋をくぐったところ
でかい江戸川標識の左に海から46.0㎞標識が頭だけ出てます。
堤防にあがって金野井大橋
46.5km地点から、左は庄和排水機場関連の建物群
近くから
庄和排水機場メインの建物
ここは地下に首都圏外郭放水路と呼ばれる巨大な地下放水路が通っています。周辺低地を流れるいくつかの河川から洪水(増水)時にこの放水路に水を引きこんで貯留し、江戸川に放流するシステムになっています。2006年に完成しました。
右手前の展示は地下放水路の掘削に使われたシールドマシンの刃でしょうか。
この施設で有名なのは、調節池の機能がある巨大な地下調圧水槽で、多数のコンクリート柱が林立した巨大空間はよく『地下神殿』と紹介されて、見学ツアーも人気があります。〈自分は入ったことはありませんが〉
調圧水槽は建物の後ろ側にあります。地下なので地上には何もありません。
そちらの見学は予約が必要とのことで、表の解説板で茶濁
左上のライン下だけ
首都圏外郭放水路は、大落古利根川・倉松川・中川・江戸川を結ぶ地下放水路で、国道16号の地下50mを通っています。庄和排水機場は、地下トンネルを流下してきた洪水を調圧水槽から巨大ポンプ、排水樋管を経て江戸川へ排水する役割と、各流入施設の操作や集中管理する役割を持つ、首都圏外郭放水路の”心臓部”です。
下段左から2番目が地下神殿の写真です。
江戸川放流口付近
洪水どころか最近は雨も降らないので、放流される水はありません。手前に見えるのは江戸川のたまり水。
先へ進みます。
海から47.0㎞
48.0km
49.0km
海から五〇kmまで来ました
50.75km地点から宝珠花橋
このあたりの河原で大凧揚げをするそうです。
何も言ってませんでしたが、この標識は250mおきに立ってます。
その250m先はちょうど橋のたもと
51.0㎞の標識があります。ひとつ下流側の金野井大橋からちょうど5㎞で宝珠花(ほうしゅばな)橋。周辺はかつて宝珠花村が存在していました。現在は江戸川西岸が春日部市西宝珠花、東岸が野田市東宝珠花です。江戸川開削前はまとまったひとつの地名だったのでしょう。
橋を通るのは千葉県道・埼玉県道183号次木杉戸線。
52.0km
雪をまとった北関東の山々が少し近づいてきたようで、何とか背景におさまってきました。〈いやまだちょっと無理が…〉
河川敷は丁寧に草が刈りこまれています。グライダーなどの滑空場になっているようです。(対岸、宝珠花橋下流側にも関宿滑空場があります。)
これだけの草刈り、お疲れ様です
54.0kmはひとまず割愛して
海から五五km地点を無理やり望遠で
山が見えますか?〈ボケちゃってますが〉
この日は富士山も見えたのですが、そちらは頂上付近にほんの少ししか雪がなく、北側に見えた高い山々は軒並み白くなっていました。
海から57.0㎞地点(幸手市中島)
関宿(せきやど)橋です。こちらも千葉・埼玉県道が通ってます。
自転車道沿いに植わっている緑は菜の花のようです。長い距離に渡ってずっと植えられてるので春は見事でしょう。
関宿橋を越えた先にある水門
西側を流れる中川の流れを分けた幸手放水路の水が中川上流排水機場経由で江戸川に放流されています。江戸時代には利根川の水はこの付近で権現堂川経由でも江戸川に流入していて、その流路、合流点が近くにあり、ここはその名残りといえるかもしれません。
現在は締め切られて流れのない権現堂川(ごんげんどうがわ)、利根川東遷事業以前、利根川が横切るようになる以前は渡良瀬川の本流であり、こちら江戸川流路(のちの人工開削部を除く)に流れ込んで、江戸川の川名も太日川、太日河(ふといがわ、おおいがわ)と呼ばれていました。〈長くなるので詳細は省略〉
利根川との分流点近くにある関宿城が見えてきました。〈お、いばらきけんに入った〉
この周辺河川敷は2019年台風災害復旧で大規模な工事を行っていました。堤防周囲もスーパー堤防化らしく大規模工事中で素直に川の先端まで行けるか若干不安に…
そこから500m、工事中でしたが関宿水閘門まで来ることができました
1911(明治44)年からの江戸川改修工事で1927(昭和2)年に完成したコンクリート製の水閘門です。
ちょっと分かりにくいですが、向こう側で江戸川の水量を調整する8つのゲートを持つ水閘門と手前側、船を通すときに水面の高さを調節するための閘門の2つがあります。それぞれ近くに寄ってみます。
ちなみにこの手の距離標識、これより先は確認できてません。59.5kmが一応最大値。
こちら手前は船舶用、上流側のゲートなどが写ってます
白っぽく見えるゲート、左右にあり扉式に開閉します。合掌(マイター)式といいます。
閘室と下流側ゲート
ゲート間のプール部分(閘室)に船舶が入ってゲートを閉じ、船が出ていく側の水位にあわせて水を増減し、そちらのゲートを開きます。(いつも閉まっているとのことでしたが、開けっ放しでした。工事のせいでしょうか。)
江戸川は旧江戸川と放水路に分岐したところにも閘門があります(旧江戸川側)が、そちらの方が閘室が大きかったような気がします。
こちらは江戸川に流す水量を調整するための水門
8つのゲートがありますが、手前ひとつ見切れてます。
船を通すほうの閘門はすでに使用されることはありませんが、こちらはまだ現役で、河川増水時などに対応できるようになっています。
こちら関宿水閘門の施設は2003年、土木学会推奨土木遺産に認定されています。
ゲート開閉用駆動装置ごしに江戸川上流方向
現在は電気でゲートの開閉を行っていますが、完成直後は蒸気エンジンを使用していたそうです。(現地の解説板では「ディーゼルエンジンが使われました」と記載)
右側に見えているのは水位観測施設(現在は使用していない)の建物です。
上流側から水門
水門上の通路を渡って江戸川と利根川の間へ出てきました。
1本の道をたどって分派(分流)点へ向かいます。
先の方は流れに洗われて歩きにくいです。〈そもそもこんなところへ入ってくることは歓迎されてないようです〉
足元殺風景ですが、分派点その先端です。
左へ江戸川、右へ利根川
蛇篭?の上から
江戸川流頭に到達です。
先に見えてる橋は首都圏中央連絡自動車道(圏央道)利根川高架橋。
江戸川はここまで。
この先は詳しい知識がないので、おまけ扱いです。
最後にずっと見えていた関宿城に近寄ってみました。
3枚
現在関宿は千葉県野田市に編入されていますが2003年までは関宿町、江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれ、利根川、江戸川水運の要衝として重要な土地でした。江戸を背後に関東中央部の重要防御拠点、幕府もいろいろ目を光らせる必要があったのでしょう。
関宿城は1457年に築かれたとされています。その後1671年に再建された際に現在見えるような天守状の櫓が建築されたといわれています。
こちら内部は関宿城博物館になってます。
博物館入口
現在博物館となっている場所は正確にはかつての城跡と無関係で、
こちらが関宿城跡とされる場所
博物館から江戸川下流側に500mくらい離れたところです。
現在は解説板があるくらいで何もありません。第一これだけの面積だったわけがないです。
大規模な河川改修工事や手前側に堤防を築いたりでほとんど削られてしまったようです。
最後に足あと地図を置きます。今回分は紫色の足あと部分
前回分