散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

大森貝塚を築いた人々も使ったかもしれない小川の川跡を辿る

西大井あたりから大森貝塚付近を流れていた、名もなき小さな川跡を訪ねて歩いてきました。

JR大森駅から線路沿いに数百メートル北へ行くと大森貝塚があります。ちょうどそこには浅い谷が通り、川が流れていました。
現在JR線路が通っているところがかつての台地の東端、貝塚が築かれていた縄文時代頃はその東側には海岸線がせまり、河口になっていました。

貝塚付近で当時生活していた人は、海で貝などを得て、必要な真水はこの川を利用していたのではないかと想像してみると興味深く、今回川跡を辿ってみたきっかけになりました。

一方、上流方向に目を転じると、この川のつくる浅い谷は北西方向へ延び、途中で2つに分岐して、それぞれの谷の突端(谷頭)には湧水がつくる池が現在も存在しています。

なお「川跡」と紹介しているように、源となっていた2つの池に湧く水は現在、下水道に取り込まれ、かつての川跡には元の水の流れはありません。(一部川跡に下水道管などが通されている場所はあるかもしれません。)

今回は川の下流側からさかのぼる形で記録していきます。

地図は推定の川跡をラインで、撮影位置を写真番号で示しました。

 

いつもの癖で、大森へやってまいりました、というところから。
(1) 大森駅

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いちばん下流側で川の痕跡が見られるのは、JR線路東側の小さな路地です。まずそこへ向かいます。
線路の東側は縄文時代には海岸でしたが、少なくとも江戸時代には現在の第一京浜京急線が通る付近まで海岸線が後退していて、そこを旧東海道が通っていました。
その付近に痕跡はありませんが、品川区南大井6丁目12まで続く路地が川跡です。

(2) 川跡痕跡が残る最後(下流側)の地点から海岸方向

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この付近が南大井6-12です。
前方車止めの延長上には一般道がのびていますが、これより先痕跡はなくなってしまいます。

 

(3) 一般道に出てしまうと何もない(海岸方向を向いて)

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(4) 路地を反対方向、上流側へ

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路地は案外あちこちカーブしています。下には昔の東京都マークがついたマンホールがたくさん並んでます。

 

この路地は150m~200mくらいで突き当たります。
(5) つきあたりは大井水神公園

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細長い大井水神公園の向こうはJR東海道線京浜東北線線路です。ちょうど京浜東北線通過中、車両の青いラインがわかるでしょうか。

公園内、線路上にも痕跡があって、公園内は流れの延長部分が少し高く盛り上がり、線路内には地上のケーブル線を渡すための小さな橋(のようなもの)がありました。

線路反対側へは直接渡れないので近くの桐畑地下道を通りました。東側出入口の脇には湧水があり、小さな池のようになっていて中に金魚がいました。ちょうど台地の先端、小さいながらも崖があり水が湧きます。
金魚と戯れている人がいらっしゃったのでこちらの写真は遠慮しました。

 

地下道西側に隣接して品川区立大森貝塚遺跡庭園があります。

(6) 大森貝塚遺跡庭園入口

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庭園入口前の道路が池上通りで50mほど大森駅側へ、ゆるい下りの底が川跡、また大田区、品川区の境界になっています。

(7) 谷底、川跡付近の池上通り

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たぶんひと桁メートルの高低差しかない、浅いながらも谷底です。このあたり昔の字名は「鹿島谷」と呼ばれていたそうです。近くには鹿嶋神社があります。
右側に変なものが見えてますが、川跡につくられた、何と呼べばいいのでしょうか?
池上通りは向こうへ今度はゆるく上りになっています。

まず、道路標識の左側、川の下流方向に道があるのでそこへ入ります。

 

(8) 一応、暗渠道?

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蛇行した道が先で線路につきあたります。

(9) JR線路西側のつきあたり

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川跡は線路を越えて大井水神公園を横切り、先ほどの細い路地へとつながります。

 

池上通りまで戻ります。
(10) モニュメント?向こうが上流側続きです

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池上通りのこの地点にはかつて山王橋という橋が架かっていました。

 

(11) 上流側へ歩道を通ります。

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この先100mほどで鹿島庚塚児童遊園、そこまではこんな歩道が続きます。

 

(12) 児童公園の横で流れが2つに分岐します

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(厳密にはこの場所が分岐点ではなく、公園の内部でした。歩道の装飾に惑わされました。でもすぐ近くなので一応ここということにしておきます。)

 

分岐した右側を最初に辿ります。

(13) 公園の先はごく普通の暗渠道

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右側が上がっているので横切る道路は盛り土して傾斜をつけてます。

 

(14) 階段向こう側から振り返るとこんなかんじ

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暗渠道は鹿嶋神社前でいったん痕跡が消えますが、池上通りに出てから少し先を折れる細い道が続きで、そこから大井消防署滝王子出張所の手前で広い道路に取り込まれます。

(15) 消防署手前の一般道へ出るところから来た方を振り返って

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消防署のすぐ北側には瀧王子稲荷神社があり、その一角に柵で囲まれた池があります。
(16) 瀧王子稲荷神社と御神木かな?、手前が池

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この池が分岐点からさかのぼってきた流れの源流になります。

分岐点からは1㎞ちょっと、貝塚からでも2㎞あるかないかという短い川跡でした。

大森貝塚近くでは浅いながら周囲が谷になっていることが認識できましたが、ここではほとんどわかりません。

 

(17) 池の中を覗き込んで

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かつては湧水が池になり、川の流れをつくっていたのでしょう。また、50mほど北側を通っていた品川用水(現在滝王子通りとなっている)からこちらへ引水されていた時期もあったそうです。
現在は池の横にあるパイプから水が供給されていました。地下の井戸水をくみ上げているのかなと思いましたがよくわかりません。

 

(18) 場所を変えて

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左側が水を池に供給しているパイプ。前方歩道の下にスペースがあり、そこも池の一部になっています。かつての川は歩道下のスペースから右の方へ流れていました。

 

神社の境内はせまく、一部はこのように池になっているのですが、バレーボールコート程度の場所にケージを張って10人以上の子供が野球の練習中でした。

(19) 鳥居の前から

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先ほど流れの分岐点があった鹿島庚塚児童遊園まで戻り、もう一方の流路跡を追いかけます。

(20) 児童遊園内から、これから辿る流路

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向こうへのびる歩道がこれから辿る流路跡です。

 

歩道はすぐ先で一般道に変わります。
(21) 谷底をトレースして通る細い道

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たぶんここも流路跡だと思いますが。

 

もう少しさかのぼって、1本南側の通り沿いに
(22) 庚塚橋の親柱が1つ残されていました

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親柱の大きさからして、ごく小さな橋だったのでしょう。

庚塚(かのえづか)はこの周辺の字名で、流路が分かれる場所にあった公園の名前にも使われていました。
ここは先ほどの谷底の道とは1つ南側に隔たった通りになるのですが、橋があったことからすると流路がいく筋かに分かれていた可能性もありそうです。

 

(23) 南側の通り、すぐ上流側にはこんな場所もありました

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左フェンスの向こうは一般道、下はかつての川の跡ですね。

 

さらにさかのぼると源流の池に着くのですが、
(24) その直前

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ベンチの後ろに池があり、川は道づたいにこちらへながれていたようです。

 

(25) 池に近づいて

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Googleマップには「原の水神池」とあります。向こうの赤い屋根の社は水神社、その横に「水神池」と書かれた石碑、もうひとつ「鯉塚」の碑があります。

ここがもう一方の流れの源になります。こちらも分岐点からの距離は2㎞弱といったところです。

 

(26) 神社横に解説がありました。

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鳥居の前にはとっても熱心にお参りされている方がおられたので遠慮気味に撮影。(ちょっと写っちゃってますが)

品川区指定史跡
大井・原の水神池
武蔵野台地の末端部に位置するこの湧水池は、むかし原・出石(いずるいし)などの農家が、出荷する野菜を洗った「洗い場」であった所で、現在も水が湧き続けている。
水神社は、農耕や日常生活に欠かすことのできない水を確保し続けたいという願いから、地元の人々が祠ったものである。
清く澄んだこの池の水は、眼病を治すのに効果があるといわれ、治るとそのお礼に鯉を放ったという。
「洗い場」は、都市化とともに姿を消してしまったが、この水神池により、農村だった頃の生活や民間信仰の一面を知ることができる。
平成四年十一月一日   品川区教育委員会

 

(27) 原の水神池、別方向から

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湧き水は左端の草のはえているあたりの石垣から池に落とされているようです。水量は少ないです。
池の中央では亀が甲羅干し。亀は何の病気治癒のお礼なのでしょうね?

 

名前も持たなかっただろう小さな川は以上です。

 

最後に地形的な話を少しだけ。
川の水は周囲の土地を削って浸食していき、流域に谷を形成しますが、今回辿った川のつくる谷は非常に浅く、せいぜいひと桁メートルという特徴があります。
この川とは数百メートル程度しか離れていませんが大森山王、馬込周辺へ行くと土地の起伏は大きく、谷は深く刻まれています。(場所によって異なりますが台地上と谷底の差はおよそ15m程度)
なぜ近所なのにそんな差ができるかといえば、
山王、馬込あたりは荏原台、今回の川跡は武蔵野段丘M2面と呼ばれる異なる台地面にのっかっています。
荏原台は12万年~13万年前に形成された台地であるのに比べ、武蔵野段丘M2面の形成は約6万年前です。
形成時期がより新しい武蔵野段丘M2面では浸食がさほど進まず、谷が削られる度合いが小さいので谷は浅いのです。