散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

世田谷の谷戸川を歩く

小さな川ですがいろいろ変化のある谷戸川(やとがわ)を歩きました。
同名の河川が日本中あちこちにありますが、今回は東京世田谷区を流れている谷戸川です。

その源は世田谷区千歳台、環八沿いにあってGoogleマップでは道路中央に「谷戸川水源(湧水)跡」のピンが立ってます。〈誰がそんなところに立てたんでしょ?〉

最初しばらく暗渠ですが小田急線線路を潜った南側(砧6丁目)で流れが顔を出します。その後だいたい南方向に流れ下り、砧公園内を貫流して東名高速下を潜り、岡本静嘉堂緑地の南東側で丸子川([元]六郷用水)に合流して終わります。

ところでこの丸子川(六郷用水)は江戸時代に開削された人工水路ですので、それ以前の谷戸川に相当する流れはさらに南側へ延びて玉川3丁目、国道246号新二子橋付近で野川に合流していました。この部分も流路跡が残っていて暗渠の雨水下水道として使用され、上部は緑道になっていたりします。こちらものちほどであわせてまとめる予定です。

 

まず今回は丸子川との合流点、現在の谷戸川最下流部からさかのぼって歩きます。

谷戸川合流点を丸子川上流側から(岡本2丁目)

左から谷戸川が合わさってます。

合流点、正面から流れ込んでくる谷戸川

ここが現在の最下流部となります。

2つの流れに挟まれて岡本静嘉堂緑地(静嘉堂文庫美術館、(三菱財閥)岩崎家廟堂などがある)が左側一帯に広がります。

 

谷戸川が流れる緑地の境界に短いながら散策路があるのでそちらへ。

緑地は静嘉堂文庫、美術館と同じ入口の門から入ります。
門外側の風景

正面坂道は『馬坂』といい、その右は小坂緑地。

 

門をはいって5~60m、紅葉橋上から谷戸川


橋を渡って道をまっすぐ行くと坂道を上がって静嘉堂文庫美術館方面ですが右に折れて散策路を歩きます。

ふり返って下流方向

右側木立ちの中に遊歩道、その右には池もあります。静嘉堂緑地一帯は国分寺崖線のハケ下、湧水が豊富にあり池にもその水が利用されています。

150mほどで裏?の出入口

左側に川の流れ、背後大蔵通りの下を潜って「やのはし」が架かってます。漢字だと「八之橋」。


その上流側、大蔵通り沿いに川はしばらく並流しますが
100mほど護岸整備工事中でした


さらに100mくらい先、
川の上にある建物はバス停の一部(岡本もみじが丘バス停)

建物との関係は不明ですが、ちょうど真下、谷戸川のさらに下の地下を水道送水管が横切っていました。

1921(大正10)年に造られた水道の路、多摩川からの水を浄水し渋谷町(現在の渋谷区)へ送られていたもので「澁谷町水道」、現在も「渋谷町水道みち」なんて呼ばれています。
多摩川べりにある砧下浄水所は今も現役で、水道みちも道路などとして使われていますが、地下送水管の使用状況などはよくわかりません。

渋谷町水道みちは過去に歩いてまとめました。

渋谷町水道みちを歩く 世田谷砧から三軒茶屋 - 散歩の途中

 

水道みち交差から約150m上流へ

大蔵通りは上り坂をまっすぐ、谷戸川は右にカーブ(岡本1丁目)

 

カーブの先、六之橋上から上流方向をみて

水はよどみ気味ですが透き通ってます。

この川の水量は元々多くはなく、浄化等の目的で近くを流れる仙川の水がポンプアップされてどこかで加水されているとのことです。

《追記》砧公園内のつり橋近くでした。

 

この先は住宅地の中、川に架かる橋はどれもわりと古いものばかりなのが印象的でした。〈八之橋から上流に向かって一之橋まで9つの橋があります。9?〉そのなかからいくつか。

四之橋・三之橋

二之橋は欄干だけ、向こうの植木を借景に

いつ頃架けられた橋なのでしょうね。

順調に数字下がってきて二之橋の次は
「庚申橋」〈ここだけ数字がありません〉

右側「庚申社」が由来でしょう。

前方を横切るのは東名高速、その遮音壁がみえてます。その手前に1本道路があってそこにちゃんと一之橋があります。

古い地図を見るとこの周辺地名が「谷戸」。川名はそこから来ているのかもしれません。

 

谷戸川は東名高速(谷戸川道路橋)の下をくぐると砧公園内へ入ります。

公園いちばん南側の橋上から

風景一変しました。

すぐ隣りには次の橋(四の橋)があります。そして背後も同じくらいの距離で東名高速が通ってます。

1957(昭和32)年開園の東京都立砧公園、開園当時は都営ゴルフ場が隣りにありましたがその後廃止、公園面積が一気に広がりました。現在も公園内に入るとゴルフコースの面影があちこちに残ります。

また、この公園は桜の名所として有名です。
が、桜にはちと早い時期、少数ながらちゃんと梅もありました


小さな梅林と広い桜並木の間を結ぶ三の橋

〈なぜだかロープでぐるぐる巻き〉

その付近、水辺の様子


砧公園内を北から南へ貫流する谷戸川には一の橋から四の橋までと前後にあと2つ名前の分からない橋があります。〈下流側の橋名との違いは『の』『之』字だけ〉

いちばん北側、名無し?橋はつり橋。


つり橋の上から


公園北端まできて外へ出ます。

また風景が変わりました。
隣接する美術館通り(砧公園内に世田谷美術館)の稲荷橋

右側が砧公園内、正面は美術館ではなく東京都中央卸売市場世田谷市場の建物です。

 

これより上流は順番に数字のついた橋はありません。それとあまり特徴のない小規模な都市河川になります。

砧公園から200mほど上流の直角カーブ(大蔵1丁目)

 

このあとクランク風に折れてその先は一時暗渠

蓋かけされた暗渠の上から


また流れが顔を出して(砧1丁目)

流れる方向がやや変わるところ、右から小さな支流(暗渠)が合流していました。

 

観音公園裏、『中の橋』上から下流方向(砧3,4丁目境界)


草山公園手前にて

流れを暗渠とし、上に公園をつくったのでここは欄干だけのこりました。向こうにある保育園の園庭も暗渠の上、いろいろ土地を捻出しましたね。

 

こちらは西山野公園脇の古い橋(砧6丁目)

橋名称は不明、流れは開渠になってます。

 

その150mほど先(砧6丁目)

前方横切るのは手前城山通り、上を小田急線、水路の右側には世田谷区立山野小学校があります。
ここは谷戸川の水が最初に顔を出すところになります。

 

よってこれより上流はずっと暗渠。

まだ蓋がけされた道となっているので辿るのは容易です。
小田急線高架下をくぐって千歳台1丁目へ


7~80m先で2つに分岐する暗渠道

右が本流のようですが左へ。あとでここへ戻ってきます。

 

左へ分岐した支流はわずか数十メートルで痕跡が消えました

正面青色建物は下が銭湯。その手前で暗渠サインの蓋がぷっつり途切れました。
その先は痕跡なく、どうなっているのかはっきりしません。

 

本流側分岐点へ戻って先へ


一直線に東へ進むと道路につきあたります


渡った先は公園(笠森公園)でした。

その入口付近に『谷戸川の由来』という解説がありました

谷戸川の由来
公園の下を流れる水路は、岡本静嘉堂の先で、丸子川に合流する谷戸川の上流です。谷戸川は、その昔、この公園あたりの旧小字で、東山野という丘から湧出する泉を水源とする流れでありました。
時のうつりかわりと共に、その流れも姿をかえて、現在では、山野小学校付近から上流は暗渠化され、それより下流に水面を見ることができます。
この公園の井戸は、谷戸川の水源を想定して身近に”水”と親しむことを目的に設置しました。
世田谷区

実は水源を想定したという井戸も、これより上流側にもまだあるという川の痕跡も見つけることができませんでした。

まわりをうろうろして公園外周部から

公園に隣接した左の道路は下に送水管が通る荒玉水道道路です。車道部分は重量のある大型車輛が通れないよう道幅を狭めていて、注意書きの看板が〈向こう向いてますけど〉ガードレールを跨いでます。

足元部分の通路が谷戸川の川跡なのかなと期待して撮った絵ですが、この先を見失ってしまいよくわかりません。

 

この先の谷戸川痕跡は自分より鼻の利く人によってあちこち見つけられていて、源は環八沿いの成城警察署敷地付近とされているようです。

まだここから600m以上もあるようですが事前に情報収集しておかないとたどるのは難しそう、ここまでで十分とします。

 

次回は下流に戻って丸子川(六郷用水)で分断された先の谷戸川痕跡をたどります。