散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

隅田川テラスを歩く 右岸側その5 両国橋から中央大橋

隅田川テラスを歩くシリーズ、左岸側は築地大橋近くの終点までたどり着きました。
今回から右岸側、歩き残していた両国橋から勝鬨橋のテラス終点までくだります。〈右岸側その1~4部分は2022年5月に歩いてます〉

まず両国橋。

右岸下流側から

橋桁部分工事中です。

右岸側、両国橋上流はすぐ神田川河口、左隅のテラス歩道は橋をくぐると神田川に阻まれて行き止まりです。〈近くに柳橋があるので渡れば上流側のテラスへ戻れます〉

 

両国橋を背に下流方向テラス

川の上は首都高両国ジャンクション。
右岸側にはこの先首都高高架がテラスの上へ被ってきます。

少し下って上流方向


新大橋に近づきつつ

テラスの上を首都高が覆うのはちょうど日本橋浜町の範囲。

 

新大橋を間近から

隅田川に架かる3番目に古い橋ですが現在の橋は1977(昭和52)年竣工、とは左岸テラスですでに書きました。
構造形式的には2径間連続斜張橋といいます。

 

もう少し下って首都高高架が逸れていくあたり
手の込んだモザイク画です

ちなみに堤防上は中洲公園〈ベンチなどがあるこぢんまりしたスペース〉です。

 

そして清洲橋に近づいていきます。
花壇があっていろいろな花が咲いていました。〈橋をバックにとりとめなく撮ってしまったので少々〉


対岸は向きがかわる芭蕉像のある芭蕉庵史跡庭園、萬年橋など


清洲橋をくぐって下流側から


もう少し離れて


かつては清洲橋の隣りの橋は永代橋だったのですが、現在は間に首都高と都道が上下に通る2層式の隅田川大橋が割り込んでます。
隅田川大橋

上部は首都高9号深川線、下は都道475号永代葛西橋線が通ります。橋の完成は1979(昭和54)年のことです。

 

隅田川大橋付近から隅田川上流方向


橋を潜ってから下流方向

先の永代橋手前に日本橋川河口があるのでテラスはいったん途切れます。

 

日本橋川河口付近には豊海橋が架かります

〈仮設の?〉解説があります

中央区民文化財
豊海橋(とよみばし)
   所在地 中央区新川一丁目 日本橋箱崎町 (日本橋川)
現在の豊海橋は、大正十五年(一九二六)五月起工、昭和二年(一九二七)九月竣工。
日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新堀河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。
明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正十二年(一九二三)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。
福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数ヵ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています。
 平成十四年三月  中央区教育委員会

フィーレンデール(フィーレンディール)はこの様式を考案したベルギー人の名(Arthur Vierendeel)、日本で数カ所とありますが、最近いくつか増えているようです。
オリンピックに向けて化粧直しが施されたようです。

もう1枚は日本橋川川上方向を見て

豊海橋は永代橋との景観的バランスを考慮されて設計されたといわれます。〈当時の景観とはだいぶ変わってしまいました〉

日本橋川で途切れるテラス、豊海橋を渡るとすぐ永代橋のたもとに出ます。
永代橋西詰

こちらは関東大震災復興事業で隅田川に架けられた代表的な橋梁のひとつです。左の御影石に「土木学会選奨土木遺産 帝都を飾るツイン・ゲイト(永代橋)」のプレート、その下には

「復興は橋より」。これが関東大震災後の復興事業の合い言葉でした。帝都を代表する隅田川の入口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的なイメージ(清洲橋)で演出されました。
これに加えて土木学会では、次のような理由から永代橋と清洲橋をワンセットにして、第一回選奨土木遺産に選定しました。
――― ◆ ―――
●二つの橋は、近代橋梁技術の粋をあつめてつくられた震災復興橋梁群の中心的存在である。
●永代橋は、わが国ではじめてスパン100mをこえた橋であり、しかも現存最古のタイド・アーチ橋である。

永代橋、清洲橋、勝鬨橋は国の重要文化財にも指定されています。

 

下のテラスへ下ります


下流側からが映えます

〈左岸側でも同じこと書いてましたね..〉

 

隅田川テラスから下流方向

このあたりは東京のシンボリックな風景のひとつでしょう。

隅田川はこのへんで2つに流れが分かれ、左へ行く派川の奥には相生橋、右へちょっと見にくい本川、中央大橋の主塔が頭を出してます。

 

テラスをそのまま下ると本川の水面も見えてきて


中央大橋

1993年8月26日竣工はレインボーブリッジと同日。

隅田川はフランス・セーヌ川と友好河川提携をしており、中央大橋の設計デザインはフランスの会社に依頼されました。

主塔橋脚台座の上には彫像が立ってます。

オシップ・ザッキンの作品「メッセンジャー」です。
以前自ブログに掲載した文字のコピペですが

☆メッセンジャー像について
ロシア帝国(現ベラルーシ)生まれのフランス人彫刻家オシップ・ザッキンの作品。船乗りの守り神をかたどったものと言われています。
近くの説明板には当時のパリ市長ジャック・シラク氏のサインとともに、ふたつの都市とふたつの川をつなぐ友好の記念に贈られたと書かれています。
パリ市と東京都の友好都市提携は1982年に、セーヌ川と隅田川の友好河川提携は1989年に結ばれました。

正面が川のほうを向いているので橋の歩道テラスからは後ろ姿しか見えないのですが、船乗りの守り神をかたどったものということで船が通る水辺のほうを向いているのですね。
手前味噌ですが私もこんなこと書いてます

セーヌ川を歩く パリ中心部の風景とともに - 散歩の途中

余談はさておき。

 

中央大橋の真下

橋がカーブしている様子がよくわかります。

 

くぐって隅田川下流方向

佃、月島、築地方面が先に見え、足元は中央区新川2丁目。

ここでいったん休憩します。